ひたち野うしくの「ひたち野みずべ公園」に,周辺の遺跡群を示した地図(看板)があった。
この狭いエリアに8つの遺跡が見つかり,発掘されている。
古いものでは旧石器時代からはじまり,平安から近世(江戸)にかけて続いていた。
それぞれ遺跡の戸数は21軒から71軒(結構具体的な数値だ)。
この地区は小野川と乙戸川に挟まれた台地。
縄文期は温暖で海水面が高く,海が内陸まで入り込んでいたという(海進)。
小野川にも乙戸川にも海が入江のように入り込んでいたものと想像できる。
海が近くて魚介類も捕れたのだろう。
食べ物に不自由せず,快適だったのではと思われる。
その頃にできた集落が数百年から数千年も続いていたことになる。
人は移動するが,住みやすくなじんだ土地に長く住み続けるものなのだと思う。
今の地図と比較してみた。
1.ヤツノ上遺跡は今のいきなりステーキのあたり。
2. 中久喜遺跡はワンダーグー
3.東山遺跡はひたち野西小の近く
4.馬場遺跡は八幡神社のとなり
5.行人田遺跡は日産プリンスのあたり
6.隼人山遺跡はホーマックの先
7.西ノ原遺跡は中華珍来の突き当たり
8.中下根遺跡は東下根地区2号街区公園
昔の集落間の距離は,200~500mくらいしか離れていない。
このあたり,地形が平坦なので,人口の少ない当時はお隣さんのような感覚だったかもしれない。
ではまた,ぶらり。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます