2020年5月17日付け朝日新聞デジタル版に、“コロナに思う”と題して藤岡大拙氏が書いた記事が載っていた。
『生まれも育ちも出雲。約50年にわたり出雲の歴史や神話、方言を研究してきました。総称して「出雲学」と呼びます。
中国山地と日本海に囲まれて閉ざされた地理的特徴と、大和政権や明治政府など中央勢力に抑圧されてきた歴史から出雲のおとなしく、ある種閉鎖的な気質が醸成されたと考えています。そうした出雲学の視座から日本という国のあり方を見つめてきました。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた戦後の高度経済成長期から今まで、日本は際限のない成長・拡大を希求してきました。今回の新型コロナウイルスで、現代日本が抱えてきた諸問題、特に大都市が抱えてきた問題が明るみに出ています。
感染の世界的な拡大は国土を際限なく開放するグローバリズムの進展と切り離せません。コロナ後の世界の中で、日本はどこに向かうべきか。コロナ禍は日本という国のあり方を再考する転機になるかもしれません。その際、私は出雲人の気質がその方向性に示唆を与えるものだと思います。
出雲人は地味です。松江藩主・松平不昧公は茶道で「知足」(足るを知る)の重要性を説きました。出雲には「これくらいでいいわ」と思える気質があります。時代をさかのぼり、出雲人になじみ深い古事記に登場する「大国主命(おおくにぬしのみこと)」(出雲大社の祭神)は、「国譲り神話」で知られます。
古代、大和政権に服属した歴史が神話になったものとされますが、国譲りを迫る天照大神の使者に対して、大国主命は忍耐強く、温和に応じて国を譲ることに同意しながら、わりに壮大な宮殿を建設することを認めさせ、したたかさも見せます。
出雲では昔から、神話を通して大国主命の精神が親から子、孫へと連綿と受け継がれてきました。出雲人の誇りであり、その気質にも影響を与えていると私は考えています。
一番にならなくても、世界をリードしなくても、誇りを持って忍耐強く時にしたたかに歩む道はあるはずです。
コロナ後の世界はどう変わるでしょうか。もちろん、江戸時代の鎖国のようにグローバリズムを止めることはできません。更なる成長を求めることが間違っているわけでもありません。
大切なのは多様な価値観の「中庸」を取ることで、出雲のあり方は一つの道を示すのではないでしょうか。』(構成・浪間新太)
この記事を読んで、次のように思った。
100年に一度と言われる今回の新型コロナ禍。父が4歳の時にその母親(私の祖母)がスペイン風邪にかかり、37歳で亡くなったそうだ。父親(祖父)もその3年後に病気で亡くなっているが、お骨も位牌も無いので詳しいことは分からないが、亡くなったのは事実である。
そんな時代が日本にもあったということは、覚えておくべきであろう。なぜなら、祖父や祖母がいたからこそ、自分がこの世に生まれたのである。
「十勝の活性化を考える会」会長
注)藤岡大拙
ふじおか・だいせつ 1932年、出雲市生まれ。NPO法人出雲学研究所理事長や荒神谷博物館、松江歴史館の館長を務める。島根県立大学短期大学部名誉教授(歴史学)。京都大学大学院修了。旧・県立島根女子短期大学長も務めた。
(出所:朝日新聞デジタル版)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます