令和2年9月17日付けの地元新聞によると、道は帯広市内で16日、未成年者二人が、新型ウイルスに感染したと発表した。これを受けて帯広市長は、16日に記者会見を開き学校名を公表し、「児童や家族に差別や不当な扱いを取らないように冷静な行動を」と呼び掛けたそうだ。なお、同小学校は2週間にわたり学年閉鎖する。
この新聞記事を読んで考えたことは、命の大切さ、感染警戒と個人情報、プライバシーのことである。これは、「イデオロギー」(政治や社会のあるべき姿についての理念)にも関係していると思う。
例えば中国で同じようなことが起きれば、マンション名まで公表するそうである。また、アメリカの婦女暴行事件では、原則、社会を守るために被告の氏名を公表するそうである。
ここで問題になることは、個人の自由や個人情報、プラスバシーをどこまで守るかということである。個人のプライバシーを大切にしたばかりに、大勢の人が感染し命を落としてはならないと思う。
これは、“新型コロナ禍の撲滅”と“社会経済活動の維持”の両方を考えていかなければならないことと同じく、大変難しい問題であるが、感染者も不注意で感染したわけではない。特に子供や親は、帯広市長のいうように差別や不当な扱いは、人として恥ずべき行為ではないだろうか。
社会経済活動を維持していかなければ、飲食店・ホテル等をはじめとして金繰りがつかず行き詰まる企業が多く発生し、倒産や失業者で溢れるのである。“二兎を追う者は一兎をも得ず”というが、今は二兎を追っていかねばならない。
政治や社会のあるべき姿に話を戻そう。現在は、米中対立、米ロ対立、北朝鮮、中東等々イデオロギーの違いが露呈している。「自国第一主義」ではないが、国同士は“我欲”のぶつかり合いの様相を呈している。
国益をかけた駆け引きでいずれ結果がでると思うが、戦争だけにはならないことを祈っている。ただ、“喧嘩両成敗”という諺もある。ただ、誰が成敗するのだろうか。
「十勝の活性化を考える会」会長
注)喧嘩両成敗
武家の刑法の一つで,喧嘩した者に対し,理非を問わず双方ともに制裁を加えること鎌倉時代にはこのような規定はなく,室町時代に出現。戦国大名は領内の治安維持や家臣団の統制強化を目的として分国法に規定した。江戸時代にも慣習法として残存したが,その批判論も出て,効力はうすれた。
(出典: 旺文社日本史事典より )
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