中区(吉田新田)を囲む川をまわってどんな漢字を書くのか今ひとつ自信の持てない橋の名前。
葭谷橋(よしやはし)。
横浜市のサイトの昭和25年の地図を見て『よし』の字形から『葭』の地だろうと推定しているんですが、今ひとつ自信が持てず漢和辞典で『葭』を調べて納得!
『葦』が『悪し』の音で忌み言葉として『良し』=『葭』の字が使われているようです。
埋立前には沼地であり、葦の谷であった場所を『葦谷(悪し谷)』としないで『良し谷(葭谷)』と言葉を変えていたのだろうと推測しました。
忌み言葉の例として以下の言葉があることか納得すると思います。
梨=有りのみ
スルメアタリメ
すり鉢=あたり鉢
葭谷橋(よしやはし)。
横浜市のサイトの昭和25年の地図を見て『よし』の字形から『葭』の地だろうと推定しているんですが、今ひとつ自信が持てず漢和辞典で『葭』を調べて納得!
『葦』が『悪し』の音で忌み言葉として『良し』=『葭』の字が使われているようです。
埋立前には沼地であり、葦の谷であった場所を『葦谷(悪し谷)』としないで『良し谷(葭谷)』と言葉を変えていたのだろうと推測しました。
忌み言葉の例として以下の言葉があることか納得すると思います。
梨=有りのみ
スルメアタリメ
すり鉢=あたり鉢
豆板醤西芹牛肉炒物(セロリと牛肉の豆板醤炒め)
新年第一回目の昼食!
正月は中華を食べていなかったので中華!
ピリ辛です!
セロリだけでご飯一杯いけます。
肉はほど良い厚みとやわらかさ!
ここは正解!
新年第一回目の昼食!
正月は中華を食べていなかったので中華!
ピリ辛です!
セロリだけでご飯一杯いけます。
肉はほど良い厚みとやわらかさ!
ここは正解!
中村川にスイッチして折り返しです。
葭谷橋(よしやはし)、吉野橋、共進橋、日枝橋、睦橋、池下橋の親柱です。
池下橋の次は久良岐橋ですが昭和25年頃の地図を見ると堀割川と交差しており、堀割川はそのまま内側に伸びて行き富士見川や吉田川、新吉田川と合流していたようです。(今は埋立てれて富士見川公園、大通り公園となっています。)
池下橋側から見た中村川と堀割川の分岐地点です。
ほぼ、垂直に堀割川が分岐して行っています。
久良岐橋、道場橋の親柱と浦舟水道橋です。
浦舟水道橋のこの橋脚は以前は西の橋に架けられていたもので関東大震災で被災し、1格間縮小して翁橋に転用されていたものが、高速道路建設のため撤去された後、最古のピン結合プラッド・トラス鉄橋であることから更に1格間縮小して現在の場所に浦舟水道橋として移設。横浜市認定歴史的建築物。
東橋、(東橋公園橋)、車橋、翁橋、亀之橋。
車橋は高欄のデザインが橋の名前に合わせて車輪をモチーフにしており、橋名が覚えやすい。
西の橋は震災後、大正15年11月竣工の震災復興橋。
この橋の付近で現在のJR根岸線・首都高羽田線を流れていた派大岡川が合流していたそうです。
また、ここから河口までは中村川から堀川に名前が変わります。
西の橋、市場通り橋、前田橋、代官橋、谷戸橋と橋は元町商店街の通りに沿って続きます。
左の親橋は西の橋と谷戸橋のものです。
堀川の河口にある最後の橋は山下橋で首都高速の橋脚が海へ抜けて行きますが、陸地はここまでです。
出発地点の北仲橋から川に沿ってぐるりとまわって3時間半!
川は途切れる事なく全て橋でつながっていました。
大災害が起きた時にはどこの橋が無事か確認しないと何かあったら大変な事になると思いました。ひょっとして最悪な場合に陸の孤島になる
では
葭谷橋(よしやはし)、吉野橋、共進橋、日枝橋、睦橋、池下橋の親柱です。
池下橋の次は久良岐橋ですが昭和25年頃の地図を見ると堀割川と交差しており、堀割川はそのまま内側に伸びて行き富士見川や吉田川、新吉田川と合流していたようです。(今は埋立てれて富士見川公園、大通り公園となっています。)
池下橋側から見た中村川と堀割川の分岐地点です。
ほぼ、垂直に堀割川が分岐して行っています。
久良岐橋、道場橋の親柱と浦舟水道橋です。
浦舟水道橋のこの橋脚は以前は西の橋に架けられていたもので関東大震災で被災し、1格間縮小して翁橋に転用されていたものが、高速道路建設のため撤去された後、最古のピン結合プラッド・トラス鉄橋であることから更に1格間縮小して現在の場所に浦舟水道橋として移設。横浜市認定歴史的建築物。
東橋、(東橋公園橋)、車橋、翁橋、亀之橋。
車橋は高欄のデザインが橋の名前に合わせて車輪をモチーフにしており、橋名が覚えやすい。
西の橋は震災後、大正15年11月竣工の震災復興橋。
この橋の付近で現在のJR根岸線・首都高羽田線を流れていた派大岡川が合流していたそうです。
また、ここから河口までは中村川から堀川に名前が変わります。
西の橋、市場通り橋、前田橋、代官橋、谷戸橋と橋は元町商店街の通りに沿って続きます。
左の親橋は西の橋と谷戸橋のものです。
堀川の河口にある最後の橋は山下橋で首都高速の橋脚が海へ抜けて行きますが、陸地はここまでです。
出発地点の北仲橋から川に沿ってぐるりとまわって3時間半!
川は途切れる事なく全て橋でつながっていました。
大災害が起きた時にはどこの橋が無事か確認しないと何かあったら大変な事になると思いました。ひょっとして最悪な場合に陸の孤島になる
では
やっと画像の整理がついたのでご報告。
スタートは大岡川河口になる北仲橋。
ここから見える白い鉄橋は港一号・港二号橋梁といって横浜市認定歴史的建造物。かって、新港埠頭の臨港線の鉄道橋だったものです。
現在は汽車道の一部として新港地区へ向かう観光客の連絡通路に利用されています。
全部渡った橋を紹介するのは大変なので親柱を中心に画像で紹介します。
左から弁天橋、大江橋、桜川橋、都橋、宮川橋の親柱。
場所と上流・下流方向の画像はそれぞれの橋の名前のリンクからご確認下さい。
長者橋
鉄筋コンクリート造りで昭和3年1月竣工
震災後の復興橋梁です。
旭橋を飛ばして黄金橋、末吉橋、太田橋、栄橋の親柱。
白金橋は人道の橋なので親柱といったものはありません。
ただ、橋を渡ったこちら側には富士見川を埋立ててできた富士見川公園があります。
道慶橋、一本橋、山王橋と大岡川の橋は続きます。
山王橋の先で川は大きく右に曲がりちょうど高速道路の高架橋の下で中村川との分岐します。
大岡川は画像の高速道路の高架に沿って右奥へ伸びて行き、左手前の川岸が途切れているところから左へ高速道路高架橋の下を流れるのが中村川です。
左は中村川に架かる葭谷橋(よしやはし)から分岐方向を撮影したもので大岡川は上流(左方向)から赤茶色いマンションの手前を右に流れて行きます。
右の画像は大岡川上流の蒔田公園橋から分岐地点方向を撮影した物です。右の真っすぐに流れて行くのが中村川で左に曲がって流れて行くのが大岡川本流です。
大岡川と中村川が分かれた地点で大岡川と別れを告げ、再び横浜港に戻る中村川に沿って歩く事にしました。
文字数の関係でその2へ続きます。
スタートは大岡川河口になる北仲橋。
ここから見える白い鉄橋は港一号・港二号橋梁といって横浜市認定歴史的建造物。かって、新港埠頭の臨港線の鉄道橋だったものです。
現在は汽車道の一部として新港地区へ向かう観光客の連絡通路に利用されています。
全部渡った橋を紹介するのは大変なので親柱を中心に画像で紹介します。
左から弁天橋、大江橋、桜川橋、都橋、宮川橋の親柱。
場所と上流・下流方向の画像はそれぞれの橋の名前のリンクからご確認下さい。
長者橋
鉄筋コンクリート造りで昭和3年1月竣工
震災後の復興橋梁です。
旭橋を飛ばして黄金橋、末吉橋、太田橋、栄橋の親柱。
白金橋は人道の橋なので親柱といったものはありません。
ただ、橋を渡ったこちら側には富士見川を埋立ててできた富士見川公園があります。
道慶橋、一本橋、山王橋と大岡川の橋は続きます。
山王橋の先で川は大きく右に曲がりちょうど高速道路の高架橋の下で中村川との分岐します。
大岡川は画像の高速道路の高架に沿って右奥へ伸びて行き、左手前の川岸が途切れているところから左へ高速道路高架橋の下を流れるのが中村川です。
左は中村川に架かる葭谷橋(よしやはし)から分岐方向を撮影したもので大岡川は上流(左方向)から赤茶色いマンションの手前を右に流れて行きます。
右の画像は大岡川上流の蒔田公園橋から分岐地点方向を撮影した物です。右の真っすぐに流れて行くのが中村川で左に曲がって流れて行くのが大岡川本流です。
大岡川と中村川が分かれた地点で大岡川と別れを告げ、再び横浜港に戻る中村川に沿って歩く事にしました。
文字数の関係でその2へ続きます。
地図で確認すれば判るんですが、赤線の部分は川なんです。
ということはですよ。
何か災害が起きて橋が全部落ちたら、陸の孤島になってしまうのか?
実際に歩いて確かめてみました。
例によって各橋ごとに上流と下流方面をデジカメで撮影して来たんですが、枚数が多過ぎてまだ、整理できていません。
画像と詳細は後日にして結論を先に書きますと、
『橋が全部落ちると陸の孤島になる。』でした
明日にはまとめておきたいと思います。
では。
ということはですよ。
何か災害が起きて橋が全部落ちたら、陸の孤島になってしまうのか?
実際に歩いて確かめてみました。
例によって各橋ごとに上流と下流方面をデジカメで撮影して来たんですが、枚数が多過ぎてまだ、整理できていません。
画像と詳細は後日にして結論を先に書きますと、
『橋が全部落ちると陸の孤島になる。』でした
明日にはまとめておきたいと思います。
では。
昨日の新年会で飲み過ぎて胃が疲れて絶不調の中、姉宅へ新年の挨拶へ行く。
酒は身体に残っているわけではないので二日酔いではないんですが、内臓が疲れている感じです。
タバコも美味しく感じません。
今年は子年という事で姉宅の飼い犬ココア君はこのような格好でお出迎えです。
ネズミだ!チュー!
さして嫌がる風でもなくシッポを振りながら愛想良くしております。
ただ、ネズミの顔を被るのは嫌らしく被せても頭を振ってずらしてしまします。
昨年から干支の着ぐるみを着て年賀状の写真に使われていますが、毎年着る事になるのでしょう。
ちなみに昨年のイノシシ年はこのような着ぐるみでした。
ふと、思ったのですが戌年にはどんな着ぐるみになるのでしょうか?
犬が犬の着ぐるみを着るのは変ですし・・・。
その時を楽しみに待つ事にします。
では。
酒は身体に残っているわけではないので二日酔いではないんですが、内臓が疲れている感じです。
タバコも美味しく感じません。
今年は子年という事で姉宅の飼い犬ココア君はこのような格好でお出迎えです。
ネズミだ!チュー!
さして嫌がる風でもなくシッポを振りながら愛想良くしております。
ただ、ネズミの顔を被るのは嫌らしく被せても頭を振ってずらしてしまします。
昨年から干支の着ぐるみを着て年賀状の写真に使われていますが、毎年着る事になるのでしょう。
ちなみに昨年のイノシシ年はこのような着ぐるみでした。
ふと、思ったのですが戌年にはどんな着ぐるみになるのでしょうか?
犬が犬の着ぐるみを着るのは変ですし・・・。
その時を楽しみに待つ事にします。
では。
昨日は横須賀で新年会があり、待ち合せ時間より早めに行って横須賀でお散歩!
待合せ場所は京急横須賀中央駅なんですが、散歩のコースとしてJR横須賀駅から出発!
駅舎は中々歴史を感じさせる昔ながらの建物です。
駅を出て正面にはバスロータリーがあり、左手の海沿いに旧横須賀軍港を整備したヴェルニー公園があります。
公園の対岸は米軍基地。海上自衛隊の船舶も停泊しています。
旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰め所。左右に二棟あり、左側には『逸見上陸場』、右には『軍港逸見門』と表示されています。
横須賀市指定市民文化遺産で建築年代は明治末から大正初期。
正面の対岸には潜水艦が停泊していました。
小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)とフランソワ・レオンス・ヴエルニーの胸像。
小栗上野介は幕末に外国奉行や勘定奉行など幕府の要職を歴任し、フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所)建設を推進。
ヴェルニーは横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として来日し、建設と運営の人にあたり、観音崎灯台や走水の水道建設、レンガの製造の他、製鉄所内に技術学校うを設けて日本人技術者の育成に努めた人物。
ヴェルニー公園内を歩き、汐入のダイエーまで来たところで陸橋を渡り国道16号を反対方向へ。
汐入駅周辺も再開発でマンションや近代的な建物が増え、道路もきれいになり、国道16号から一本内側に入った通称ドブ板通りもきれいになり、昔の怪しさがなくなってきました。
昔の気分を味わって欲しくモノクロで撮影。
通りを過ぎて再び国道16号方面に曲がると正面は米軍基地。
基地を左手に見ながら国道16号を歩いて暫くすると三笠公園の案内表示が出てくるのでそのまま三笠公園へ。
戦艦三笠です。
割と訪れる人がいて、入場料を払って戦艦内を見学している人が甲板上に多く見えました。
以前はこの戦艦のある場所とその前の広場だけが公園の範囲だったんですが、奥の方まで公園として整備・拡大しており海側に沿ってかなり大きな公園となっていました。
一番左は猿島で他の2枚は公園内の噴水です。
横須賀駅から散歩しながら1時間。
そろそろ待合せ時間も迫って来たので京急横須賀中央駅を目指して本日の散歩は終了。
ベンチを含めてオブジェなのか、ベンチにオブジェを飾っているのかは判りませんが、ここで休憩している人はいません。
では。
待合せ場所は京急横須賀中央駅なんですが、散歩のコースとしてJR横須賀駅から出発!
駅舎は中々歴史を感じさせる昔ながらの建物です。
駅を出て正面にはバスロータリーがあり、左手の海沿いに旧横須賀軍港を整備したヴェルニー公園があります。
公園の対岸は米軍基地。海上自衛隊の船舶も停泊しています。
旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰め所。左右に二棟あり、左側には『逸見上陸場』、右には『軍港逸見門』と表示されています。
横須賀市指定市民文化遺産で建築年代は明治末から大正初期。
正面の対岸には潜水艦が停泊していました。
小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)とフランソワ・レオンス・ヴエルニーの胸像。
小栗上野介は幕末に外国奉行や勘定奉行など幕府の要職を歴任し、フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所)建設を推進。
ヴェルニーは横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として来日し、建設と運営の人にあたり、観音崎灯台や走水の水道建設、レンガの製造の他、製鉄所内に技術学校うを設けて日本人技術者の育成に努めた人物。
ヴェルニー公園内を歩き、汐入のダイエーまで来たところで陸橋を渡り国道16号を反対方向へ。
汐入駅周辺も再開発でマンションや近代的な建物が増え、道路もきれいになり、国道16号から一本内側に入った通称ドブ板通りもきれいになり、昔の怪しさがなくなってきました。
昔の気分を味わって欲しくモノクロで撮影。
通りを過ぎて再び国道16号方面に曲がると正面は米軍基地。
基地を左手に見ながら国道16号を歩いて暫くすると三笠公園の案内表示が出てくるのでそのまま三笠公園へ。
戦艦三笠です。
割と訪れる人がいて、入場料を払って戦艦内を見学している人が甲板上に多く見えました。
以前はこの戦艦のある場所とその前の広場だけが公園の範囲だったんですが、奥の方まで公園として整備・拡大しており海側に沿ってかなり大きな公園となっていました。
一番左は猿島で他の2枚は公園内の噴水です。
横須賀駅から散歩しながら1時間。
そろそろ待合せ時間も迫って来たので京急横須賀中央駅を目指して本日の散歩は終了。
ベンチを含めてオブジェなのか、ベンチにオブジェを飾っているのかは判りませんが、ここで休憩している人はいません。
では。
昼寝をして起きたら6時。
外はすっかり日が落ち、寒くなっていました。
簡易ビニルハウス内の黒法師を室内に戻そうと思ってみると画像のように寒さでへたっております。
今季三度目!
葉を黒々とさせるためにはしっかり日を浴びせなければならず、ビニルハウスに入れてたっぷりの日差しを浴びさせているのですが、冷え込んでくる夕方には室内に取込んでおかないとこのような状態に!
室内の日当りの良い場所に置いておいたら良いのか?
それとも、冬場はこの繰り返しで黒法師はしっかり成長するのか?
もう一鉢あったら試してみるんですが、取りあえずはしばらく室内で育てようと思います。
他のサボテンや多肉植物は先月から断水させて、ビニルハウス内に入れたままで変化ないのにこの黒法師はちょっと手間が掛かるようです。
では。
外はすっかり日が落ち、寒くなっていました。
簡易ビニルハウス内の黒法師を室内に戻そうと思ってみると画像のように寒さでへたっております。
今季三度目!
葉を黒々とさせるためにはしっかり日を浴びせなければならず、ビニルハウスに入れてたっぷりの日差しを浴びさせているのですが、冷え込んでくる夕方には室内に取込んでおかないとこのような状態に!
室内の日当りの良い場所に置いておいたら良いのか?
それとも、冬場はこの繰り返しで黒法師はしっかり成長するのか?
もう一鉢あったら試してみるんですが、取りあえずはしばらく室内で育てようと思います。
他のサボテンや多肉植物は先月から断水させて、ビニルハウス内に入れたままで変化ないのにこの黒法師はちょっと手間が掛かるようです。
では。