写経生活といっても、これまた自由すぎて、本当に信心深い方には怒られてしまうと思います。
でも、最近の私のポリシーは
●良いと思ったものは遠慮せず挑戦してみる
●無理しすぎない
であります。
失礼承知で、いろいろと挑戦しては挫折してみたり、継続できてみたりとしています。写経もそのひとつです。
ひどいもので、心を清めて机の前に鎮座し、などということが全く叶わないときの方が多いです。
もはや隙間時間ですね。ぴらりと写経の用紙を取り出しましてですね、すっと筆ペンを持って書き始めたかと思ったら、ピンポーンとか、洗濯洗濯とか、ああ、足が痛くて座ってられないとか、さまざまな理由で中断します。中断が通常運転なので、今日は数行かければよし!みたいなそんな感じで「継続」していることだけを誇りにしています。
本当に罰当たりなことなんでしょうけれども、これでも私はありがたい恩恵を受けているなあと思うのです。
まずは、筆ペンというものの扱いが上手くなりました。
当初はなんだこりゃ!と自分で驚くほどのミミズ文字っぷりで、そもそも線の太さが統一されません。へえ、こんなにもうまくいかないものかと驚きました。その筆ペンで字を書こうというのですから、とんでもなく下手というか自分の字とも思えないような凄さがありました。
よく考えたら冠婚葬祭の折に少し持ったことがある程度で、数十年ぶりに長時間筆を持っています。
日本人ですが、筆というものと縁のない生活を送っていました。
そして我が家に筆という筆記具が定着しつつあります。
写経を始める際に。
娘がいいないいな!と筆ペンで物を描きたがったので、私と同じ種類の筆ペンを購入しました。
それを聞いて、主人もいいないいな!と言いましたので、主人も購入しました。
我が家の鉛筆たて、なぜか筆ペン祭り。
案の定主人はあまり使っていませんが、娘と私は毎日のように使っています。娘は筆で絵を描いたり、文字を書いたり。漢字の練習ね!とか言いながら筆で字を書いて楽しそうに覚えています。筆のある生活もいいなあと楽しげな絵や文字を見ると思います。
筆記具を変えるだけで、こんなに世界が楽しくなるのか、と面白く感じています。主人はいくつか持っていた万年筆を一本あげたほどです。筆記具の面白さは、また別の機会に。
そして私は隙間時間だし、娘の自宅学習のついでに隣で写経みたいなときも往々にしてあるのですが、それでも不思議と落ち着く時間になるんです。罰当たりでもなんでも、私がありがたいと思っているんだから仏様は許してくれる!と開き直り、明らかに雑な写経を、続けています。文字は少しずつ綺麗になっていますし、心が落ち着くのも早くできるようになっている気がします。
指はおかげさまでずいぶんとスリムになる時間が増えました。鉛筆を持つのと筆を持つのではまた違う筋肉を使うのだと思います。痛みは相変わらずありますが、すっぽ抜けることももちろんありますが、そういう残念な出来事は減ってきているような気がします。
まだお供えできるほどの写経をできる気がしませんので、お寺で購入した写経は丁寧にしまわれたままです。
いつになるのかは、皆目検討もつきません。
でも、おかげで我が家に素敵な習慣がやってきたことは、とても楽しく、ありがたく思っています。