十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

十勝文化会議

2022-06-14 05:00:00 | 投稿

 

先日、“十勝文化会議”の教育部会の例会に参加した。この部会には昨年入会したばかりだが、この会には10個ばかりの分科会があり、私は歴史部会の会員でもある。十勝には様々な会があるが、ご多分に漏れず人口減少やコロナ禍により減少傾向にある。会は人間によって作られているので、会が減少していくということは、人とのつながりが無くなっていくということを意味しているだろう。

先日開かれた教育部会のテーマは「子ども食堂」で、来年のテーマは「いじめ」である。どのテーマも大きな問題で、いま社会で進んでいる貧富の拡大や差別に関連している。会長は、大いに議論を深めて敢えて結論を求めないという。価値観の多様化から簡単に結論は出せず、当然のことだと思っている。

会には様々な目的やルールがあり、迷ったら原点に戻ることが大切だろう。そして、価値観の多様化でルールなどが合わなくなれば改正すれば良いのである。ただ、法治国家であるので“悪法も法なり”でルールは守る必要がある。今のロシアの国やウクライナ戦争を見ていると、ルールが守られていないような気がしている。

ところで、差別とは人に“差”をつけ、自分とは “別”の存在(グループ)として一種の排除をすることである。人間には、能力や外見などの合理的あるいは非合理的な様々な違いや差があることは否定できない。大切なことは、その事実を認めたうえでその違いや差によって人を排除しないことである。

差別は、世界中にたくさんある。例えば、人種差別、男女差別、宗教差別、身分差別、障害者差別、学歴差別、職業差別、思想差別、コロナ差別、性的少数者差別、老人差別などである。

これらの差別は人間が持っている業が原因だと思っている。欲といっても良いだろう。この欲を少しでも無くすことが求められているが無理だろう。なぜなら、私たちは生まれながらにして、この欲望を基に育てられてきたからである。

それでは、この欲望をどのように抑えればよいのだろう。それはひとつには、知足”である。例えば食欲を例にすれば、腹八分目である。八分目を志向すれば、体重も増えず健康にも良い。私は身長163センチで体重が80キロもあり、機能回復型デイサービスから減らすように指導されている。

教育には、学校教育、会社教育、社会教育などいろいろとある。ある時、元教育長であった方が教育には“愛”が必要といっていたが、その愛が価値観の多様化でさまざまな形で変質していく現実がある。未来における教育の“愛”とは、どんなものになるのだろう。

現代は、貧富の拡大が進んでいる。その理由は、お金のある家庭とお金のない家庭とがあり、それによって教育水準の違いを生み、子供たちが成人して受けとる生涯賃金が違ってくるのである。このことが、ウクライナ戦争やコロナ禍によって一層拡大しており、一刻も早く止めるべきだと思っている。ただ人類の有史以来、戦争が絶えたことがない。

「十勝の活性化を考える会」会員

 


アイヌ文化

2022-06-13 05:00:00 | 投稿

 

アイヌ文化とは、アイヌ民族が13~14世ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。岡山大学教授 瀬川拓郎氏によれば、アイヌ文化期をニブタニ文化期というほどアイヌ文化が、北海道平取町二風谷に残っている。

アイヌと聞くと、北海道の大自然の中で自然と共生し、太古以来の平和でエコロジカルな生活を送っていた民族というのが一般的なイメージだが、これは歴史的事実を無視した全くの誤解である。

アイヌ民族は、文化や生活習慣の違い等の非合理的な理由により長らく差別を受けてきた。現在、地球温暖化が大きな問題となっているが、アイヌ民族はかつて自然を大切に生きており、その文化や生き方を学ぶべきであろう。

本州では弥生文化が定着したあとにも従来の縄文の伝統を守りつづけ、弥生文化に同化しなかった人々、それがエミシ(アイヌ)だったのである。もちろん、弥生文化に同化していった人々もたくさんいたのも事実である。

エミシとは、勇敢な人や荒ぶる人の意味である。エミシは、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方東北地方)や、北方(現在の樺太・北海道)などに住んでいた人々の呼称といわれる。

大和政権の支配地域が広がるにつれて、この言葉が示す人々と地理的範囲は変化した。近代以降は、北海道樺太千島列島カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語母語とするアイヌを指している学者も多い。

エミシにはアイヌ説と非アイヌ説があるが、いずれにせよ大和民族とそれ以外の二つに分けて考えた方が理解しやすいもしれない。古代のエミシ社会という表現は古文書にたびたび書かれているが、初めてエミシという言葉が登場するのは、万葉仮名で書かれた日本書紀の中の歌にある。そして、古文書を読んで分かったことは、大和朝廷側の人たちは、“エミシをやっつけた”と書き、エミシ側に立っていた人たちは、“大和朝廷にやられた”と書いている場合が多い。つまり、その地域を統治している権力者側の立場で、歴史書は書かれているのである。

これで分かることは、歴史書とは“正史”が積みあげられて書かれたものであるが、その国や地域に支配的な影響力を持っていた権利者などによって作られたものである。そのため正史は、勝利者側の歴史書で正確性が保証されたものではないということである。

このエミシという言葉と関連して、江戸時代にいた“サンカという言葉がある。サンカ定住することなく狩猟採集によって生活し、明治時代に全国で約20万人、昭和に入っても終戦直後に約1万人いたと推定されている。岩手県出身の知人に聞くと、サンカは当地でも住んでいたそうである。

「サンカ」という言葉が現れたのが江戸時代末期の文書で、北海道の名付け親でもある探検家 松浦武四郎の著書の中に、「サンカに命を救われた」との記述があるが、彼ら自身がサンカと名乗ったわけではない。

また、アイヌという言葉が「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族とアイヌとの交易が増えた18世紀前後と言われている。ある時、白老アイヌの彫刻家が、平取町二風谷アイヌ文化博物館の作品を見て、そのレベルの高さに驚いていた。

アイヌ彫刻の作品には、熊、フクロウ、アイヌ文様などいろいろあり、また、地域によっての違いや特色があり一概にはいえないが、アイヌの聖地といわれる“ニブタニ”の作品レベルの高さにはかなわないだろう。

国の同化対策や北海道旧土人保護法などによって、当時のアイヌの人々が体験した差別や偏見は、今の時代でもまだ残っている。そうした根深い問題とは反対に、アイヌ語をはじめアイヌ彫刻の技術やアイヌの人々の文化は、徐々に失われつつあるように感じている。

先日、北海道白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)に、初めていってきた。日曜日だけに、全道各地からかなりの人が見物にきていた。

ウポポイには、民放テレビ“情熱大陸”に出ていたアイヌ木彫家“貝沢徹氏”の作品もあったが、この施設によってアイヌ文化が少しでも理解が深まればと思っている。

貝澤徹氏は、アイヌ文化を守り続けるために日高管内平取町二風谷で木を彫り続けている。二年前の7月にオープンしたウポポイにも、アイヌの入れ墨をした女性を描いた木彫作品が展示されていた。その作品が下の写真である。注目してもらいたいのは、放映されたテレビの下部に書かれていたテロップである。

テロップには、「だから僕は僕なりの役割でやっていくし」と書かれている。テロップにあるように人間は誰しも役割を持っているので、その役割を粛々と行なっていけば良いのでないかと思っている。人間の役割は一人一人違っているが、その役割を各人が十二分に果たした時、組織や国は無限の力を発揮すると思う。現在、新型コロナ禍や戦争で世界中が混乱しているので、そのことが特にいえるのではないかと思っている。

「十勝の活性化を考える会」会員


挫折

2022-06-12 05:00:00 | 投稿

挫折とは、意気込んで行なっている仕事などが途中でだめになることである。東工大教授の上田紀行氏は若い時に様々な挫折を経験しており、講演で「人間は挫折して初めて生きる意味が分かってくる」と語っていた。

挫折で思い出すのは、秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さん(30)の夫、小室圭さん(30)だろう。彼はニューヨーク州の司法試験に2回続けて不合格となり、7月に3度目のチャレンジをすることになっているが、挫折を経験しただろう。

挫折を経験した上田紀行氏も、次のように語っていた。 

『 プライドは、他人との比較によって生ずることが多いが、比較してはいけない。プライドの高い人は、自分の意見が絶対であり、否定されると相手が折れるまで反論し続け、相容れなければ敵とみなす人もいる。

プライドが不要なものであると気づけば、身近にいる人のことも大切にでき、彩りのある人生を送れるはずである。視野を広げれば、自分よりも優れた人がたくさんいることにも気づき、プライドが取るに足らないものだと分かってくる。』と。

ところで、5月19日深夜、地下鉄車内での暴行の疑いで現行犯逮捕されたのは、財務省の小野平八郎・総括審議官(56)。どんな官僚人生を送ってきたのだろうか。彼は、中学、高校ともに成績は常に学年トップ。勉強だけしているタイプではなく、高校時代はラグビー部で活躍していたらしい。

酒が好きな自分だから彼を弁解するのではないが、酒を飲むと気持ちが大きくなって人間を変える時もある。アルコール中毒や巨人軍の清原和博選手のような麻薬中毒者もいる。清原さんは6年前、覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕され、有罪判決を受けたが、テレビ復帰を果たしている。

しかし、認知症で車を運転して親子を殺した高齢の役人や、休業補償金をだまし取った経済産業省のキャリアと比べれば、財務官僚の逮捕は取るに足りないものと思っている。 ただ、ひとつだけ言っておきたいことがある。良いプライドは持つべきだが、悪いプライドは捨てるべきである。世の中を見渡すと、この悪いプライドを持っている人がなんと多いことかと思っている。

「十勝の活性化を考える会」会員


プライドとは、どんなもの?

2022-06-11 05:00:00 | 投稿

 

 “プライド”とは誇りや自尊心、自負心を意味する言葉で、良い意味で使われるのが一般的であるが、好ましいとは思えないプライドを持っている人も意外に多い。 肩書に頼って生きている人にも言えることで、肩書を失えばただの人になってしまうのをたくさん見てきたが残念に思う。

プライドの特徴は、次の通りである。

1.自意識過剰

2.自尊心が高い

3.自分が正しいと思っている

4.完璧主義者

5.自分のミスを人のせいにしがち

6.人に頼みごとをするのが苦手

7.自慢話が多い

8.ブランド志向

10.役職や学歴などにこだわる

11.融通が利かない

12.周りの友人が離れていく

13.大きな失敗をしたら一気に落ちる

14.客観性があまりない

15.人当たりが冷たい

16.自分の思いどおりにいかないとイライラとしがち

以上のことは自分にも当てはまることも多いが、最近、気になっていることがある。個人情報をあまり明らかにしないことである。個人情報保護法や憲法12条で個人の人権が保障されているが、一方で公共の福祉というものを忘れてはいけないと思う。

個人情報の保護はもちろん大切であるが、個人情報を大切にしたばかりに公共の福祉が失われるようでは困る。住みにくく生きづらい社会になっていることは確かで、町内会の加入率低下もその一因だろう。

日本では、ソーシャルディスで個人主義化して人とのつながりが薄らいでいる。個人の権利を主張する人が増えて、相手に対する思いやりや感謝する気持ちが薄らいでいるような事件が頻発している。我が子への虐待やイジメなどもそのように思うが、自由が高まれば高まるほど“個人主義化”するので仕方がないのかも知れない。

2021年の日本の出生数は厚生労働省によると約51万人、1899年以降で最少記録を更新し同省の予想より6年も早いペースである。国立人口問題研究所では2053年に1億人を割る人口予想であったが、早まる公算が強まっている。これが、個人主義化の影響でないことを願っている。

「十勝の活性化を考える会」会員


地上の星

2022-06-10 05:00:00 | 投稿

私は、歌手 中島みゆきの“地上の星”の歌が好きだ。なぜなら、その歌は無名の人々に光をあてた歌で、NHKテレビプロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌として作られ、中高年を中心に幅広い支持を得ているからである。

彼女は札幌生まれだが多感な青春時代を帯広で過ごし、高校も私と同じで1年後輩である。目立ちがり屋であったかどうかは分からないが、当時、頭を角刈りにしていたので印象に強く残っている。高校の体育祭の借り物競争で中島美雪さん(本名)と一緒に走ったが、当然ながら彼女は覚えていないだろう。青春時代の淡い思い出である。

父親“中島眞一郎氏”は医師であったが、後志の岩内町でバイクの単独事故を起こし、やむなく帯広に戻って中島産婦人科病院を開業している。彼女は、1975年(昭和50)に『アザミ嬢のララバイ』でデビューしたが、帯広の病院で父親を介護している時に、その歌詞を思いついたそうである。

その年11月の世界歌謡祭で歌った“時代”でグランプリを受賞したが、翌年1月に父親は脳溢血で他界している。時代」という歌詞は次のようなものであるが、なぜこの歌が作られたのかが分かるような気がしている。

“時代”

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて

もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

そんな時代もあったねと

いつか話せる日が来るわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

だから今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

まわるまわるよ時代は回る

喜び悲しみくり返し

また、彼女は東京渋谷で長い間、夜会“橋の下のアルカディア”という一人芝居を行なっている。アルカディアとは、古代からある地域名で“理想郷”の代名詞となっている。彼女の通学路には帯広川の橋が架かっており、その下に理想郷のように人間が住み付いていたから、そのように名付けたのだろう。

なお、彼女は文学部国文学科を卒業して語学力もあり、国語審議会の委員に選ばれたことがある。

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