散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

歩きで横浜観光 その3

2006-09-24 23:14:57 | 散歩
山手を観光して今度は海沿い、港に沿って観光です。
ヘボン博士邸跡。
開港とともに来日した宣教師の1人で神奈川成仏寺に3年仮寓。文久2年(1862)冬、横浜居留地39番地に移転、幕末明治初期に聖書の翻訳、和英辞典の編纂、医術の普及など日本文化の開拓に力をつくした。

横浜マリンタワー。
灯台としては世界一の高さを誇るマリンタワー。
最近では陸側から周囲のビルに隠れて見えない事も

マリンタワーについて詳しくは下記サイトをご覧ください。
http://www.hmk.co.jp/tenbo/tenbo.html

氷川丸。
山下公園と言えば氷川丸です。
レストランであり、夏場はビアホールです。

氷川丸については下記サイト。
http://www.hmk.co.jp/



赤れんが倉庫です。
山下公園からは開港の道・山下臨港線プロムナードを歩いて行くと近いです。
赤煉瓦倉庫の歴史としては大蔵省臨時建築部により設計、監修され、2号倉庫は明治40年11月着工し、同44年5月竣工、1号倉庫は明治41年4月着工し、大正2年3月竣工。
この倉庫は横浜税関新港埠頭倉庫とよばれ、横浜税関の保税倉庫として使用された外、一部は民間に貸与されて使われた。
戦後は米軍第8司令官の管理化におかれた。赤煉瓦倉庫は接収後米軍の港湾司令部として1階は事務室、2,3階は倉庫として使用されていたが、昭和31年に返還されたが、貿易量の減少と伴に閉鎖された。
昔、ドラマの撮影で使われていたずら書きが増えてせいで近寄れなったんですが、今はショッピングや食事で中に入れますし、公園として整備されています。

http://www.yokohama-akarenga.jp/index.html
新しい名所。
私の小さい頃は、今日見て来た港の見える公園、外人墓地、山下公園、マリンタワー、中華街が観光名所でしたが今は横浜と言えばランドマークタワー、クイーンズタワー、観覧車、日本丸、赤レンガ倉庫。
みなとみらい地区に新しい名所が移動して来ているようです。
今回の歩いて横浜観光は歴史ある建物から新しい建物を歩いて撮影しました。
最後にお腹がすいたので野毛の洋食屋さんで遅い昼食をとり終了。



センターグリル スパゲティーランチ700円。
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歩きで横浜観光 その2

2006-09-24 23:13:55 | 散歩
JR石川町駅から建物を見ながら歩いて40分でやっと港の見える丘公園まで着きました。
公園の名前の通り正面の展望場からは山下埠頭、ベイブリッジがよく見えます。
展望場からは撮影。
手前は新山下埠頭とマンション。
奥に見えるのがベイブリッジ。

展望台から左方向。
建物の陰で見え難くなったマリンタワーが見えます。
20年くらい前に撮影した時にはもう少し見えていた気がします。
その内に木が成長して見えなくなるかも・・・。

公園内右手。
展望台より下がった右手にあります。
写真の正面の建物は大佛次郎記念館です。

大佛次郎記念館
横浜生まれの文豪。
有名な小説は「鞍馬天狗」
「霧笛」「幻燈」で開化期の横浜を扱っていて有名。



県立神奈川近代文学館と山手111番館。
山手111番館は1926(大正15)年建築。木造2階地下1階で市指定文化財。入場無料。

横浜市イギリス館。
公園のほぼ中央、ローズガーデンの薔薇に包まれるようにして建っている。
かつて英国総領事公邸で、横浜市指定文化財にもなっている建物。横浜市が取得した後はコンサートホールや会議室として利用されてきたが、2002年(平成14年)からは一般公開されている。
イギリス館の建つ場所は幕末から明治初期にかけてイギリス軍が駐屯。同じ頃、隣り合う形で現在の「フランス山」地域にはフランス軍が駐屯。幕末の混乱期、各地で攘夷派浪人などによる外国人殺傷事件が多発、自国民を守るため駐屯。
イギリス軍の駐屯した丘を、人々は「トワンテ山」と呼んだという。第20連隊の「20」の英語音「トゥエンティ」が「トワンテ」に転じたもの。
1875年(明治8年)には英仏両軍とも撤退している。
1937年(昭和12年)、大英工部総署の設計による英国総領事公邸が建てられた。
コロニアルスタイルという建物は当時の英国都市建築を象徴する。



フランス山の途中にある愛の母子像。
フランス山の風車。
1890(明治29)年にフランス領事館とその官舎が建設された時、このフランス山には井戸水を汲み上げるための風車が設置されました。残念ながら、フランス領事公邸で使用されていた風車の形は写真などの資料が残されていないため判りませんが、同時代に使われていた「フェリス女学院の赤い風車」や「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真から想像して復元しています。



横浜ボウリング発祥の碑。
1864年横浜外国人居留地内にボウリングサロンを開場した記録があることから碑が建てられています。
みなとみらい線 元町・中華街駅
ここまでで全行程1時間ちょっと。中華街で食事をするのも電車で帰るもの可。
昼時でしたが、もう少し頑張ってマリンタワー、山下公園へ。
その3へ続く。
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歩きで横浜観光 その1

2006-09-24 23:13:21 | 散歩
天気もいい事ですしちょっと散歩がてら外出。
自転車はしばらく乗ってないのでタイヤの空気は抜けてるし至る所サビついているので電車と徒歩で動ける範囲で行ってみました。
予定としてはJR石川町駅から港の見える丘公園まで歩き、後は気の向くまま体力の続くまで。
石川町駅は大船寄りで下車して階段を下りてすぐ右の改札から出て山手方面の山から港の見える丘公園を目指します。
目印としては山手には学校が多いので学校への道の所々にある学校への案内表示に沿って歩いて行きました。
案内通りに坂道や階段を登って行くと横浜山手女子学園の脇道から山手本通りに突き当たります。
山手と言うくらいですから山の上にあり、ココまで登る坂道でふくらはぎがパンパンになり危なかったです。(日頃の運動不足を反省
山手本通りに出て左方向に歩き出してすぐの道の反対側にあるのが、山手カトリック教会です。
尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔を持った、典型的なゴシック様式の教会建築ですが、内部には細かな装飾が施された列柱などを備え、この山手カトリック教会は、日本一美しい聖堂とも呼ばれているそうです。

山手司教館別館。
山手カトリック教会の司教の別館。
山手カトリック教会の並びにある建物です。

フェリス女学院の中学高校です。私たちの子供の頃から地元横浜ではお嬢様学校として有名です。
1870(明治3)年9月、アメリカ改革派教会の外国伝道局から派遣されたミス・キダーによって創設。

山手46番地です。
横浜山手は開港当時、外国人居留地区の番地表記がそのまま残っています。




代官坂上交差点と交差点から石川町方面の写真です。
以前はこの坂道から正面にマリンタワーが見えていたのですが、今は手前にマンションが建ってしまったためかすかにタワーの頭の部分が見えるだけになってしまいました。
ベーリック・ホール。元町公園付属の施設。
この建物はバートラム・ロバート・ベリックの私邸として、1930年(昭和5年)に建てられたもの。戦後になって建物は宗教法人カトリック・マリア会に寄贈され、セントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われてきた。
現在は横浜市が土地を取得、それに伴って建物も市に寄贈されることになった。

元町公園正面入口。
外国人墓地の西に隣接し、山手本通りに面していて尾根の間に入り込んだ形の公園。
下って行けば元町商店街があります。途中には湧き水を利用したウォーターガーデンがあります。
また、春の桜の名所としても名高い。

エリスマン邸。
関東大震災後の1926年(大正15年)、スイス人貿易商エリスマンの私邸として『現代建築の父』と言われるアントニン・レーモンドが設計建てられた建築史上極めて価値の高い洋館。平成2年に元町公園の敷地内に移築復元され、「エリスマン邸」として公開。
1階は大正時代の洋館の部屋の様子を復元して紹介。暖炉のある応接室、テーブルのある居間兼食堂、庭を眺めるサンルームがあります。2階では横浜山手の歴史やこの地区にある洋館を紹介。

えの木てい。
1927(昭和2)年に建築の木造洋館「えの木てい」
自家製焼き菓子でも食べながら紅茶を飲んで休憩して下さい。

http://www.enokitei.com/

山手234番館。
関東大震災後の1927年(昭和2年)、外国人のための共同住宅として建てられたもの。
1989年(平成元年)、横浜市がこれを取得、改修、整備を施して1999年(平成11年)に現在の「山手234番館」として開館した。
見学料は無料。

横浜山手聖公会。
山手カトリック教会聖堂と並んで山手の代表的建物。
城砦を思わせる中世イギリスのノルマン建築とゴシックを混在させた外観。
大谷石を用いた重厚なデザイン。
設計者:モーガン。
建設:1931(昭和6)年


山手本通りから元町公園に入り坂を下った途中から撮影。
元町公園からみなとみらい方面の風景です。
右手奥にはマリンタワーが見え、左手にはランドマークタワーを見る事ができます。

山手十番館。ブラフガーデン。
外人墓地の道路を挟んで向かいにあります。
庭内に山手資料館があります。
詳しくはお店のサイトをご覧ください。
http://www.yokohama-jyubankan.co.jp/yamate/

横浜外人墓地資料館。
普段は公開されていないのですが、本日は維持保存の為の募金活動を行なっており、募金者には特別に公開していました。
せっかくの機会ですので募金(200円)をして入ってみました。



左は最初の外国出身落語家「ブラック」のお墓。
右はセントジョセフカレッジ閉校の後、旧校庭より同窓会が記念碑として移築した「SJCマリア像」

グラウエルトの墓地。
多分野で横浜の発展に貢献した実業家。
葬列の全長が1キロ半を超えたと伝わるそうです。
他にも多数日本や横浜の発展に寄与した方々のお墓がありました。

なんとか外人墓地までの書きましたが、書くのもちょっと疲れましたし、読むのも大変だと思いますので、港の見える丘公園からは「その2」に致します。
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サボテンの日の当て方。

2006-09-24 11:17:26 | サボテン・多肉植物
夏の日差しのピークが過ぎて、日差しが気持ち良く感じる季節になりました。
サボテンを育てるのは難しい事は余りないのですが、適度な水と日差しがあればの事です。
先週いくつかのサボテンの鉢替えをしてゆっくりひとつづつ改めて見直してみると・・・。

明星は成長のバランス(途中で成長が悪くなった?)が崩れたのか本来は丸いサボテンのハズがひょうたんというか、正月の供え餅のように段々になってしまいました。


雪晃は他のサボテンと寄植えしており、隅の方に配置して置いたので日差しが一方向からしか当たらなかったためいびつな形に成長してしまってます。
写真下方向は順調に成長していて上部分は成長が遅れたため詰まった形になっています。
これは上からの写真ですが横から見ると成長していない方は丸みがなく絶壁頭のようになってます。


スミレ丸は強い日差しの当たる場所に置いてしまったため、日差しの当たる片方だけ日焼けしてしまいました。
今回、各ビニルハウスの棚での配置として棘が少なく表面がむき出しの物を棚の内側、日差しの余り当たらない場所へ移動。
反対に棘が全体を覆っているサボテンを棚の外側、日差しの当たる場所へそれぞれ移動しました。
ビニルハウスは4段になっており、下2段は日差しの入って来る方向に簾を立てかけており、最上段天井部分にも簾を挟んでいますので、それぞれの段や同じ棚でも日差しの入り具合が異なりますので見た目(成長具合や日差しに強そうどうか)でサボテンのそれぞれの位置を調整。


赤烏帽子の新芽(?)ですが、ハート形に成長していたので撮影。
団扇サボテンともいわれていますので日差しを十分に浴びて成長すると丸く育つはずですが、日差しが十分でないと縦方向に伸びるだけになってしまうので、なるべく天気の良い日は日の当たる場所においておく事にしてます。

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