と、勝手に息巻いております。
というのも、私のホットトピックとして、女性の生き方についてずっと考えてきたからです。
現在の日本において、女性というのは実に自分で意思決定をしにくい状況だと思います。
私自身、学生時代からそれは痛感してきたものの、全く変わる気配はありません。
働き方改革も、女性が働きやすく、というのとは何か少し違う気がするのです。
私自身ずっと思ってきたこと、そして娘にどのように教育を施すかを考える上で、女性というのはその時々の状況に合わせて判断をしていかなければならないということ、その柔軟性を身につけるべしということでありました。そのための勉学、健康、体力、精神的なしなやかさが必要かなと。
男性は、学生時代を終えて職業を得て、職業を続けるということに対し何の疑問もないかなと思います。
逆に、続けなければならないという大変さはあると思いますが。
一方の女性は、学生を終えて職業を得たとしても、結婚や出産によって、その働き方に変更を余儀なくされることも往々にしてあります。
そして、働き方も実に様々で、手に職がある人だとしても必ずしもフルタイムの正社員とは限りません。
そのほかにも、親の介護や家族の転勤、病気の看護、その他の事情、等々によって身の振り方を変えることは決してめずらしくありません。
これはとても大変なことだなあと思ってきました。選択肢が多すぎる上に、状況によって変化します。そして何より、何が正解かわからない。
私自身、一体何度決断を迫られたのだろうかと思いをめぐらせばめぐらせるほど、「女は度胸だ!」と今現在こんなことを口にしたら怒られそうですけれども(ジェンダー論的に)、何度も清水の舞台から飛び降りるような思いをしながら決断を続けてきました。
ですから、主人や父親と比べても、決断が早いし突拍子もないとか。
正直家族をびっくりさせるようなことも何回かあって、いまだにびくつかせているようです。
でも、みんな、慣れてきました。笑
むしろ、こうした決断と行動がないと、家族ごと転覆しちゃうかも、とすら思うんですね。私は。
もう、ついてこーい!みたいな 笑(病人だけど、偉そうに先頭に立って歩く時もあります笑)
要するに何が言いたいかと言いますと、女性は柳のように風に吹かれてふわふわ生きているんじゃない、と気づいたんです。
常に決断を続けて、判断を続けて、そして今がある。しなやかな生き様は結果論。
その才能や能力は、今の日本ではもはや男性より女性のが上ではないですかね?だって、そういう環境に置かれ続けましたから。お父さんが失職しました、じゃあ仕事探して、家引っ越して、学校転校してみんなで出直しだ!なんて、よく聞きますけれども、それを支えているのって奥さんだったりしますよね。
みんなその場で考えて行動し、生き抜く。その力は女性にこそ今備わっている。
コロナ、その後の生活、正直何が待っているのかの予測はつきません。
だから、何かが起きた時に考えて行動する、そういう時なのではないかと。その時に必要なのはアイデアと決断、そして行動に違いないと思うのです。文句を言っている時間もなければ、恐れている暇もないのです。
(ちっぽけな例えですみませんが、私は朝起きると自分の身に何が起こっているのかわからないです。すっきり起きられる時もありますが、痛みで全く動けないこともありますし、薬で何とかなりそうな時もあります。しかしその怖さを寝る前から感じていたら寝れないので、その場で考えるようにしています。家族も、朝ごはんは代わりに用意できるようにと準備してから寝ます。こういうルールに我が家がなったのももちろん家庭内で変えたルールで、行動です。家族も心の準備もしますが、いちいち恐怖には思っていません。)
だから、今こそ、女性が立ち上がって何かを考え、社会を動かす時がきたと思えてならないのです。
既定路線も、既存の社会の構造も、もうきっと耐えられない。
今こそ、考えてアイディアを出し合って、突き進む時!!さー!立ち上がろうではないですか!
(と、今日、ひどい背筋痛で起きることができず、家族に大迷惑をかけた私が布団の中で考えました 笑。さー、私も立ち上がれるか!?)