電車道

多趣味なので、いろいろなことをしています。気ままに語ります。

電車道へようこそ!

当ブログ『電車道』にお越しいただき、ありがとうございます!

電車道とは…
廃線あとの道路・・・想い出を辿りながら新しくしていく喩え。
相撲で立会い一気に押し出すこと…目標に一直線に進む喩え。・・・でんしゃみち。
マナーと良心を持って鉄道を楽しむことをいう造語。・・・でんしゃどう。

いろいろ悩んで日本の将来のために教育業界に就職しました♪♪ 小学生を相手に塾で理科の先生をしています。

ナナシサンのHNはヤママユガ科の和名から。

ご意見・ご要望などは各記事へのコメントのほか、以下のメールアドレスへお願いします。
kousuke.tkk8500@gmail.com
相互リンクのご希望なども気軽にコメントください!!

このブログは以下2個のランキングに参加しています(右の2個は同じランキングです)。 是非、下のボタンから投票をお願いいたします。 別々のランキングですので、両方に投票いただければと思います。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 その他ペットブログ 蝶(チョウ)へ にほんブログ村 鉄道ブログへ
ちょくちょく更新してますので投票お願いします!!
あなたの投票が私のヤル気につながります。
日頃のご愛読とご投票、ありがとうございます!おかげさまで日々有意義な生活を送っております。


↓↓ 最新記事はこの下に投稿されます。 ↓↓

変わった疑問

2009-02-28 10:08:57 | いきものと科学
色覚ってあるじゃない。
人の色覚が少しずつ変化したとき、たとえば青が緑に見えるようになったとき、その人はそれを「青」と認識するか「緑」と認識するのか。

そもそも色覚が絶対的なものであるという保障はどこにも無くて、光の波長による違いを色として認識しているだけで、それが本当に「赤」なのか「青」なのかは分からない。
光の波長によって「緑」と呼んでいるものが、ある人には「赤」に見えていて、それを「緑」だと感じているかもしれないのである。
たとえば「緑色が好きな人が多い」っていうのは、きっとその波長が生物にとって隠れ家のある波長あるいは食料に溢れていることを象徴する波長として認識しているだけで、その「緑」自体が綺麗だとおもっているわけではなく、「青」だろうが「赤」だろうが本能的に「いい波長」として認識しているかもしれない。

たとえば、先天性青黄色覚異常者と呼ばれる人たちは全く不自由なく別の色覚で生活しているし、先天性赤緑色覚異常者と呼ばれる人たちも若干の不自由が生じるとされるが別の色覚を持っているといえる。
これらは錐体細胞が人と違っていることで起きるものだが、このような事例では本来青色を感じる錐体細胞が人と違うことで脳では黄色であると判断しても、その「黄色」はきちんと青色として認識できる。
この事例は錐体細胞による違いなので、先天的であれば経験で区別できるかも知れないが、緑も赤も「赤」に見えるなど、ダブる色が存在して感じ方にムラは出うる。
脳での判断が「ずれている」場合などは、生活上全く不自由しないのは言うまでもない。
きちんと錐体細胞は「赤」「青」「緑」として色を脳に伝えているのだから。

さて、色覚が少しずつ変化した場合、それに適応できるようになるのか、あるいは違う色に見えるようになるのか。
後天的色覚異常と呼ばれる人たちのように、急激に1つの色覚がずれれば違和感があるに違いないが、少しずつなら気が付かないのではないかなとも思える。
それなら実際に起こっていてもだれも気が付かないわけだし、そもそも起こりえないようなシチュエーションかも知れませんが。
まぁ、原色同士でズレが起こればダブる色が出てくるからすぐ分かるわけですが。


ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
このブログは以上2個のランキングに参加しています。
是非、上のボタンから投票をお願いいたします。
別々のランキングですので、両方に投票いただければと思います。