遅ればせながら、3密をさけるためといいつつ、
茨城県の西部の鹿島神宮に初もうで。
「たけみかづちのおおかみ」がまつられているという。
日本書紀にも登場する神様らしい。
鹿島神宮は昔から「神宮」を名乗れた由緒正しき神社らしい。
明治までは伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3社のみが神宮と名乗れたそうだ。
鹿島神宮の境内の配置は少し変わっている。
ふつう参道をまっすぐ行った突き当たりが本殿だ。
鳥居をくぐり、スギが林立した参道をまっすぐ進む。
すると、坂を下って池に出てしまう。
地図を見ると、鳥居をくぐった参道の横にあったのが本殿だと知る。
池への坂を下る手前に小ぶりな社があり、奥の院だった。
これは徳川家康の奉納とか。
(茨城版のニュースによると、屋根などの修復のため、しばらく神様を移動してお休みになるそうです。)
鹿島神宮のwebには、突き当たりの御手洗池について
「1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。」との記述。
こちらが湧水口と思われる。
この量は40万リットルとは思われない。
底からも沸いているのだろうか。
昔はここで禊ぎしてから参拝したと言うことは、こちらが入り口だったのか?
帰ってからグーグルマップで調べると、
太平洋の鹿島灘に「鹿島神宮 明石浜鳥居(東の一之鳥居)」が海に向かってたっている。
鹿島灘から来て、この池で禊ぎをしたのだろう。
でも、西の一之鳥居というのが霞ケ浦にならぶ北浦の大船津(おおふなつ)というところにある。
これは現在の表参道と同じ道筋だ。
ブラタモリでは鹿島灘方面の船の参道を紹介していた。
いずれにしろ、昔、お詣りは船でやってきて、どちらかの鳥居をくぐって参拝したのでしょう。
歩くより、船が便利で速い時代の話です。
今のアウトレットが高速の出口に直結しているようなもの、と言っては失礼か。
ではまた、ぶらり。