平成30年12月25日付け北海道新聞の『論壇』欄に、東京工業大学の中島岳志教授が、以下の記事を投稿していた。
『 そもそも保守は、議論を軽視した強行採決を是としない。保守思想は、人間を不完全な存在と認識し理性の限界を直視する。一人一人の人間は、間違いやすく愚かな存在である。そのためエリートの理性に基づく革命よりも、無名の死者たちが積み重ねてきた集合的経験知や良識を大切にする。
このような懐疑主義的人間観は、自己にも向けられる。自らの主張は間違えているかもしれず、無びゅうの存在ではありえない。だとすると、異なる他者の見解に耳を傾ける必要がある。他者の主張に理があれば、合意形成を行い着地点を模索する。だから、保守派リベラルな精神を重視する。他者を尊重し、意見交換する漸進的改革を大切にする。
安倍政権は、議論を極度に軽視する。その態度には、自分たちこそ正解を所有しているという過信が反映されている。そのような姿が保守であるはずがない。
保守思想を大切にしてきた人たちが、安倍政権に反対する現象は、当然の帰結である。野党共闘は、このような本来の保守派と連動する形で展開されるべきであろう。』
この記事を読んで、次のように思った。安倍総理は、今月16日の総裁選で退陣する予定だが、上の記事にも書かれているとおり、野党共闘は、本来の保守派と連動しなければ小数野党で、日本の政治は変わらないと思う。
だから、日本の政治を変えようとするならば今が良い機会だと思うが、どういう理由か引き続き自民党の総理が首相になるらしい。首相が誰になるにせよ、日本の政治は三流であるのは、政治家及び自分を含む日本人に問題がありそうだ。
ある行政機関に、「変わる時代、変えるスタイル、未来志向」という標語が書かれていたが、標語倒れにならなければ良いと思う。
「十勝の活性化を考える会」会長