先日、さっぽろ自由学校「遊」主催のオンライン講座に参加した。その際、樺太アイヌ協会の会長は、樺太アイヌはいるが、樺太アイヌ民族という“民族”はいないと言っていた。即ち、樺太アイヌには民族名を付与しないということであろう。
また会長は、「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が昨年の2020年にオープンしたが、彼にはウポポイのオープンの案内状は届かなかったらしい。樺太アイヌは戦後、日本に移住させられたから、樺太アイヌ協会は国に認知されていないということだろう。
私たちは、民族という言葉をあまり気にせずに使っている。民族とは、言語・人種・文化・歴史的運命などを共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団である。「農耕民族」「狩猟採集民族」、又は「遊牧民族」といった限定的な民族を表わすものではなく、文化的要素のうちでも特に、生業形態や生活様式に着目した幅広い概念であろう。
例えば、モンゴル人といった場合、遊牧で生計を立てている人が多いので遊牧民族には違いないが、すべての人が遊牧民族ではないのである。モンゴル人を特徴づけているモンゴル語は、モンゴル国の公用語になっており、一般的にはモンゴル国のほか、中国の内モンゴル自治区でも話されているものがモンゴル語とされている。
一方、アイヌ人を一番特徴づけているアイヌ語を流ちょうに、しかも日常的に話せる人は今ではいないのではないだろうか。初めて“アイヌ系日本人 ”という言葉を使ったのは、新アイヌ語辞典などを作った知里真志保北大教授であった(享年53歳)。彼が言っている“アイヌ系日本人”は多くいるが、生粋のアイヌ人は混血によりいなくなったといってもよく、滅びゆく民族と言われるゆえんであろう。
もちろん、北海道にはアイヌの精神性を持った人は多くいるが、アイヌ語を母語とする民族はいなくなったのである。ただ、今日ではアイヌを独立した民族とするという考え方が一般的な解釈となっており、2019年に成立した「アイヌ施策推進法」(アイヌ新法)でも民族という言葉が使われている。
明治32年の北海道旧土人保護法は、北海道アイヌを「保護」する目的で制定された日本の法律である。この法律の施行によって給与された土地の農耕をきらうアイヌはおおむね和人に賃貸し、自らは却って困窮するといった現象を生じている。
1948年(昭和23年)、マッカーサーが指令した農地改革法により不在地主地は無条件で解放され、和人にごまかされてアイヌは土地を失った人が多い。この法律は貧困にあえぐアイヌの保護を目的とし定められたものだが、充分な効果を生まなかったのである。ただ、私の父の実兄のように小作人から土地所有者になり農家を始めたのも事実であり、戦後の農地改革はそれなりに効果を果したと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員
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