トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

リハビリ(写経②)

2021-02-02 03:43:49 | 病気

写経との出会いのエピソードをひとつ。

 

般若心経といえば、高校生の時の世界史の授業で暗記したことが出会いです。

世界史の先生はとても独特な、それは外見からもはっきりとわかるほど独特な世界観を持っている方でした。

 

その先生が般若心経を暗記しなさいと生徒たちにプリントを配ります。

「あのね!今覚えたって、絶対忘れちゃうんですよね。」

先生、元も子もないことを冒頭に言います。

「でもね、覚えたってことが大事なんですよ。はい、がんばってー。」

先生、がんばりますけれども、覚えるの結構大変です。全部漢字だし、しかも読んでみると絶対当て字じゃないの?という字がたくさんあって覚えにくいです。しかも、華の?うら若き女子校生がですよ?集団で般若心経を唱えながら登下校したりするんですよね。もう怪しい集団にしか思えない。私だったらぎょっとするし、近づきませんよと。

普通に元気な時だったのですが、あまり記憶がなくてですね笑、でも確か、一言一句間違えずに書けなかった生徒は追試だったような気がします。

先生、意外とスパルタ。

ぶーぶー言いながらも何とか覚えましてですね。みんなでカリカリと般若心経を書きましたとも。懐かしい過去の記憶です。

 

そして、先生のおっしゃるとおり、きれいさっぱり忘れました。

ただ、そもそもずっと疑問だったんですね。

先生は確か古代ギリシアがご専門で、授業の進捗からしても中国とかインドとか仏教とか、授業で扱っていませんでした。にもかかわらず突然「般若心経」を覚えましょうと言われるのですから、びっくりしたのです。経典の解釈とかも一切なし。ただの暗記大会です。

何なら別の教科の先生に「お坊さん先生」がいらして、その先生から暗記しなさーいと言われるならまだしも、そういうこともない。そもそもお坊さん先生も、僧侶としてのおもしろエピソードはたくさん話してくださいましたが、教えとか講和とかそういうことは全くなかったですね!要するに学校の方針というわけでもありません。

 

きれいさっぱり忘れはしましたが、でもこうやってずーっと引っかかっていたのは事実です。

 

何かこうしてつまづいた時に、出逢えるようにと先生が準備してくださっていたのかもしれません。

 

家族で旅行をした時に、お寺に行きました。

全く信心深くもないくせにいつものとおりお守りがほしいと思いました。見本が天井から下がっている板に綺麗にありますので、しげしげと見ていましたら「写経」というのがあるんですね。なんだろう、写経ってと。

娘と選んだお守りを買うついでに、写経とは何ですかと聞いてみましたところ、素晴らしい和紙と見本が入っていて、写経しましたら仏様にお供えしますとのことでした。そのお供え代としてお代をいただいています、というようなご説明でした。

途中、写経はしたことがありますか?と聞かれて、いや、全くと答えましても、嫌な顔ひとつされませんでした。ものみゆさんで聞いたのに嫌な顔されず、初心者も歓迎してくださって、興味をもってくれてありがとうくらいのやわらかな対応でした。何かこうしたやり取りだけでもすごくあたたかい気持ちになりまして、それこそご縁を感じて、これはやってみたい!と即座に思ったのです。

パパ、買っていいですか?

隣にいる主人に聞いてみますと、は?写経なんぞやるの?君が?みたいな反応かなあと思ったら、

「え?写経するの?ぜひやってみなされ。」

とまあ、こんな塩梅でむしろ背中を押されました。

 

その後、ちょっと素敵な筆ペンと写経練習用紙を購入しまして、私の写経生活は始まりました。


リハビリ(写経①)

2021-02-02 03:03:24 | 病気

リハビリを兼ねて、ついに写経をするに至っています。

筆ペンで般若心経を書いています。

 

当初、写経をして般若心経を読んだりしている、などと友人に話したりすれば、何かよからぬことを始めたと思われるのではないかと心配しました。なぜでしょう、仏教のイメージは信長と延暦寺のせいなのかあまりよくないのです 笑。しかし、何か、それこそご縁を感じたんですね。やってみるぞーとなったのです。

 

そもそも、きっかけはペン習字でした。

手がぶくぶくに浮腫んで太って痛い。

何より問題に思っていたのは脱力してしまう体調の悪い時に、どんなに軽いものでも落としてしまうことです。

それが本だったりすると、運悪く足に落とそうものなら足に大きなアザができてしまいますし、そもそも持っているものが壊れてしまうかもしれません。一番怖かったのは料理中で、包丁を落とした時ですね。すっぽ抜けるので自分が一番驚いていると思います。

身体中、衰えしか感じませんでしたが、手に関しては殊更に強く不便さを感じました。

役立たずめ、と自分を非難するのは簡単ですし、とても虚しく悲しい気持ちになるのは仕方がなかったと思います。

 

しかし、クヨクヨしているくらいなら、手の運動をしなければならないなと感じていました。何か始めてみるかと考えていた時に、娘が「書き方」を、書写をしていたんですね。

これがまた!娘の書く文字は大変汚いもので、どうしたら多少でもよくなるのか頭を悩ませていた時でした。

綺麗に書くようにと注意してもですね、私も大概汚いのです。お手本を示そうにも、何か残念です。

そうか!私も一緒に挑戦してみようとなりまして、字が綺麗になったら私も素敵なことだわ、と本屋さんでなぞれば良いだけのペン習字を買い求め、始めることにしました。

 

私の教育方針のひとつに、とりあえず親も一緒に体験してみると言うのがあります。(教育方針とか言うと、何かご立派な感じですね!そんな大それたものではありませんが 笑、良い言葉が見当たりませんでした!)

やってみると、子どもに要求していたことがどんなものなのかを把握することができるので、私はこういうやり方を大事にしています。

どうしても、うっかり子どもに厳しくなってしまうんですよね。今の話でいくと「なんでこんな汚い字なのよー」とただ責めてしまう、みたいな。練習すればうまくいくでしょうに、とイライラして、なぜいつまで経っても汚い文字なのかとお説教してしまうのが私なんです。自分の字が汚いことを棚に上げて何を言うと、そんなところでしょうか。

そこで一石二鳥とばかりになぞりペン習字をはじめてみたのです。

しかし、なんとまあ、直らないこと!でも、根気強くつづけると1冊が終わる頃には思いの外良い雰囲気が出てきました。もう1冊買い求めまして、やってみる。毎日10分程度。それ以上やると関節が痛いんです。のんびりのんびり。そこは焦らず。でも毎日やるということは可能な限り続けました。

残念ながら、殴り書きをすればまた元のクセ字に戻りますけれども、落ち着いて書くと、始める前に比べたら格段によくなった気がしています。

おおー!

ん?

ということは、娘も少しは良くなるはずだと思いまして、結局鬼母の登場と相成りました。

やればできるはずだと。

と言って、子どもがきれいな文字を書くようになったら誰も苦労しませんよね。結局、学校のお友達で綺麗な文字を書く子がいるということ、先生が綺麗な字を書くとテストではなまるをくれることがきっかけで丁寧に書くことを心がけるようになりました。

学校、さまさまです。

結局心掛けの問題なのかーとがっくりした自分もいましたが、とにかく丁寧に書こうという時間が出てきたことに少し安堵しました。

ただまあ、私自身、バーっと書きたい時に綺麗な文字にならないのだなということがわかりました。あ、もちろん綺麗な方もいらっしゃるので言い訳にすぎないのですが、親がこんな状態ですから娘にはそれ以上を望んではいけないなと自戒できるようになりました 笑。 やはり挑戦してみてよかったと思っています。

 

それから、もうひとつとても良い効能がありました。

それは書いている間、落ち着くことができたのです。背筋を伸ばして座って書く。何を生み出すわけでもなく、全くの無になっているわけでもなく、何なら邪念や雑念の嵐ですけれども、だんだんと慌てている心やざわつく心が落ち着いてくるのがわかりました。

かれこれ、およそ1年くらい前の出来事です。

 

硬筆検定とか、何か成果を出したいなとも思ったのですが、今はまだそういう段階には至っていません。

子どもにはいろんなコンクールとかがあっていいなあと思ったのですが、大人も探せばいろいろあるんですね!でも、自分は出す段階にもないよなあと思うと、逆に子どもはたくさんの挑戦をして評価されていくのだということが大変だなあと思うようになりました。みんなも娘も本当によく頑張っているんですね。

目を見張るほど綺麗になっていなくても、こうして穏やかな時間が少しでも流れることだけでもありがたいなあと思って続けています。