病気の人間の家族というのは、患者とは違った大変さがあると思います。
そしてその大変さレベルは、患者と同等かそれ以上だと思っています。
ひとつは肉体的にも精神的にも、物理的にも時間的にも大きな負担を強いられるということです。
これは言わずもがなですね。
ただ、この詳しい内容は意外と知られていないかなとも思います。これはそのうち書けたらと思います。
もうひとつは、逃げられるということ、から逃げないということです。
患者は病気を受け入れるも受け入れないも、逃げることだけはできません。
逃げるには死ぬしかないわけで、生きる上では逃げることは不可能なのです。
しかし、家族は逃げようと思えば逃げられる。
その中でいかにして向き合うかというのは非常に難しい問題だと思うのです。
かくいう私の家族たちも逃げなかったかといえば、そんなことはありません。
本人たちに自覚がない部分も含めて、逃げたということはもちろんあります。
それを患者である私は責めることもしましたが、かと言って責めきれないな、と言いますか、当然だなあと思っています。
よく離婚しなかったな、よく戸籍抜かれなかったな、よくぐれなかったな、みたいな、これは半分冗談であり半分本気の感想です。
最後に、病気の人の家族というカテゴリーは別だなと思うのです。
そして、その分野で、心理的にも経済的にも手助けがあればいいのになと思うのですが、そういうものは今のところないなあと思うのです。
せっかく手伝ったつもりがうまく行かない時、これなんかは共働きの夫婦で家事を分担している時とあまり変わらないかもしれません。しかし病気の人がいると家事も少し多くなったり、独特のものが出てくるので(例えば収納場所が変わったり、料理もメニューがさまざまになったりします)ぶつかることが多いと思います。お互い余裕もないので尚更かと。
また、病気の家族の治療がうまくいかないことでがっかりという感情がわいてしまう。それを共有できる人はいません。家族同士でも口にすることは我慢しちゃう。なんせ病人自身が一番堪えているのですから、もうやだ!とまでは言えないのですね。
辛さは比較できるものでも、比較するものでもないのでしょうけれども、患者の家族が患者を差し置いて辛いと言うのはタブーなような空気がある気がします。患者の方が辛いと思いがちなのです。真実は別にして。
仮に辛いねと泣き合うことはしたとしても、治療を頑張ると言ってる患者を横目に、その看病は誰がするの?とは言えません。自覚することすらないかもしれません。でも家族も大変な苦労を背負うはずです。そこに対する労りはない、従って逃げてしまう人もたくさんいるのかなと思います。
他にも、笑って欲しい、良くなって欲しい、具合が悪いなんてもう嫌、こだわりの強さとか何なの?神経質すぎやしない?このようなことを素直に言えると楽だと思います。
でも、それを患者に対して言うと楽にはなるけれど、罪悪感もあるように思います。だから他にそんなよりどころがあったら良いのになと私なんかは思います。
1番のあるあるは、
飽きた!
だと思います笑。もう痛いとかだるいとか辛いとか言われるの飽きた!とね。
飽きて当然です!
疲れなかったら頑張ってない証拠です笑
本当にご苦労様なことです。
私はつい、ごめんなさいを言いたくなりますし、よく言っていますが、家族はそれを望んではいないようです。
ありがとうをできる限り言うようには心がけています。
さーて。何かできることはありますかねえ。