先日(2020/8/6)、H大学名誉教授の提案で高校時代のクラスメート5人が、初めて“オンライン飲み会”を行なった。
5人の中には久しぶりの友人もいたので、オンライン飲み会を行なったことで、“IT革命”を感ぜざるを得なかった。
IT企業のヤフーがジャスダック市場に上場したのは1996年(平成9)で、当時の年間売上高は30憶円程度で、連日の「ストップ高」で値が付かなかったことを記憶している。
あれから25年間あまり。当時、パソコンを持っている人は小数であったが、今はスマホの時代で、クラスメート同志がオンライン飲み会をするとは思いもよらなかった。これからの時代は、居ながらにして友人同志が飲み会などをするのだろう。
時代は刻一刻と変わっているが、これからは益々変わっていくのだろうと思うと、嬉しさ半分、悲しさ半分といったところである。というのは、時代が変わることにより、人間が失ってきたものも沢山あると思う。
その中には、地球環境や人情などの失ってはならないものもたくさんある。周りには生活水準を上げるスマホなどが溢れているが、便利さが人間の幸せに繋がっているとは思えないものもある。
例えば、車にも言える。少年時代は、自転車、そしてオートバイに乗ったが、今は車である。車は便利であるが、自分の足で歩かないので、高齢に伴い足などが弱くなる人が多い。
車の利用など人間にとって便利になることが、必ずしも幸せに繋がらないので注意しよう。また、 “健康”であることが、幸せになる第一であるので、健康づくりにも汗を流そう。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 健康
健康 とは、心身ともに健やかな状態であること
健康の概念は、1948年の設立における世界保健機関憲章の前文にある、以下の定義が有名である。
身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。
1951年(昭和26年)官報掲載の日本語訳は、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。
この定義は、健康に関連する権利が不可分かつ相互依存であることを示している。世界保健機関は1999年の総会で健康の定義として以下の定義を提案しているが、審議には至っていない。強調は1948年との変更箇所。
健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。
社会的な健康の概念は、健康の社会的決定要因により説明される。すなわち、裕福で、富の分布が公平な社会にすむ人たちは、健康である。また、どのような社会においても、社会的地位が低いと、平均寿命は短く、疾病が蔓延している。
健康観
健康観とは、個人が健康という事象をどう捉えるかという、健康に関する主観的な基準であり、人は各々の健康観に基づいて自分の健康状態を判断したり、健康に関わる行動を決定している。
健康観は各人の社会的属性・人的属性により異なり、変化するものである。社会的属性とは、会社、学校、地域、国、文化などであり、人的属性とは性別、年齢、身体状態などである。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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