2018年に出版された平山裕人著“地図で見るアイヌの歴史”の本には、現地に行って聞き取りしたことを実証的に書かれており、以下のとおり大変勉強になった。
①アイヌのことは、奥深く分からないことが多いこと
②仮説を立てて解決に至る方法論が面白いこと
③アイヌの歴史について、真実を発信しようとしていること
④アイヌの「共生社会」には疑問を持っていること
⑤アイヌ同士の争いが絶えなかったこと
⑥アイヌには、千島アイヌ、樺太アイヌ、北海道アイヌなど色々いること
⑦アイヌによって、様々な文化があること
⑧アイヌはエミシから派生していること(アイヌ説、非アイヌ説あり)
また平山氏は、近現代におけるアイヌの差別に関連して、1980年~1990年代には、「アイヌは自然と共生し、静かに平和に暮らしていた」との見方が広がったが、この見方には国会議員にもなった萱野茂氏の「アイヌは、チャランケ(談判)で物事を解決し戦わなかった」という発言が拍車をかける結果となり、アイヌの部族間などですさまじい戦いがあったこと、狩猟採集民族として“劣っている”ということにも言及していた。アイヌは、アイヌ語が無いために文字で残さず、頭を使って記憶したらしい。
一方、司馬遼太郎著“街道をゆく”を読むと、日本人にはアイヌの血が流れていることも書いていた。と言うことは当然、私にもアイヌの血が流れているということになるが、彼の言葉を借りれば、先月行われたゴルフのマスターズを制覇した松山英樹選手や二刀流の大谷翔平投手もアイヌの血を引いていることになる。アイヌが、原日本人であったことを考えると当然のことであろう。
ところで知人から、アイヌの差別はなぜ生まれたかの質問があった。私には、応えられなかったため、アイヌに詳しい学芸員に尋ねたところ、以下の返答があった。
① 801年 :エゾ征討があったこと
②1609年 :薩摩藩の琉球王国に対する琉球征伐があったこと
③1871年(明治4) :廃藩置県
④1875年(明治8) :平民苗字必称義務令
⑤1897年(明治30) :北海道国有未開地処分法
※北海道国有未開地処分法とは、本州の豪族や華族らに大面積の土地を無償で提供するもの
①及び②に見られるとおり、差別は北海道に限らず九州にもあったと、学芸員は言うのである。すなわち、強いもの(藩、武士など)が弱いものを征服して勢力を拡大していったのではないかと言うのである。 確かに、③や⑤の史実を踏まえると、江戸時代の“士農工商”という身分制度が明治時代になると廃止され、四民平等の政策が採られることになったが、人間の本性ともいえる征服欲や弱肉強食を武士は変えることが出来なかったのであろう。
北海道開拓は、このような没落士族に対する授産が目的で、白石藩の場合を見ると、現在の札幌市白石区に新天地を求めて移住し、それが地名の由来になっている。 総じて、廃藩置県(明治4年)と地租改正(同6年)によって財政的基盤を失った旧藩では、多くの藩が士族救済のために北海道へ移住し、その過程でアイヌに対する差別も生まれたのではないかと学芸員の方は言うのである。
また、アイヌの差別の実態を、周りの人は知らなすぎるとも言った。これは学校のいじめと同じで、イジメている方とイジメられている方の感じ方の違いであるが、差別されている人が自殺してから分かっても遅いのである。
「十勝の活性化を考える会」会員T
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