十勝の活性化を考える会

     
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アイヌ文化交流会

2020-09-20 05:00:00 | 投稿

 

先日(令和2年8月23日)、十勝プラザでアイヌ文化交流会が開かれた。帯広アイヌ協会の会長挨拶、帯広副市長の挨拶に続いて、「帯広カムイトウウポポの会」によるアイヌ古式舞踏の披露、映画 Ainuひと の上映などがあった。

 

この交流会は7回目になり、年々、盛会になっていくが、会長の挨拶を聞きながら、未来学者 エイミー・ウェブ氏の言葉を思い出した。

 

エイミー・ウェブ氏は、コロナ後の未来社会について、「私たちはいま、未来を最善にするために、何が出来るのか!」と、テレビで語っていた。

 

また、社会が急速に変わっていく時、目の前の小さな兆しをキャッチし、大きなフレームの中で分析することで、5年後、10年後の未来を予測することが出来るとも言っていた。

 

現在、「新型コロナ禍」で社会が変わらなければならない時期なので、ウェブ氏の言っていることが、問題解決のために大変役に立つ。

 

また、会長挨拶の中にあった参加者数の増加は、何を意味しているのであろうか。未来は一体、どのような社会が出来るのであろうか。否、どのような社会を作るべきなのだろうか。ウェブ氏が言っているように、我々は、5年後、10年後の未来を予測せねばならない。

 

このまま進んでいけば、地球は地球温暖化で行き詰ってしまうから、グレタ・トゥーンベリさんが言っているように、大人は嘘をつかずに行動しよう。

 

そうすれば、きっと今よりも良い社会が出来ると思う。新型コロナ禍は、何が大切であるかを、人類に教えているのかもしれない。

 

アイヌ文化交流会に話を戻すと、展示されていたパネルでは、アイヌ語圏は東北一体及び新潟県までと書かれていた。私は青森県に住んでいたので、そのとおりだと思った。

 

青森には下北アイヌコタンや津軽アイヌコタンがあり、江戸時代までは和人とアイヌが共生していた。このことは、下北アイヌや津軽アイヌで検索すると分かる。

 

私の母親の両親は、青森県と岩手県生まれなので、私にはアイヌの血も流れている可能性は大である。アイヌと呼ばれる前はエミシ(荒ぶる人)と呼ばれており、西暦801年、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、蝦夷(エミシ)征討を行なっている。

 

蝦夷征討における北限の地域は、当時、宮城県辺りまでであり、エミシは一説には、匈奴(モンゴル遊牧民)の末裔だったという学者もいる。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

1) エイミー・ウェブ

 

未来学者。専門研究分野はAI(人工知能)で、米国の軍司令官、国内外の政権幹部や大企業のCEOなどにAIの未来をアドバイスしている。

2017~18年、日米リーダーシップ・プログラムの代表を務める。2014~15年、ハーバード大学のビジティング・ニーマン・フェロー。そのときの研究で優れたジャーナリズムを表彰する「シグマ・デルタ・カイ」賞を受賞。火星に移住する最初の人々を描く「ファースト」を含むテレビ番組や映画の監修も務める。現在AIに関する本を執筆中 (出典:日経トレンドより)

 

注2)蝦夷征討

蝦夷征討(えみしせいとう)とは、日本古代において蝦夷に対して朝廷が行った征討である。中央史観の強かった時代には蝦夷征伐と呼ばれた。

延暦20年(801年)には坂上田村麻呂が征夷大将軍として遠征し、夷賊(蝦夷)を討伏した。このとき蝦夷の族長・阿弖流爲は生存していたが、いったん帰京してから翌年、確保した地域に胆沢城を築くために陸奥国に戻っていることから、優勢な戦況を背景に停戦したものと見られている。『日本紀略』には、同年の報告として、大墓公阿弖利爲と盤具公母禮が五百余人を率いて降伏したこと、田村麻呂が2人を助命し仲間を降伏させるよう提言したこと、群臣が反対し阿弖利爲と母禮が河内国椙山で斬られたことが記録されている。また、このとき閉伊村まで平定されたことが『日本後紀』に記されている。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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