電車道

多趣味なので、いろいろなことをしています。気ままに語ります。

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電車道とは…
廃線あとの道路・・・想い出を辿りながら新しくしていく喩え。
相撲で立会い一気に押し出すこと…目標に一直線に進む喩え。・・・でんしゃみち。
マナーと良心を持って鉄道を楽しむことをいう造語。・・・でんしゃどう。

いろいろ悩んで日本の将来のために教育業界に就職しました♪♪ 小学生を相手に塾で理科の先生をしています。

ナナシサンのHNはヤママユガ科の和名から。

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科学教育の機会均等について

2017-01-16 11:23:37 | いきものと科学
大水害、昆虫は生き残れたか 小4が研究、生命力に驚嘆

こちらの記事について思ったこと。


将来有望に思う一方で、両親が昆虫の研究畑出身というのは有利。
本人達の成果に水を差す意図ではなくて、それを運営・運用する人間に課題の提起をしておきたい。


自宅作業の課題って、代わりにやるようなことはしてないとしても(そういう親もいるけど)、例えばその道の研究者の親は商売人の親が出来るのとは全然違うアドバイスができる。
しかも小学生の自由研究って親と二人三脚というか、多かれ少なかれどこかに脚を運ぶとか、買う材料を選ぶとかだけでも、親の協力や判断が介入する。
この子の場合も、標本のラベルが印刷であることからして、不正とは思わないけれど、本人だけの力で完成させたものでないことは示唆される。

本人にとっては全く悪いことないし素晴らしいことなんだけど、こういう完成したものを提出するタイプの受賞歴って、もちろん業績としての評価は必要だけれど、単に本人だけの業績として判断するのは危険というか(むしろ私なんかは少子化や育児に課題の多い現代、地元の職人の親が伝統について小学校に呼ばれて話しにくるのと同じ感じで、単に学区・地域の人材バンクとして上下関係をつけないなら親としての業績判断もして良いぐらいと思うのだけど)、周りの運用する側が使い道に注意しないといけないと思う。

例えば受験の内申点が大幅に上がるとかになってくると、広く見渡したときに子供達の将来を拓くようで実は子供のうちから格差の固定化をすることになってしまう。
実力差の固定化ならまだ良いんだけれど、環境格差の固定化は私は看過できない。


私が小学生の低学年頃、もう20年近く前なのが驚きなのだけど、自由研究キットみたいのの創成期だったわけね。
夏休みの自由工作で、見覚えのあるキットの作品を提出した同級生が区か何かの最優秀賞を獲ったわけ。
当時のお偉いさんだから審査員は全員が買い物なんて行ったこともないような所謂「昭和の男」だったと思うんだけど(差別的な意図はなく旧態を表現するために敢えてジェンダーバイアスかけてます)、恐らくそれがキットである事に気付けなかったんだと思う。
キットの説明をしっかり読んで、その通りに作るというのは、小学校低学年では難しいことで素晴らしいけれど、工作の最優秀賞としては不適格だったと思う。
当時は内申点とかの将来に関わる評価の部分については何も思わなかったけど「こんなものかよ」って思ったよね。


ここ何年かは、例えばこの研究報告もそうだけれど(科学の芽自体は昔からあったけど)中高生で論文を出したり学会発表をしたり、テスト中心の学問からアカデミックな世界に子供達を入れることを積極的に行う創成期だと思う(そういう意味では生物学オリンピックみたいな科学五輪も時代遅れになってきてるかな、悲しい。)。
そのときも、同様な問題を考える必要がある。

大学入試センター試験が昨日であったけれど、入試でもこのような一発テスト式を旧態依然と見る向きがある。
確かにそれには同感だけれど、ならば中高生の業績をどうフェアに判断するのかは課題だと思う。

例えば教員の能力や学校と研究機関との繋がりが如実に出るし、地域格差も教育の質的な有利不利はもちろん遠征費用みたいな金銭的な部分まで及ぶし、理系分野でかつ遠征を伴うのであれば特に古い価値観の人の多い地方では親の協力の側面では女子が不利だったり、逆に最近は女子にだけ門戸が開かれてる実験講座が多くて最先端に触れられるかどうかは男女でも機会均等ではない。


少なくとも、今まで業績を判断してきた場、例えばポスト採用や就職などと同じ評価の仕方が必ずしも教育の場で適切とは思えない。
機会均等でないのは大人でも同じだけれど、機会均等になる権利が機会均等でないのは良くないというか、どんなに不利でも、どんなに遠回りでも、建前上は自分で稼いだお金で自己責任において平等な権利の下なんでもできる大人とは違うと思っている。
残念ながら、その答えを私は提言できないけれど。



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