なんだかんだで一番からだにいいらしいよ、と教えてもらったウォーキング。
たかが散歩してるだけじゃないの、という悲しいツッコミをしていられたのも再発前まででした。歩けなくなったのです。
歩けなくなるほどなぜ痛みが増したのか、またなぜそこまで病状が悪化したのか、そうした原因は今でも不明です。
おそらく下垂体の機能が一層落ち始めて、それに伴って体の方がうまく機能しなくなって、それで、、みたいなデフレスパイラルのような状況だったと思います。どこに手を加えても関連してしまっているので著効するものが見つからない状況でした。
そんな折、同年代の人から比べて筋力もずいぶん足りないから、運動してくださいね、ととある別の医療機関に検査したあとに軽く指導がありました。
筋力の低下は百も承知だけれども、筋力をつけられるだけの運動などとてもできる状況にないのです。
一体どうやって運動しろというのだろうと、その時は非常に困惑し、悲しくなりました。
私は痛くてだるくて辛くて動けないと言っているのに、どうして運動しろと言われなければならないのか。
運動させてほしい、その私の願いは届かない。
またしても、誰も理解してくれないのだという危険な思想が私を包んでいました。
家にいると塞いでしまいますので、主人が休みの時には外に出してもらいました。車椅子で連れ出してもらい、娘の手を杖代わりにしたり、主人につかまったりして、それはそれは短い距離をたいそうな時間をかけて歩きました。
車椅子を押して道を歩くというのはとても重くて大変そうで、娘もタイヤに手を挟まないようにだなんだと注意を受けまくりで、申し訳なく思いましたが、私には大切で幸せな時間でした。
私の相棒の杖がやってきてからもしばらくは本当に歩くのが苦痛でした。恥骨痛みたいなものや坐骨神経痛みたいなものに加えて、股関節がうまく動かないような感覚、そして膝に力が入らず、足首から下は痺れて感覚がおかしいのです。
牛歩戦術!と言って笑いながら歩いていましたが、足を引きずりながらようやっとこさ。歩いているというのもおこがましいレベルです。痛みと暑さからか、あぶら汗でふうふうです。
もう情けない姿だったと思うんですけど、必死すぎて恥ずかしいとか、情けないとかそういう感情も湧いていませんでした。
それでいて1時間かけて歩いたのは100m、みたいな 笑
よくもまあ家族たちも付き合ってくれましたよね。夏のあっつい日に。娘なんか顔を真っ赤にしてついてきてくれていました。
危ないから水分補給!とか偉そうに指導してましたけど、お前さんが歩かなければそれでいいのにねとその場でこっそり自分につっこんでいました。ごめんね、娘よ。
主人もまた滝のような汗を流して、手ぬぐいを2枚ほどびしょびしょにしてもなおTシャツまで大変なことになっていましたが、それでもついてきてくれました。私は主人に対しては、汗をかいた方が健康になっていいよ!と言っていましたが、それは心底そう思っていました。なんせ運動不足で健康診断で問題が出てきましたので、これは由々しき問題です。がんばれ、夫よ。
こうして牛歩散歩を続けること数ヶ月。
正直、散歩ごときと馬鹿にしていた自分を責めました。立派な運動だと胸を張れない分、余計に惨めな気持ちになったこともありました。たかが散歩ができない自分が受け入れられない時もありました。でも、散歩くらいしかやれないので、やるしかない、その一点張りでした。
激痛に耐えながら日々、どこが痛いのか、どこが楽になったのかを報告し、自分の中で消化していきました。
ストレッチも自分では痛くてうまくできないので、自宅でマッサージもしてもらっていました。
プロテインも様々に、量も内容も、サプリメントも工夫しました。
とにかくひたすらにがんばりました。
これはもう、自分で言います。がんばりましたし、今も継続してがんばっています。
教えてくれたママさんに言いたいのは、確かに歩くことは体にとてもいいのだということ!その教えがなければ、本当に効果があるのかも疑わしい中で辛すぎて継続できなかったかもしれません。地味な運動だけど、効果はあるのだと言い聞かせて言い聞かせて頑張ったら本当に効果が出ました!
確実に私は良くなっています。ありがとう!!
コロナ禍にあっても、散歩だけは続けています。頑張っています!!