写経との出会いのエピソードをひとつ。
般若心経といえば、高校生の時の世界史の授業で暗記したことが出会いです。
世界史の先生はとても独特な、それは外見からもはっきりとわかるほど独特な世界観を持っている方でした。
その先生が般若心経を暗記しなさいと生徒たちにプリントを配ります。
「あのね!今覚えたって、絶対忘れちゃうんですよね。」
先生、元も子もないことを冒頭に言います。
「でもね、覚えたってことが大事なんですよ。はい、がんばってー。」
先生、がんばりますけれども、覚えるの結構大変です。全部漢字だし、しかも読んでみると絶対当て字じゃないの?という字がたくさんあって覚えにくいです。しかも、華の?うら若き女子校生がですよ?集団で般若心経を唱えながら登下校したりするんですよね。もう怪しい集団にしか思えない。私だったらぎょっとするし、近づきませんよと。
普通に元気な時だったのですが、あまり記憶がなくてですね笑、でも確か、一言一句間違えずに書けなかった生徒は追試だったような気がします。
先生、意外とスパルタ。
ぶーぶー言いながらも何とか覚えましてですね。みんなでカリカリと般若心経を書きましたとも。懐かしい過去の記憶です。
そして、先生のおっしゃるとおり、きれいさっぱり忘れました。
ただ、そもそもずっと疑問だったんですね。
先生は確か古代ギリシアがご専門で、授業の進捗からしても中国とかインドとか仏教とか、授業で扱っていませんでした。にもかかわらず突然「般若心経」を覚えましょうと言われるのですから、びっくりしたのです。経典の解釈とかも一切なし。ただの暗記大会です。
何なら別の教科の先生に「お坊さん先生」がいらして、その先生から暗記しなさーいと言われるならまだしも、そういうこともない。そもそもお坊さん先生も、僧侶としてのおもしろエピソードはたくさん話してくださいましたが、教えとか講和とかそういうことは全くなかったですね!要するに学校の方針というわけでもありません。
きれいさっぱり忘れはしましたが、でもこうやってずーっと引っかかっていたのは事実です。
何かこうしてつまづいた時に、出逢えるようにと先生が準備してくださっていたのかもしれません。
家族で旅行をした時に、お寺に行きました。
全く信心深くもないくせにいつものとおりお守りがほしいと思いました。見本が天井から下がっている板に綺麗にありますので、しげしげと見ていましたら「写経」というのがあるんですね。なんだろう、写経ってと。
娘と選んだお守りを買うついでに、写経とは何ですかと聞いてみましたところ、素晴らしい和紙と見本が入っていて、写経しましたら仏様にお供えしますとのことでした。そのお供え代としてお代をいただいています、というようなご説明でした。
途中、写経はしたことがありますか?と聞かれて、いや、全くと答えましても、嫌な顔ひとつされませんでした。ものみゆさんで聞いたのに嫌な顔されず、初心者も歓迎してくださって、興味をもってくれてありがとうくらいのやわらかな対応でした。何かこうしたやり取りだけでもすごくあたたかい気持ちになりまして、それこそご縁を感じて、これはやってみたい!と即座に思ったのです。
パパ、買っていいですか?
隣にいる主人に聞いてみますと、は?写経なんぞやるの?君が?みたいな反応かなあと思ったら、
「え?写経するの?ぜひやってみなされ。」
とまあ、こんな塩梅でむしろ背中を押されました。
その後、ちょっと素敵な筆ペンと写経練習用紙を購入しまして、私の写経生活は始まりました。