十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

クロフネツツジ

2022-06-04 05:00:00 | 投稿

 

クロフネツツジは、「ツツジの女王」と呼ばれる。高さは1~3mになり、若いに腺毛が生える。花期は4~5月。は淡いピンクまたは白色である。中国東北部、ロシア極東部および朝鮮半島に自生し、日本には江戸時代初期の1668年に朝鮮半島から渡来したとされている。

安土桃山時代から来航する外国船は「黒船」と呼ばれ、その黒船で持ち込まれたツツジということで、“クロフネツツジ”と呼ばれるようになったそうである。女王といわれるだけあって、なかなか迫力があり一番好きなツツジである。

写真の右側のツツジが“淀川ツツジ”で、ピンク色が濃くてあまり好きでない。琵琶湖から唯一流れ出る宇治川と合流する淀川であるが、淀川ツツジの名前の由来がこれからきているかどうかは分からない。なお、クロフネツツジの花言葉は、「愛の喜び」と「情熱」で、淀川ツツジは「想い出」である。

最近、庭が駐車場になり無残に植物が捨てられ、ツツジ類の価格も半値以下になっている。アスファルトの方が無味乾燥で雑草も生えなくて良いが、今の戦争などを見ていると人間の心もそのようになっていくのであろうか。

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“知里幸恵”の映画化

2022-06-03 05:00:00 | 投稿

 

知里幸恵が映画化される。映画「カムイのうた」は来年秋の公開を予定していて、ことし7月から大雪山旭岳や幸恵の出身地の登別市などで撮影が行われる。1903年(明治36)生まれの知里幸恵は、北海道登別市出身のアイヌ女性で、上川第五尋常小学校を卒業し、上川第三尋常高等科へ進んだ。さらに、旭川区立女子職業学校に進学したので、かなり優秀であった。つまり、アイヌ語も日本語も極めて上手であったのである。

19年間という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ文化の復活をもたらしたことで知られている。彼女は東京の金田一京助氏の自宅に4カ月あまり寄宿していたが、重度の心臓病をかかえ『アイヌ神謡集』を書いていた。

その著は、1922年(大正11年)9月18日に完成したが、その日の夜に心臓発作のため死去している。『アイヌ神謡集』は、まさに、命と引き換えの作品であったのである。『アイヌ神謡集』は出版直後から大反響で、次のとおりである。

 『 その昔、この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、真に時代の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう。 (中略)

 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。

時は絶えず流れる、世は限りなく発展していく。

激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強い者が出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがて来ましょう。それは本当に私たちの切なる望み、明け暮れ祈っていることで御座います。

けれど、愛する私たちの先祖が起き伏す日頃、互いに意を通ずるために用いた多くの言葉、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消え失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい、名残惜しいことで御座います。

アイヌに生まれ、アイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇あるごとにむち打って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中、極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書き連ねました。

私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事ができますならば、私は、私の同族祖先と共に本当に無限の喜び、無上の幸福に存じます。』

知里幸恵はこの本の中で、「おお亡びゆくもの、それは私たちの名、何という悲しい名前を私たちは持っているのでしょう」と書いている。何という辛く悲しい歴史がアイヌ民族に潜んでおり、日本人の一人として心苦しい限りである。

ところで、知里幸恵は三人兄弟で、“知里真志保”という弟がいた。彼は、北海道登別市に生まれ一高(現在の東京大学)を卒業している。彼の略歴は、以下のとおりである。

<略歴>

・1909年:登別市の登別本町にて誕生

・1021年:登別尋常小学校卒業

・1923年:登別尋常高等科卒業

・1933年:第一高等学校(現在の東京大学)卒業

・1943年:病気を理由に、豊原高等女学校依願退職(34歳)

・1947年:北海道帝国大学法文学部講師嘱託就任

・1950年:北海道大学文学部講師発令

・1955年:『分類アイヌ語辞典』出版

・1958年:北海道大学教授発令(49歳)

・1961年:心不全で死去(52歳)

知里真志保には3回の結婚歴があるので、自分に厳しく伴侶にも厳しい人でなかったかと思う。ただ、彼を知る樺太の豊原高等女学校の教え子たちには、優しい先生だったらしい。

知里真志保は52歳の若さで死んでいるが、分類アイヌ語辞典のほか多く本を書いている。 “アイヌ系日本人”という言葉も、彼が初めて使った。彼は、“帯広”の語源を表しているアイヌ語の“オペレペレケプの解釈についても、独自の解釈を展開している。

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道の駅を考える

2022-06-02 05:00:00 | 投稿

 道の駅おとふけ“なつぞらのふる里”は、令和4年4月15日にオープンした。道の駅は十勝でも16六カ所あり、17番目のオープンである。日本の食を支えている音更町だけあって、「十勝の食の集結」をコンセプトに9軒の飲食店が出店していた。

音更町は、パンやうどんの原料となる小麦、味噌、醤油、納豆、豆腐などの原料となる大豆の日本一の収穫量を誇っており、小麦工場、納豆・豆腐工場、乳製品工場等々の食生活に必要なものを作っている会社がたくさんある。

道の駅は、各地方自治体と道路管理者が連携し、商業施設や休憩・宿泊施設、地域振興施設などが一体となり、国土交通省により登録された道路施設で、①道路利用者のための「買物、食事、休憩機能」、②道路利用者や地域の人々のための「情報発信機能」、➂道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携機能」という機能を持っている。

20年前まで十勝にも、幹線道路沿いに“ドライブイン”が多くあったが、魅力的な道の駅に押されて無くなった。これからは、十勝ガーデン街道に加えて、“道の駅街道”と呼ばれるようになるだろうが、一方で、どこもかしこも道の駅ができて共倒れになることを心配している。

地元新聞によれば、道の駅 “おとふけ”はインターチェンジのそばにできて、ゴールデンウイーク中に管外からの人などで約13万人の人出であったそうで、連休明けの5月11日にもかなりの人出でにぎわっていた。

ただ、隣町の士幌町と上士幌町に作られた道の駅は閑散としていた。十勝の住民としては、道の駅ができてにぎわうのは良いが、基本的に消費者は安くて便利で良品を求めるので、一極に集中しなければ良いと思っている。

十勝も過疎化現象によって、長い目で見れば都市圏のように二極化現象が避けられず、“道の駅”を地方の活性化の呼び水にしなければならないと思っている。道の駅は第三セクターで行なわれており、当然に民間並みの競争原理が働くので、収支を念頭に国と同じように借金漬けにならなければ良いと思っている。 

「十勝の活性化を考える会」会員

 


世界経済

2022-06-01 05:00:00 | 投稿

 

世界経済が、コロナ禍に加えてロシアのウクライナ軍事侵攻によるインフレと消費ダウンで、大変なことになっている。中国国家統計局によれば、4月30日発表した2022年4月の中国の製造業購買担当者景気指数は47.4と、前月より2.1ポイント低下した。2カ月連続で、好調・不調の境目である50を下回った。

新型コロナウイルスの感染が広がった上海市が、事実上のロックダウンが50日を超えて、物流の混乱などで景況感が一段と悪化したのである。国際通貨基金(MF))では、中国の2022年度経済成長率を5.6%と予想しているが、大幅に下回る公算がある。

IMFの見通しによると、日本の今年の経済成長率は0.9%ダウンのプラス2.4%、世界は0.8%ダウンの3.6%の予想だが、もっと下がるかもしれない。

地球上に国境はあるものの、今回の二つの出来事によりグローバル経済を感ぜざるを得ない。世界各国は、ロシアのウクライナへの軍事侵攻によるインフレのみならず、世界経済の落込みを受けることになるだろう。

戦後の1948年、朝鮮半島で戦争が勃発し、東西冷戦が始まった。3年間に及ぶ朝鮮戦争は、朝鮮半島全土を戦場と化し荒廃させた。北緯38度線の前線が軍事境界線として認識され、南北朝鮮の分断状態が現在も続くこととなった。

日本は朝鮮戦争の特需で復興を遂げたが、今回はむしろマイナスとなっている。今回の戦争で分かったことは、自分の健康と同じように自分たちの国は自分たちで守らないといけないということだろう。

今の日本は平和であるが、未来永劫にわたって平和であるという保証はない。だから、日本国民は自分たちの手で平和を守っていかなければならない。そのために今、何をなすべきかを考えよう。そのヒントとして、アメリカのテキサス州で暗殺されたケネディー大統領は、次のように演説している。

あなたの国が、あなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」と。

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