今年は、日本とトルコ友好125周年を迎えたそうです。
両国の絆の深さを映し出す、史実を基にした物語が映画「
海難1890」になりました。
1890年貧しかったはずの漁師村の人たちが、夜間に台風で座礁し爆発したトルコのエルトゥール号の乗員を助けたお話からはじまります。
わずかな蓄えの糧をさしだし村民総出での救出は大変だったろうと・・・
なおかつ生活を支える漁を休み、遺留品を捜索すろ姿は感動ものです。
笹野さんが演じた村長・沖周さんが日記を残していたのもすごいですね。
貧しいはずの村なのに500体ものお棺をそろえたのだそうです。
しかもその費用や医療費も請求しなかったらしいです。
今の日本人にその気概があるのかは???
内野聖陽さんが大人のいい味を出しています。
【映画の概要】以下は抜粋
1890年9月、オスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」は帰国の途中、和歌山県樫野崎(現:串本町)で台風に遭遇し、船が大破して沈没。
乗組員600名以上が嵐の海に投げ出され、500名を超える死者を出す、当時としては世界最大規模の海難事故となった。
このとき荒れ狂う海で生命の危機にさらされたトルコ人を目の当たりにした地元住民たちは、台風の高波の中に身を投じて漂流者を助け上げるなど、献身的な救助活動を行った。
これによって乗組員69名の命が奇跡的に救われたのである。見ず知らずの外国人を、命がけで助けた彼らの行動はトルコ国民に感銘を与え、トルコの教科書にも取り上げられて後世まで伝えられている。
そしてこの救命活動こそが、トルコと日本が友情で結ばれる原点となったのだ。
それから時を経た1985年3月。イラン・イラク戦争が長期化する中、サダム・フセインはイラン上空を飛行する航空機に対して48時間後に無差別攻撃の開始を宣言。
各国が救援機を飛ばして自国民を脱出させる中、日本はイランへの定期便を持っていなかったこともあって救援機の派遣を即断できない状況にあった。
テヘランに残された邦人は300名以上。刻一刻と攻撃までのタイムリミットが迫る。
緊迫した事態を打開するため、イランにいた邦人は官民一体となってトルコへ日本人救出を依頼。
その申し出を受けたトルコのオザル首相の英断により、救援機がテヘラン空港へと向かった。
このとき空港に集まっていた215名の日本人は、攻撃の2時間前にテヘランからの脱出に成功。
その陰には自国機が到着したのにもかかわらず苦境に立つ日本人の搭乗を優先させてくれた、トルコ人たちの真心があった。
困難な状況の中にあって名誉や見返りも求めず、ただ目前の人を救おうと行動を起こした125年前の日本人たちと30年前のトルコ人たち。
その勇気と誠意を映し出した真実のドラマが、日本の外務省後援、トルコ政府全面協力という国家的支援を得て、壮大なスケールの合作映画として描かれている。
テヘランのお話は涙が出て大変でした。
実際にニュースでは聞いたことのあるお話でしたが、映像で見て当時のトルコの人々の勇気に感謝です。
日本人に飛行機の座席を譲った人たちは2日をかけて陸路で国境を超えたのだそうです。
実際は全員無事だったのでしょうか。。。
その辺の事実を知りたいですね。
ぜひともお若い人たちにも見てほしい映画です。
『片足の海鳥さん』からお願いです。
釣りをなさる皆様、釣り糸を長いままで捨てないでください。
『決してリードは、放しま宣言!!』
に賛同しています。