リウマチの治療が始まって数ヶ月した頃、娘とロイヤルホストにご飯を食べに行きました。
ロイヤルホストで記念撮影をしました。もうスマホのカメラが見えなくなるくらい、こみあげてくるものがあって、ついにここに来たぞとその幸せを噛み締めていました。自分が何を食べたのかは忘れてしまいましたが、娘はバジーちゃんというはちさんのパンケーキを食べていました。この上なく幸せな時間でした。
今考えると恐ろしい生活だったなと思うのですが、外食ができませんでした。正確には家族の手助けなしに、と言うべきですが、手助けが必要な人を連れての外食は家族も面倒ですから、ほぼしていなかったと思います。
よくわからないのですが、食後に倒れ込んでしまっていました。低血糖だったのか、低ナトリウムだったのか、いずれにしてもにっちもさっちもいきません。動けないのです。食事の片付けはほぼ主人の仕事でした。
低血圧もありました。上が70というのだから、厳しいにもほどがあったと思うんですね。よく立って歩いていたなと思います。
精神力一本でした。
いくつも娘としたいことがありまして、理想も願望も山のようにありました。
なんて世俗的で残念な人間なんだ、高すぎる理想だと諦めていたのですが、よく考えたらファミレスで子どもとふたりで外食するって理想ではなくて普通のことですよね。
それを手が届かないような夢の世界の出来事だと思っていたんです。もう今考えれば歪んだ思考ですよ。
公園に毎日行きたいって思って出産したんですね。ところが行けない。全然行けない。
毎日公園に連れて行ってあげているお母さんはすごい、すごすぎる、神様のようだと崇めていました。私はそんなことできる素晴らしい人間ではないのだと、散々蔑んでもいました。そうでもしないと、この状況を受け入れられなかったのでしょうか。振り返っただけですが、ちょっとかわいそうですね、私。
こんなダメな母親に育てられる娘がなんと不憫なことかと、本気で娘に申し訳なく思っています。せめて大好きだということだけは伝えようと、そう思って過ごしていました。
そして、親はなくとも子は育つといいますから、不衛生でなく、栄養をとって運動をして、健康に育ってくれればこの子の人生何とかなるだろうと思っていました。できれば心はしなやかに育ってほしいとも思っていました。
そんな折、新しい病気が発覚しまして、診察室でぼんやりその話を聞いていますと
「大丈夫だよ!?きっと良くなるからね!心配しないの!」
と、目の前の怖そうな先生が私の膝をぱしぱしと叩きながら言いました。
えっとー、この生活は終わるのですか?え? もう、言葉にはならないのですが、顔には全部書いてあったのでしょうね。先生が怖い顔で痛む膝を問診した後に笑いながらぱしぱしと 笑
それでも疑いしかない私と主人はぼんやり帰宅しまして、治療が続きました。
副作用で倒れたこともありますが、3ヶ月ほどしたころ、底を打ったぞと思うような、一段ステージが変わったような感じの体調になりました。
もちろん人並みとは程遠いですけれども、先生が言っていたことは本当でした。
そして、ついに、ファミレスへと!冒険に繰り出したのです。
私と娘とふたりで。
大冒険だったんです。達成感も充実感も十二分の旅。もうこの上なく幸せな旅でした。
しばらくこの話をヘルパーさんが来る度にしました。みなさん、よかったねえって言ってくれました。
「当たり前のことができる幸せってあるよね」。
そうなんです。当たり前のことができるって、幸せなんです。特別なことも幸せなんですけど、当たり前のことができないってそれだけの衝撃なんですよね。だから、できるようになった時の幸せはひとしお!!
今でもロイヤルホストは私の憧れのファミレスで、思い出のファミレスで、前を通るだけでじーんとします。
その後しばらくしてから、全く別の場所でハチのバジーちゃんに偶然出会いました。娘が気づきました。ご縁を感じて、すぐに購入してしまいました。今でも家にたたずんでいます。
娘にとっても大切な思い出のようです。
幸せはすぐそこに転がっているものかもしれませんが、やっぱり手に入れるのは大変です。
やっぱり幸せって特別なことをすることなんでしょうか。
んー!難しい!