令和2年1月4日付け「北海道新聞」朝刊の社説に、以下の記事が載っていたのでその抜粋を書いてみたい。
『先住民族のアイヌ民族とあとから移り住んだ和人が数多く暮らす北海道は、日本における多文化共生社会の先進地となり得る。北海道や千島列島、樺太(サハリン)で生まれ、育まれたアイヌ文化が根付き、和人と多くの接点を持っているからだ。
国連の先住民族の権利に関する宣言は、「先住民族の知識、文化および伝統的慣行の尊重は、持続可能で衡平な発展と環境の適切な管理に寄与する」としている。
こうした理念を日本が国際社会の一員として実現する上で、北海道は重要な役割を果たすだろう。
昨年5月施行のアイヌ施策推進法は、アイヌ民族を法律で初めて先住民族と位置づけた。 ことし4月には、アイヌ文化復興拠点「民族共生空間(ウポポイ)が胆振管内白老町に開設される。これを機に多文化共生社会づくりの機運を高め、北海道の豊かな未来に向けて歩みを進めたい。 (中略)
厳しくも豊かな北海道の自然に根差し、悠久の時を刻んできたアイヌ民族の文化や歴史に学ぶことが北海道の真の姿を知る上で欠かせない。
言語復興が欠かせぬ
「わが国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」。
衆参両院は2008年「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全会一致で採択した。それを基盤に設置が決まったウポポイは、「(おおぜいで)歌うこと」というアイヌ語だ。「存続の危機にあるアイヌ文化を復興・発展させる拠点」であり、「先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築くための象徴」と位置づけられる。
「力を入れるのは言語の復興だ。施設の展示解説や案内板はアイヌ語を第1言語として表記し、音声ガイドにもアイヌ語を採用するという。明治以降の政府の同化政策でアイヌ語は衰退し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が消滅の危機にあると認定している。この150年の間に失われた言語を少しずつ取り戻したい。 (中略)
道内では昨年、サケの捕獲を先住民族の権利だとするアイヌ民族と、許可のない捕獲は法律違反だとする道が対立する事例が論議を呼んだ。アイヌ民族の権利回復はまだまだ遅れている。
国連宣言は、文明や文化の多様性や豊かさが「人類の共同遺産を成す」とうたっている。国民一人一人が理解を深め、多文化共生への取り組みを前進させなければならない。』
「十勝の活性化を考える会」会長
12年、カナダケベックのエスペラントの集いに参加した時、インデアン村に遠足に行きました。彼等は移住してきたヨーロッパ人が寒さに震え、食料もなく苦しんでいる時に極寒の地での生活の仕方を教えたり白人を助けたそうです。カナダは2言語の国です。しかし、通りの標識等はすべて3言語で書かれていました。つまり、インデアン語、英仏語の3言語です。インデアン語が最初から文字を持っていたかどうか忘れましたが、アイヌ語は現在文字があるのでしょうか。文化を文字であらわすことは大切ですですね。
現状を知らないものが勝手なことを書いてすみません。
また、10数年前、県の施設でボランティアをしている時に東京に住む若いアイヌ女性の話を聞いたり、別の機会にアイヌの竹で作った楽器の演奏を習ったりしました。(糸が切れて今は音が出ません。)機会を作って啓蒙に努めてくださるようにお願いします。知らなければ関心が持てませんし、すべての人が北海道に行けるわけでもありませんので!
姉はハンガリー人と結婚してカナダに住んでいました。姉は子どもたちに日本語を伝えることができませんでしたが、一人だけ、大人になって日本語を学びました。
私の息子の一人はドイツ人、もう一人はラオス人と結婚し、孫たちは純粋日本人ではありません。私の子ども達へ要求は双方の文化を大切できるように、孫たちはバイリンガルにするということです。それは大変な努力が必要ですが、今のところうまくいっています。
ところで”共生”という言葉の大切さですが、高度資本主義社会の現実に生きているも者にとって大変難問です。