娘が幼稚園生の頃、よく
「他のお子さんとくらべないでください。ご自身のお子さんの良いところを見てあげてください。」
と言われていました。
そうだな、そうすべきだな、と思う一方で、やっぱり比べちゃうんだよなあと思ったり、その場でもすんなりとその言葉を受け入れることができなかったわけですけれども。
今は、むしろ、比較はすべきなのではないか?と思っています。
誰かと比べて「できない」とか「できる」という評価をすることはむしろ社会で生きる上でも必要なことだと思うのです。
そのできるかできないか、を「ダメ」と評価することが問題なのだと思います。
だって、得意分野ってなんだろう?って思ったら、社会全体を見渡して秀でていること、ですよね。得意分野をのばしてあげよう!なんて親心は、比較論の上にしか成り立ちません。
そして、「できない」という事実も、受け入れなければならないとも思います。
できないからダメな人間とか、落ちこぼれとか、そういう悪い評価につなげるのではなくて、そういう分野で活躍するのは控えようとか、そういう結論を導くためには大切な方法だと思います。劣っていることを把握するのは、生活する上で大きな支障がでなければ「控えよう」程度の評価でいいと思うんですね。冷静に自分自身を分析するために必要なことだと思います。
病気になって、私は今の自分を幸せにしてあげたいと思う一方で、比較はとても大切な考え方であると感じています。
昔と比べてできなくなったこと、がありすぎて、現実を受け止められないくらい打ちひしがれた時もあります。確かにダメな比較論の典型だとも思えます。
特に、パン屋さんでパートしてみたいなとか、そういう接客業とか肉体労働が「できなくなった」というのはさみしかったですし、ちょっとどうしていいかわからないときもありました。
でも現実はその通りなのですから。仕方ありません。
何か学校などで学習するにしても、テスト期間にテストを受けに行けないかもしれないというリスクを承知で始めなければいけないということもわかりました。
テストに行けない日があって、そういう不安があるとわかっていたくせに、悔しくて、その場では泣いてしまったことがありました。ちゃんと現実を受け止められていなかったのです。
テストの当日に体調が悪くてうけられずに留年、それが嫌ということで挫折するなら、そもそも挑戦してはいけないわけですね。健康な人とは違うけれど、かといって私が劣っているわけでもないのだから、時間がかかることを覚悟するだけです。何が劣っているかを知ることは何も自身のダメさ加減を知るだけでなく、必要な対処法を知ることに繋がる良いことだと思っています。
でも、テスト勉強はしたのに行けないとか、通常よりも時間がかかるということを受け入れるのは意外と容易くなく、そういう精神力も求められていることを知りました。
さて、本題として他の人と比べて例えば何が秀でているのか、と考えた時、これがまた見つからないので閉口しました。
自分ではわからないので、大体が他の人に指摘してもらったことを挑戦することにしています。
そのひとつが、まさにこのブログを書くことでした。
私のこの病気の経験が、他の人と違って面白いと。
そういうものか?と思いましたが、他の人と違えばそれだけで価値になるのかという発見のような面白さもあって、私は大変に勇気づけられました。
はっきり言ってこの病気の経験は「特異」なものであって「秀でている」わけでは全くありませんが、そんな経験から考え出される思考が少しでも「面白い!」と思ってもらえるなら、これほど励みになることはありません。
子育てにも、私の成長にもつながるなあと思った、他の人との比較。
何事も、あまり否定しすぎないことが肝要なだけかもしれませんけれども。
私はいい意味で利用して使っていきたいと思っています。