ヒマ人クラブ

NO MUSIC NO LIFE! ジャズ、ロック、フォークが好きです。気ままにやっていきます。

私の音楽遍歴 第8回

2009-03-31 | 音楽遍歴

’71年8月、岐阜県中津川で第3回全日本フォーク・ジャンボリーが開催された。

この年の秋には「実況録音盤」が発売されている。

この年の春に自宅が新築され、同じ町内で転居をした。

自宅の燐家に同級生がいた。

彼とは同じクラブ活動をしていたので、この年の冬か翌年に遊びに行った。

彼の兄が所有していたのが、キング・レコードが発売した『’71年 全日本フォークジャンボリー 出逢いの記録』(2枚組)である。

ここで聞いた「赤色エレジー」(あがた森魚)、「自転車にのって」(高田渡)、「かみしばい」(岩井宏)、「面影橋から」(小室等と六文銭)、そして、よしだたくろうの「人間なんて」は、これまた衝撃であった。特に、渡氏の唄の前の、たくろうと御大のやり取り、それに続く渡氏のコメントが印象的であった。

さらに、同級生はこんなのも面白いといって、『泉谷しげる登場』を聞かせてくれた。

一曲目の「白雪姫の毒リンゴ」から熱い唄を聴いた。

この時点で、完全にノック・アウト。

フォーク・ソングの虜となった。

笑!!!

 

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私の音楽遍歴 第7回

2009-03-30 | 音楽遍歴

’71年4月、ギター少年と同じクラスになる。

その同級生の自宅を訪れたとき、よしだたくろうのアルバム『ともだち』を聞かせてもらう。

そのしゃべりと唄のユニークさに仰天。

その後、そのレコードを借りて、英会話の勉強のために買ってもらったカセット・テープレコーダーに録音させてもらった。

今のラジカセと違って、ステレオ録音コードなどはないので、レコーダー付属のマイクロフォンで録音した。

まだステレオを持っていないので、従兄の家で録音させてもらった。

この時に聞かせてもらった、グランド・ファンク・レイルロードの『ライブ』は、ラジオで既に聞いていた「アー・ユー・レディ」や「ハートブレイカー」は聞けたものの、他の曲には関心はいかなかった。

さて、録音した『ともだち』を繰り返し聴くのであるが、斉藤哲夫なる人物の名を知ることになる。

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私の音楽遍歴 第6回

2009-03-28 | 音楽遍歴

深夜放送を聞くようになって、ロックと出会う。

レッド・ツェッペリン「移民の歌」、グランド・ファンク・レールロード「アー・ユー・レディ」、「ハートブレイカー」、マウンテン「ミシシッピー・クイーン」、「ベートーベンをぶっ飛ばせ」、サンタナ「ブラック・マジック・ウーマン」、シガゴ「クエッションズ68/69」、ビートルズ「カム・トゥゲザー」、「ゲット・バッグ」、「レット・イット・ビー」など。

フォーク・ソングでは、

遠藤賢司「カレーライス」、はしだのりひこ「花嫁」

唄の中に出てくるニール・ヤングとは、何者なのか、この時点ではさっぱりわからなかった。

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私の音楽遍歴 第5回 

2009-03-27 | 音楽遍歴

深夜放送を聴き始める切っ掛けは、中学1年の冬休みである。

4畳半と6畳間と台所とお風呂、トイレという借家住まいであったので、

両親らが寝た後、年賀状を書きながらラジオのスイッチを入れた。

当時の中波は、あまり遠くのラジオ局の放送を受信できなかったので、

ニッポン放送のオールナイト・ニッポンやTBSラジオのパック・イン・ミュージックなどは聞けなかった。

で、地元のCBCラジオから聞き始めた。

確か、「ビップ・ヤング」とかいう番組名だったと思う。

当時人気ブラス・ロック・バンド、シカゴのインスト曲に乗って始まった。

うろ覚えだが、中村美恵とかいうDJだったと思う。確か、水曜日担当。

裏番組は、東海ラジオの「ミッドナイト東海」。天野鎮雄、森本レオともう一人、女性だったと思う。3人で曜日を分けていた。

しばらくは、CBC派であった。

フィフス・ディメンションの「アクエリアス(輝く星座)」とか、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」とか、ドーンの「ノックは3回」とか聞いたであろう。

サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」、「明日にかける橋」、「ミセス・ロビンソン」、「スカボロ・フェア」も耳にした。

GSや和製ポップスと違う響きが胸を打った。

そして、FMラジオの時代がやって来る。

 

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私の音楽遍歴第4回

2009-03-17 | 音楽遍歴

グループ・サウンズ全盛の時代に、ラジオでザ・タイガースの番組を一度だけ聞いたことがある。

中学生になって、某放送局の英語教育放送を聞くようになった。学校の授業のためである。

家にあった中波専用ラジオで、ある時、夕食後からずっと放送を聞いていた。

番組名は忘れてしまったが、いわゆるポップスが流された。

それまでは、テレビ番組の『ザ・ヒットパレード』で歌われた日本語訳のポップスにしか親しみはなかった。

ラジオから流れた音楽がとても新鮮であった。

1年生の時、学校の文化祭行事であったと思うが、音楽教室にポップスが流れた。

特に、印象に残った曲が、マッシュ・マッカーンの「霧の中の二人」である。

いわゆる洋楽のヒット曲を聞くために、電話リクエスト番組を聞くようになる。

そして、いよいよ深夜放送へ突入していく。

 

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私の音楽遍歴 第3回

2009-03-01 | 音楽遍歴

小学校へ行く前に、見ていたテレビ番組がある。

午前7時20分から始めるその番組は『ヤング720(セブンツオー)』である。

若者向けの情報番組で、曜日ごとに司会者が替わっていたと思う。

その中で記憶に残っているのが、クロパンこと黒澤久雄と当時の人気アイドルであっ

た小山ルミである。

番組開始当初は、GS(グループ・サウンズ)の全盛とともにあったので、GSグルー

プの曲紹介があった。

そこで、テンプターズを知ったと思っている。タイガース・ファンからテンプターズに乗

り換えた切っ掛けに、この番組がなった訳である。

また、タイガースに岸部四郎が新加入するニュースや、「受験生ブルース」や「帰って

来たヨッパライ」、「ケメコの唄」も、この番組で知ったと記憶している。

テレビしか音楽情報を手に入れる手段がなかった時代(年齢)である。

アカオのマメタン?

その後、受験生になった私も、お世話になった。笑!!!

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私の音楽遍歴 第2回

2009-02-19 | 音楽遍歴

このブログに「ゴジラ」のことも書いていますが、

音楽を意識したのは、初めて見た怪獣映画『モスラ対ゴジラ』と併映された加山雄三

主演の『エレキの若大将』が切っ掛けです。

(注:記憶とは、実に曖昧なもので、調べてみると、『エレキの若大将』の上映は’65年12月なので、併映作品は『怪獣大戦争』となります。悪しからず。)

それまでに耳にしたことのないエレキ・サウンドは衝撃的でカッコイイものでした。

寺内タケシは、まだバニーズを結成していない頃です。

この後、シングル発売された「運命」を従兄のところで聞き、テレビでは聞けない音楽

の存在を知りました。

同時期に、叔父のところでスパイダースの「夕陽が泣いている」を聞いたり、

従兄がビートルズではなくストーンズ派で、シングルで聞いた「テル・ミー」も刺激的で

した。

やがて、GS(グループ・サウンズ)全盛時代を迎えます。

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私の音楽遍歴

2009-01-25 | 音楽遍歴

『リッスン ジャズとロックと青春の日々』(中山康樹著 講談社文庫)を手にして、

まだ、75ページを読み進めたところである。

この本は、『スイングジャーナル青春録[大阪編]’98年刊、[東京編]’99年刊』の2冊を1冊に再編集したものである。

上記2冊は、発売当時に購入し読み終えている。

本文庫本は’07年3月発行のもので、発行時に購入している(はず)。

で、多分、ダブっていることは承知で購入した。

これを読んでいて、目新しい音楽に接してワクワクしている主人公を我が事のように置き換えて読んでいる自分を感じていた。

前置きはさて置き、私が最初に購入したレコードは、LPレコードである。

シングル・レコードは、ヒット曲をA面に、B(裏)面に1曲という構成で、小遣いの少ない学生では、シングルの購入はお金がもったいないように感じられた。

まだ、ステレオなど手元になく、音楽は主にFMラジオで聴いていた。

だから、ヒット曲を聴くだけなら、これで十分であった。

中学2年の時、フォーク・ブームがやって来た。

同級生から、よしだたくろうの『ともだち』を借りて、英語の勉強用に買ってもらった単体のテープレコーダーで録音をした。

歳の離れた従兄が近所に住んでいたので、そのステレオを借りた。

スピーカーから出てくる音をレコーダーの外付けマイクで拾った。

この時に、従兄が持っていたレコードが、グランド・ファンク・レイルロードの2枚組ライブアルバムで、これを聴かせてもらった。

「アー・ユー・レディ」や「ハートブレイカー」はラジオで聴いたことがあったが、全編聴き通した後の爽快感は何とも言えなかった。

中学3年になって、両親と約束をした。

志望の高校に合格したら、ステレオを購入してもらうことを。

まだ、ステレオも持っていないのに、

その当時、夕方5時から始まったFM番組のオープニング・テーマ「オープン・アップ・ワイド」を演奏していたブラス・ロックバンド、チェイスの邦題『追跡』を始めて購入した。

バンドは、リーダーのビル・チェイスが飛行機事故で亡くなったため、3枚のアルバムを残して消滅した。

1度、来日公演を行っている。是非、当時の映像を見てみたい。

今、輸入盤で、LP3枚分がCD2枚組となって発売されている。

画像の、右上が『追跡』、左下がセカンド・アルバム『エニア』、右下がラスト・アルバム『ピュア・ミュージック』である。

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