ゴルフタイムスの世界   Eagle Eye

ゴルフタイムス編集の古賀のイーグルアイは、焦点を外さないのが自慢です。面白くて、実践的で参考になる記事を提供したい。

US Tour  RBC Heritage 小平智 逆転優勝

2018-04-16 | 危うい日本のゴルフの世界

速報(The Golf Times,World)

RBC Heritage Championship 

米ツアー

小平智  優勝 !!!!! 

驚きの早かった智のアメリカツアーの快挙  ツアーに専念か??

プレーオフでキムシュウを一蹴した。

photo;Golf Cahnnel/Habour town /WGPCA

マスターズの翌週のヒルトンヘッド  ハーバータウンゴルフリンクスでRBC Heritage  Championship が開催された。

マスターズで手ごたえを感じた小平智は、12アンダーホールアウト、後続組をキムシューが14アンダーにしていたが、17番 18番でスコアをボギーとしたために、プレーオフになった。17番をバーデイとして、小平智がアメリカツアーで初優勝果たした。

優勝者は、2年のシードを約束さえており、QTなどジャンプアップで、本選出場権を獲得、いよいよ、英樹とともにツアーメンバーとして、活躍が期待される。日本人、ツアー優勝者5人目が小平智であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

82 Masters の余韻 リード、メジャー初優勝

2018-04-15 | 危うい日本のゴルフの世界

 

    永遠なれ!!!マスターズ 

世界最高の桧舞台 オーガスタナショナル

    情熱と勇気と敢闘精神 

     汗と涙と感激の嵐に   

 


82回、マスターズほど、72ホールまで、誰が勝つのか複数の選手がもつれ込んだ試合は今までにそんなに数はない

 
Mon, Apr 09  according to the offcial photos Masters 82 

三日目で、パトリックリードがクルージングに入るのかと思われていたが、優勝をしてグランドスラムを達成するローリーマクロイの存在があり、優勝戦線にライダーカップで競いあったこの二人のターゲットラインが見えていた。

というのは, 記者は、16アンダーが優勝と断言していたからだ。そこに達するには、リードが2つ、マクロイが5つ伸ばせば、届くので、二人に優勝の確立が高いと思っていたからだ。

ファイナルのフィールドは、後半も怒涛のごとくバーデイを積み重ねるジョーダンスピースとバーデイをもぎ取っていくリッキーファーラーが後半にゴルフに火をつけた。もちろん、最終組のローリーマクロイも、前半で一時、リードに追いついた。ライダーカップでリードはマウロイに勝っているので、まったくどうじる様子がない、最終組のスピースとマクロイの競り合い最中、前記の二人が発奮しリードのスコアに近づく。記者は、例年と同じく18番でボードを見ながら、手に汗を握る。 パトロンたちの真剣にフィールドに溶け込む姿が、ごく新鮮に時には,非情の感情が表にでる。すでに好調のババワトソンやトーマス、ミケルソン、タイガーなどは接戦から一線遅れていたから、番外にあった。それでも、一打でもとDJなどが突き進む姿は、実にマスターズならではの檜舞台である。彼らが、バーデイを重ねるたびにオーガスタの森に響き渡る。肌がわき立つような震えさえ感じる一瞬、一瞬がパトrンたちん胸を抉る。ため息と歓声は、限りなく続くさまに、自分もおぼれこんでしまい、取材を忘れる。

余韻を残したフィールドを真剣に気合いを入れて回る。神々さえ、おののくグリーンの誂え一歩の幅に夢ははじく、思いは、沈み込む。深い呼吸は、静かに森にながれ、小鳥たちにささやきに、ふと我に返る。ベンホーガンブリッジを渡るときは、畏敬の念を持って、ゆっくり、ゆっくり噛みしめて、ホーガンの息吹を肌にしみこませる。キャデイで一生をここに置くサマセットの読みは狂いなく、生き物になったボールは、11センチ足らずの世界を呑みこむカップへ限りなく走る。夢、再びあるや、永遠なれ、マスターズ

 

さあー。100万アクセスの諸氏よ、抽選でお土産を送る。info@thegolftimes.netまでお名前とゴルフ歴を下され。期日は、今月末まで、抽選日は、5月20日、発表する。来年83回マスターズ、案内もしたいね。観覧に行った方が、ゴルフに重みをつけるといっておきたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

82回  マスターズ開幕  最後の招待ワンチケット,イアンポールター 獲得、ヒューストンオプーン

2018-04-02 | 危うい日本のゴルフの世界

 

ヨーロッパ、最高に情熱に燃えるイアンポールターの快挙

今週のマスターズ出場決定!!!!

 日本でもおなじみのプレヤー、イアンポールター、ヒューストンオープン、プレーオフでマスターズチケット獲得、82回目のマスターズ参加が決定した。いよいよ、マスターズ開幕、5日から本戦開始、世界のゴルフファンをくぎ付けする。

タイガーに触発されたか、マクロイ、ミケルソン、ジェイソンデイ、ババワトソン、加えて、札がなかったイアンポールターが、マスターズ最後の切符をヒューストンの勝利で劇的出場となった。

タイガーの復活の嵐は、再び、世界のゴルフを躍動させる!!!!!

photo;PGAtour/Golf Channel/Huston Open 

現地、オーガスタからの報道を期待されよ。

現地取材記者    古賀剛大

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい歴史認識 31 南京事件、日本人48人の証言

2018-04-02 | 日本時事新聞社

南京事件」―日本人48人の証言(小学館文庫)

阿羅健一著

その9―第三章 画家・写真家の見た南京 

海軍従軍絵画通信員・住谷磐根氏の証言

外務省情報部特派カメラマン・渡辺義雄氏の証言

陸軍報道班員・小柳次一氏の証言

 

セントジョセフ国際大学

国際社会工学部 主任き教授

古賀 剛大 様

 

 今回は第3章「画家・写真家の見た南京」です。

 

 住谷磐根画伯は22歳で二科展に入選した著名な画家です。海軍が従軍画家を求めているということで志願したのですが、なかなか認めてもらえず、米内海軍大臣に手紙を書いたり、軍務局の課長に直談判したりしてようやく採用してもらったということです。

 住谷画伯が見た中国兵の処刑は下関埠頭で行われていたもので、これはおそらく、第7連隊が安全区の掃討戦で捕獲した不法戦闘員(軍服を脱ぎ捨て、武器を隠し持っていた等)6500を厳重処分したものでしょう。城内では中国人は全然見かけなかったが、『避難民区域』という表示のある所に行ったら、市民がたくさんいたと言います。虐殺というのは一度も見ていないと言います。

 支那事変が始まると中国は反日をあおり、中国に同情を引くような写真を世界に流し、これが成功していました。そこで外務省情報部では、支那事変の実態を外国に知ってもらう必要に迫られ、写真とニュース・フィルムの撮影隊を組織しました。このカメラマンとして選ばれたのが、新進カメラマンとして名を成していた渡辺義雄氏でした。

 渡辺氏は例の「ライフ」に載った、上海の停車場で泣いている中国の赤ん坊の写真が、中国に同情する世論形成に大きな役割を果たしたことを指摘します。しかも、全くのやらせ写真だったわけです。渡辺氏も南京で虐殺行為など見ていないといっています。難民区で日本軍が住民にコメを配給したり、慰問袋を手渡したりしていたので、その写真を撮ったと言います。

 小柳次一氏は海外への日本紹介誌『NIPPON』を発行していた名取洋之助の日本工房で働いていました。名取氏とともに陸軍に宣伝戦の重要性を説得し、上海派遣軍の宣伝担当の金子俊治少佐の理解を得ました。中国で撮った写真を名取の名前で世界の写真雑誌、新聞社、出版社に売り込みました。小柳氏自身の名前でも売り込むようになり、南京でスパイを処刑した写真は「ライフ」に載ったと言います。

 小柳氏も例の「ライフ」の赤ん坊の写真のことを述べています。戦後その歪曲写真を撮ったカメラマンに朝鮮戦争の時にソウルで会ったので、そのことを言ってやったそうです。小柳氏も南京虐殺など否定しています。「イデオロギーで事実をゆがめ、それがまかり通っている世の中になっています」と嘆いています。

 

 日本語原文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/48-9.pdf

英訳文:http://www.sdh-fact.com/CL/Ara-Nanjing-9-.pdf

 

海外には、下記の通り英文で発信しました。

 

平成30年4月2日「史実を世界に発信する会」会長代行 茂木弘道拝

http://hassin.org

 

The Nanjing Incident: Japanese Eyewitness Accounts

-Testimony from 48 Japanese Who Were There-

By Ara Ken’ichi

No. 9: Chapter 3  Nanjing, as Observed by Artists and Photographers

 

Mr. Sumiya Iwane, Artist and Naval Correspondent

Mr. Watanabe Yoshio, Photographer, Information Bureau of

the Ministry of Foreign Affairs.

Mr. Koyanagi Jiichi, Member of the Army Press Team

 

   We present No. 9 in this series, which contains Chapter 3: Nanjing, as Observed by Artists and Photographers.

   Mr. Sumiya Iwane, a well-known artist, applied for the position of combat artist in the Navy. His application was rejected, so he sent a letter to the Minister of the Navy Yonai Mitsumasa and directly approached the head of the Fourth Department of Military Affairs--he was finally accepted.

   Mr. Sumiya saw executions of Chinese soldiers at Xiaguan Wharf. He may have observed the execution of unlawful Chinese soldiers who had infiltrated the Safety Zone, discarding their military uniform and hiding their weapons. He saw almost no Chinese civilians in Nanjing, at first, but later he saw a sign for the Refugee Zone, where many Chinese civilians had gathered. He never witnessed a “Massacre” of any sort.

   After the outbreak of the China Incident, the Chinese government distributed photos which alleged Japanese brutality, thereby raising sympathy for the Chinese people with great success. So, the Ministry of Foreign Affairs organized a photographic and film team. Mr. Watanabe Yoshio, a rising photographer, was selected to join the team.

   Mr. Watanabe spoke about the impact and effect of the well-known photo of a crying baby which appeared in the American magazine Life. It was an entirely staged photo, though. He never saw a massacre in Nanjing. In the Safety Zone, the Japanese army distributed rice and consolation gifts, of which he took a photo, he says.

   Mr. Koyanagi Jiichi worked with Mr. Natori Yonosuke, who published the English-language photo magazine NIPPON. They spoke to the Army and Navy of the importance of media. Finally, they were able to convince Major Kaneko Toshiharu, in charge of propaganda in the Army’s Special Service Agency in Shanghai, of the importance of media.

   They distributed photos taken in China to photo magazines, newspapers, publishers, and so on overseas under the name “Natori,” who was well-known worldwide. Later, Mr. Koyanagi attached his own name to these photos. His photo of an execution of a Chinese spy in Nanjing was published in Life.

   Mr. Koyanagi also referred to the “crying baby” photo that appeared in Life. During the Korean War, he met the photographer who took this fabrication, in Seoul. He told him that the true story behind it was widely known. Mr. Koyanagi strongly denies that a so-called massacre occurred in Nanjing. He simply states: “Facts are twisted by ideology and twisted facts are accepted today.”    

 

    URL:http://www.sdh-fact.com/book-article/1144/

  PDF:http://www.sdh-fact.com/CL/Ara-Nanjing-9-.pdf

 

Questions are welcome.

 

MOTEKI Hiromichi, Acting Chairman

for KASE Hideaki, Chairman

Society for the Dissemination of Historical Fact

Phone: +81-3-3519-4366

Fax: +81-3-3519-4367

Email moteki@sdh-fact.com

URL http://www.sdh-fact.com

Note: Japanese names are rendered surname first in accordance with Japanese custom.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする