沖縄人は、日本へ復帰後も長らく日本人から差別されていたそうである。このことが、令和5年2月11日付け朝日新聞(13面)の“耕論”に書かれていた。2月11日は「建国の日」なので、何か意味があったのだろうか。
沖縄県は、沖縄本島・宮古島・与那国島などから構成されており、東シナ海と太平洋に挟まれている。面積は、小さい順の香川県、大阪府、東京都に次いで第4位である。
人口の約9割が、沖縄本島に集中している。そのために沖縄本島以外の人は、差別を受けてきたらしい。沖縄では、沖縄県外のことを内地、沖縄県外の日本人を内地人と呼ぶ場合があるが、これは北海道と似ている。なお、沖縄県は大小363の島々から成っているが、これは北海道とは大違いである。
アイヌも長い間、日本人から差別を受けてきた。この差別について、アイヌを研究している学芸員に質問したら、以下のような回答があった。なお、アイヌや沖縄人も言うまでもなく日本人に変わりはない。
①801年、蝦夷征討(エゾ征伐)があったこと
②1609年、琉球征伐(琉球)があったこと
③1871年(明治4)、廃藩置県
④1875年(明治8年)、苗字必称義務令
⑤1897年(明治30)、北海道未開地処分法
(※ 北海道未開地処分法とは、本州の資本家に100万ha以上の大面積を無償で提供するというもので、成功の検査も曖昧なものであった。多分に投機目的で貸付を受けたものも多く、処分面積の大きさの割には未開地を残していた。)
学芸員の方によれば、差別は北海道に限らず沖縄にもあったという。すなわち、藩、武士などの強いものが弱いものを征服して勢力を拡大していったのではないかと言うのである。だから、明治に入ってから没落士族などによるアイヌの差別が大きくなったと思っている。 確かに史実を踏まえると、江戸時代の「士農工商」という身分制度が明治になって廃止され、四民平等の政策がとられることにはなった。
しかし、江戸時代まで公的に苗字を使用したのは、公家及び武士などの支配階層に限られ一種の特権とされていた。明治維新後、新政府により従来の身分制度の再編が図られ、1875年(明治8年)に改め名字の使用を義務づける「平民苗字必称義務令」を出している。
「皇族」とは天皇の親族、「華族」とは公家と大名が主として付与され、「士族」は華族とされなかった武士である。特権身分であった比較的人口の多かった士族は、早々とその特権を失ったのである。その反動で没落士族は、アイヌをイジメて、アイヌの差別は生じたと思っている。
“アイヌのアイデンティティ”とは、いったい何だろう。私のような北海道系日本人(アイヌ)のアイデンティティは、どういうものであろうか。なお、『アイヌ学入門』の本を書いた瀬川拓郎氏によれば、和人を“本州系日本人”と言っていた。
新聞を読むまでは、沖縄人が差別を受けていたことを全く知らなかった。だから沖縄人も、逆にアイヌの差別を知らない人が多いのではないだろうか。もっとも、本州に住んでいる人もアイヌの差別を知らない人が多いであろう。
戦後、日本経済が発展した産業のひとつに“石炭業が”あった。そこでは危険が伴う労働であったから、アイヌや朝鮮人の働き場所であった。このようにアイヌや朝鮮人は職業でも差別を受けながら、日本経済を支えてきた人びとであったのである。だから、私のいとこの奥さんとその実兄も、太平洋戦争で負けたため樺太から帰ってきて、住友赤平炭鉱で働いていたらしい。
「十勝の活性化を考える会」会員