ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

外国人記者ナータリー。

2012-01-13 08:21:11 | 日記

NO-54
昨日、アメリカから帰って来た女性記者のナータリーさんから僕の携帯に電話が入った。ナータリーは11日に日本に帰って来て、次の日の昨日が仕事始めで今年の初出勤の日であった。彼女が開口一番に言った事が「松村さんにフランスのTV局が取材したいと言っているのですが、大丈夫ですか?」だった。

うん、大丈夫だと思うけどと言ったものの、今は強制避難区域に入るの難しいんじゃないのかな?と思ったり、あいつにそんな時間無いかも知れないなあなんて思った。放射能の減溶システムの実験研究も始まるし、牛の柵作りもあるし、毎日の餌やりもあるしと彼の体一つで、それに取材は無理かな?

今までは彼も何とかして来たけど、今の問題は警察官の巡回がひところより、圧倒的に多く許可の取れてない外国人メディアの人達は、すぐに逮捕されちゃうと思う。一昨日も大捕り物があったと彼は言った。僕らの町富岡町で警察が泥棒?を追い、リフレ富岡(温泉宿泊施設)に逃げ込んだ泥棒?(不審者)を捕まえるのにすごい数のパトカーが出たと話してくれた。

外国人記者や外国人メディアの人達は、本当にガッツがある。許可が下りなくても何とかして入って来るし、僕らの想像を超える人達がいる。自分の命をかけて紛争地帯や戦場に行って写真を撮ってくるような人達だから、凄い根性があるのだ。

ナータリーさんも松村と出会い、彼の記事を自分の初仕事にして世界に発信した女性記者である。その時の彼女の喜びようったらホントに僕にも分かるくらいの喜びようであって、自分の書いた記事が、採用されるって事がどれだけ凄いことなのか初めて知った。

強制避難区域に残った男。松村直登の人間力を今後も期待している人達がいる。べらんめえ口調で誤解される彼だが、外国人記者たちは彼のその深い所に本質を見極めていて、彼を追いかけている。

この間もイギリス人の女性記者が彼を取材したいと言ってきて「松村さんの家に一泊させてもらいたい。」と言ったらしく「馬鹿な事言わないでくれ!」と彼は怒ったらしい。女性記者は、ろうそくの灯りで暮らす夜の彼も取材したいとの事だったのだが、松村は本気で怒った。

あんたはそれでいいかもしんねえけど、俺は世間様にどういう目で見られるかわかってんのか?と、それは僕のところにも電話をして来て呆れていた。放射能汚染に晒される町に残った彼だが、彼は馬鹿じゃないし、やっていい事と悪い事との分別のつく男である。

ナータリーは宮城県におばあちゃんを持つハーフの女性だから、日本人の感性をそのまま表現できる女性記者なので僕は期待しているのだ。また彼女は馬鹿なことを言わない人で安心だし、彼女でなければ書けない部分があると本当に思っているから、彼女のことを応援していこうと僕であった。

今日の写真は昨日と同じ。NO-26アメリカからの小包で紹介した蛙の置物を、笑顔で見せてくれた時の彼と本当にきれいで僕も欲しくなった赤い蛙と蛙500プロジェクトの最後の王様蛙?の写真です。





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雪の朝。

2012-01-12 08:27:26 | 日記

NO-53
昨日、「雪が積もってて朝、寒くて布団から出られなかった」と電話の向こうの彼は言った。照れ笑いしているのがこちらにも分かる。もっとも炭こたつと石油ストーブ1台しか使える物がないのだから、その不便さを理解した。

電気が無いからファンヒーターも使えずTVも見れず、夕方からはろうそくの灯りで生活している。彼と連絡を取るときに、ろうそくの灯りでメモを取ったりメモを見て僕に情報を届けてくれるのに、「暗くてよく見えねえ」を連発する彼をいつも笑ってしまう僕なのだが、それを許してくれるから付き合っている。

僕なら昼頃まで布団から出て来れないかも?(笑)それでも「駅前のダチョウはどこら辺で雪を凌いでいるかな?とか、犬や猫の餌をどのくらいの量を今日はあげようかな?」とか話し、雪の中を出かけて行った。この雪で明日はアイスバーンの道になるのを想定して、2日分の量の餌をあげてくると言っていた。

東北の冬の道は本当に危なくて、比較的に温暖な福島県の浜通りの人達には運転経験の無いアイスバーンの道はとてもやっかいなのだ。郡山に避難した友人に昨日電話をしたが、避難所で暮らす人達のなかでやはり車での事故が多いと聞いてやっぱりと思う僕だった。心配だなあ~

強制避難区域の富岡町に残った彼の「今頃の雪って、珍しいよなあ?」と言った言葉が、町を離れて暮らす僕に今まで住んでいた町の姿を想像させた。今日彼は、新役場へ向かっています。ご支援頂いたシュラフなどの支援物資を頂きに行きました。

多分、道路はつるつるの氷の状態だと思うけど、事故を起さないで行ってくれると思うが今日の目的の一つに河川敷の使用許可の件があり、そのことを聞きに役場へ向かったのだ。放し飼いになり牛の糞で役場にくるクレームの元の牛を、河川敷に追い込んで囲う事をしようと考えているからだ。

河川敷の許可は役場の課長さんにお願いして、県の農林課へ申請しそれから河川課に行って許可をもらうという事を話してくれたが、許可がもらえるといいな!と本当に思う。この許可が下りないことには、役場へのクレームは無くならないし、牛たちもまた苦しい放浪をしなければならないからだ。

今日は彼の連絡を待ち、この辺で終わります。今日選んだ写真はアメリカから彼に届いた蛙の置物です。海外で動物を愛する人達のヒーローになっている彼の所に、その功績を称えられて世界で500人選ばれるという中で、189番目に貰った赤い見事な蛙と、この500人目の最後の蛙がまた彼の元へ届きました。最後の蛙は頭と背中に宝石のようなものをつけた王様のような青い蛙でした。





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猪の化け物!

2012-01-11 08:41:01 | 日記

NO-52
今日は、厚木市の先輩に会いに行くから早めにブログを書いてその準備を急ぎたいと思ってます。

昨日、松村氏から電話が来た。野生の猪のぬしクラス推定250kg以上の猪に遭遇したらしく、あの彼もかなりびびったらしい。「こっちに来なくて良かった」と言っていた。

普通の猪で80~90kgくらいだから250kg以上だとまさに化け物だ。「あの猪は鉄砲撃ちも見たら恐ろしくて撃つことが出来ないと思うぞ!」と。今交尾時期なのか山にいるべきぬしが里に下りてきて、本当にサファリになってると。

実際に、猪は迫力があって体が大きければ大きいほど危険で、よくTVで猪に突かれて怪我をした人のニュースを見かけるが、とにかく恐ろしかったらしい。彼が初めて見て驚いた猪だったらしく、たまげたを連発していた。

せりに出される子牛で300kgらしいのだが、それより大きく見えたと言ったから、僕は映画のもののけ姫に出て来たあの大きな猪を想像した。彼を見た猪は、反対方向に一気に逃げてくれて彼はトラックを壊されなくて良かったと言っていたが僕はそいつを見たいと思った。

だから、写真撮れなかったのか?ビデオ撮影できなかったのか?とすぐに彼を問い詰めた僕だったが、「いきなり遭遇してそんな余裕なんてあるわけねえべ!」と返り討ちにあった。僕の町には安藤さんっていう猪狩りの名人がいて、彼は100kg超えの大物を1シーズンに何頭も獲るのだが250kgは凄すぎる。

安藤さんの家には、僕の店で買ってもらった大きな冷凍庫が4台以上あって、家には川から水を引き池を作り、山で仕掛けた罠に掛かった猪を鉄砲で仕留めてから家まで運び猪の腹を割いて池の中に2~3日入れ、肉質を良くしてから今度は吊り上げて干すみたいなことを、以前に聞いたことがある。

猪なべの材料に、割烹料亭や旅館に契約して出している人もいるんだよとも教えてもらったことがあるが「250kg超えの化け物は1日100km以上を走っているから不味くて食えねえよ!」と松村は言った。とにかく、そんな普段絶対に山から下りて来る事のない化け物が町まで来てる事が異常なのだ。

普通の猪の罠は、5mmのワイヤーロープで土の中に埋め込んで猪がそこを通る時に、ワイヤーロープが絞まって猪の足に掛かり逃げられなくなるのだが、「5mmじゃ簡単に切られて逃げられちまう!」とも言い、10mmならどうだ?って聞いたら、「硬くなって罠に使えねえだろ!」とも言った。

猪の話だけでなく富岡駅前のあのダチョウの縄張りに、少し痩せて体の小さなオスのダチョウが一羽増えていたと話した。推定80kgくらいで、あのボスダチョウが120~130kgクラスの大物だから、多分ボスにいじめられて追い出されてしまうのではないだろうか?

彼にその痩せたダチョウを保護できないか?と言ったら、「うん。」とまんざらでもなさそうで、少し期待する僕だった。あの押忍!番町のボスダチョウには逃げ回っている彼だが、弱そうなダチョウならかなりやりそうな気配。(笑)

今、町では牛のこともそうだが、3万頭飼育していたある会社の豚が町の中に出てきてしまい、大変な事になっていると彼から聞いた。豚の繁殖力はとても凄くて一度に10匹くらい産んでしまうから、至る所に豚が溢れている状態らしい。

牛なら何とかと言っていた彼が「豚はだめだ!どうにもなんねえ!」と昨日言っていた。富岡町のその豚舎の辺りの家々に悪さをしてるから、町も大変だろうと。餌を捜して民家を壊して家の中に入る豚もいて、入られたらそれこそ家は一貫の終わりである。まず、大変な状況である。

今、「妊娠している豚がかなり多いぞ!」と彼は言っていたが、町はどうするんだろう?豚は牛のように簡単に捕まらないらしい。このまま行くと牛より大変な問題になっていかないか?と心配する僕だった。

今日も、強制避難区域の富岡町の松村直登をご支援して下さいます皆様に、彼に代わってお礼を申し上げます。これからも、どうぞご支援下さいますようお願い致します。












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奪われた自由?

2012-01-10 08:29:50 | 日記

NO-51
日本人の澤ほまれさんと佐々木監督が世界サッカーの中で、年間最優秀選手賞と最優秀監督賞を受賞して朝から嬉しい!昨日から多分受賞するだろうと思っていたけど、15年位前から頑張る澤さんを応援していたからほんとに嬉しいです。今日は、福島の仮設住宅の写真をえらびました。

僕の知っているだけで、8箇所あるけど実際はもっとたくさんある。郡山と三春といわき市にあり、郡山と三春の友人の所に泊まったことがあり、これは1月5日の三春にある仮説住宅の写真です。いわき市の仮設住宅は4畳半が2つに台所が2畳くらいで、とても泊まることが出来ない狭さなので僕の師匠も奥さんも大変な思いをして生活しています。「ここは、とても寒くて」と言っていました。

強制避難区域の富岡町に残った松村直登は今日、郡山の役場に向かっています。放し飼いになっている牛の事で役場の職員さんと何やら相談するんだと言っていました。彼はつい最近、品行方正になってしまって僕に文句を言った。「おまえのせいで、自由が奪われた!」と。

どういうことか?今、彼は牛の事で全国の皆さんに募金をお願いして助けて頂いています。まだまだ目標には届かなくて、これからもみなさんのご支援を頂くようになると思いますが、募金を頂くようになって彼は、郡山の役場に出て来た時に地元の友人からご馳走されたり、飲みに行こうと誘われるのですが、「俺は、飲みに行けないから、ごめん」と大好きなお酒も断っている。

おかげで「天丼も食えなくなった!」と彼は僕に文句を言った。彼が友人と蕎麦屋に行ってみんなが天丼食べていても、彼は天丼は食べない。募金をしてもらったお金で「人の金で豪勢にやってる」とか飲みに行っても「人の金で飲み歩っている」と言われたくないって言って、その不満が僕への八つ当たりになった。

僕はゲラゲラ笑いながら、天丼くらい食べたってみんなにそんな事言われないから大丈夫だよ。心配するなって言ってあげた。飲みに誘われたら行けばいいじゃないかと。とにかく、こういう所は真面目なところがあって笑える男である。

もっとも募金のありがたさを一番知っていて、みなさんからの温かい気持ちを絶対に無駄には出来ぬ!っていう気持ちでいるから、自分の事をそうさせてしまうのだろうと思う。富岡に戻れば納豆と卵と豆腐の食事しかしないのだから、出て来た時くらいは食べたい物を食べればいいのになあと思った。

昨日、彼から電話が入り「そっちはどうだ?寒くないか?」と。僕は横浜は暖かいよと言ったら、「こっちは寒い!会津や郡山、三春は寒くて大変だ。」と言った。僕がすぐさま郡山や三春の仮設住宅は絶対に僕は住めない!と言ったら、「そんな事いうなよ」とダメ出しされた。

僕は寒いのが苦手で、暑い夏の方が好きだから軽い気持ちで言ったのであったが、彼は「郡山や三春の仮設住宅に入って暮らしている人が嫌な気分になるべ。」と言われ僕も反省した。富岡での身を切るようなあの冷たい水で顔を洗い、歯をみがき時には米をとぎ暮らす彼の言葉に重みがあって、僕は素直に聞けたのだ。

これからの本当に厳しい冬が早く終わり、動物たちと人間の僕たちが暖かな日差しを浴びて、暮らせる春が早く来て欲しいと強く思う。仮設住宅に住む僕の師匠や温暖な富岡町や大熊町のなんなの健康を祈って今日は終わります。










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あの日の海で

2012-01-09 12:14:34 | 日記


NO-50
今日は成人式という事で、全国の成人される若い皆さんにおめでとうございますと書かせて頂きます。そして、東北にいる津波や地震で家族や親友を失った今年20歳のみなさんに、お亡くなりになった方の分まで頑張って下さいね!と声に出して言いたいです。

これからも、苦しくて大変な事もあると思います。それにも負けないで東北の復興を僕らおやじと一緒にやっていこうね!僕らおやじでも辛くなったり、悲しくなったり、諦めたくなったりするけれど、みんなが協力しあえばきっと新しいものがつくれるはず!だから一緒に頑張ろうね!

今日は写真を選ぶのに、何時間も迷ってえらい遅くなりました。ごめんなさい。目標の100ブログのちょうど半分まできて、今日は12月29日に四倉港に行った時の写真を選びました。港は今も震災後から動いていません。そして今一生懸命に元に戻そうとしていますが、まだまだ元に戻るまでは時間がかかりそうです。

上の写真は地元の漁師さんのあべさん一家で、9ヶ月たった12月の暮れに今でも手がかりを捜す一家の姿です。あべさんは、8回くらい避難先を変えてどうしても地元に戻りたいと、ようやくこの町で津波の被害の出なかった場所にあるアパートに引越しをして来て、この日は栃木県に避難している娘さんとお孫さんと4人で捜索していました。

あべさんは、「おら~漁師だから、海から離れられねえよ。陸にあがったって何にも出来ねえし、あの大地震の時もおら~海の上にいたから地震がこんなにひどいと思わなかったんだ。」と。そして指をさし、ここの家の人も、こっちの家の人も逃げ遅れて死んだんだと話してくれました。

あべさんのお嬢さんも「お父さんには、早く海に出て漁をして欲しい!お父さんは海で働いていた方が似合うから」とお父さんもこれから舟をまた用意して海に出られる日を夢見ていました。

地震と津波で削られた山肌。今も一箇所に集められたままの車や船の瓦礫。これから修理されるのを待つ裸の船のボディ。これが今の現実です。早く元に戻って欲しいです。僕らの町、強制避難区域の富岡町も復興は手付かず状態で帰りたい人もいれば、帰りたくない人もいる状況です。

放射能汚染の問題がなければ、すぐに復興できるのに。国も東電も本当に僕ら住民を苦しめているだけだ。全然わかってない。この日の12月29日に松村氏と会ったわけだが、彼は被曝も恐れず今も町の除染のことや残された動物のことを真剣に考えている。

彼が「町はいつか地図上から消えてなくなってしまうかも知れない」と言ったあの日のことを僕は思い出した。それだけ放射能の問題が大きいからだ。除染するにも本当に人とお金がかかるし、あの山々を本当に除染出きる日がくるのだろうか?

科学技術の進歩を願って、本当に良い除染の方法なりプラントなりを早く確立・建設して頂き、早く人と動物が共生できる町を取り戻したいと思う。今回の震災はあまりにも、大きな傷跡を残した。今でも僕は時々気が滅入る日があって、こんな事じゃダメだと自分に言い聞かせている僕がここにいる。頑張らなくちゃ。

今日は今から出かけますので、また明日お会いしましょう。そして松村直登に支援物資や募金をして頂きました全国の皆さんに彼に代わってお礼を申し上げます。これからのご支援を引き続きどうぞ宜しくお願い致します。







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ダチョウの話しPart 3

2012-01-08 08:31:27 | 日記

NO-49
昨日、僕は床屋さんに行き髪を切り、さっぱりしてやっと自分のお正月が来たと思いました。年賀状も出さずにいたけど、福島の友人に「転居届け郵便局に出してないでしょ、富岡の家に年賀状を出したのだが戻ってきたよ」と言われたことを思い出した。みんなに悪い事しちゃったなぁ~。

今日は、強制避難区域の富岡町の駅の構内にボスとなって居ついたダチョウと餌やりする松村直登とのその後を書きます。1月2日、3日と大バトルになった彼らだが、昨日はもう1月7日でどうなったのか?気になっていて、彼から夕方の早い時間に連絡があって飛びつくように僕はそのことを聞いた。

彼は、相変わらずボスダチョウに狙われているらしい。彼のトラックを見つけるとドッ、ドッ、ドッ、ドッと走って来て車の前で止まり、両羽を体の後ろで交差させてバシッバシッと交互に羽を動かし音を出し、首を左右に振り「今日はちゃんと勝負するんだろうな!」と威嚇すると言っていた。

ダチョウのそのポーズは戦いの儀式らしいのだが、「あいつは頭がいいよ!にわとりと違って、ちゃんと俺の事や車の事を覚えてるんだから」と、いささか呆れたように彼は言った。毎日餌をあげに行くのに毎日追いかけられてさすがに彼も考えた。

車から出て餌をあげるのは危なくてもう出来ない。トラックの荷台に餌を置いて食べさせても食べ終えたらボスダチョウは、「さあ、飯食ったから次はおまえの番だぜ!」ってな感じだから、今までの倍以上の時間を駅前のボスに取られ他の動物たちの面倒を見るのに遅れるためダッシュ作戦なるものを考えた。

僕は、このダッシュ作戦に笑った。またしても大笑いした。その作戦はダチョウが彼の車を見つけると「アイツだ!」と走って来るから、車に近づく素振りを見せたらいきなりアクセルを目一杯踏んでスピードを出し200mくらいダッシュし、ダチョウに追いつかれる前に外に出て、急いで餌の袋を取りダチョウの一日分の量を地面に撒いて逃げる作戦だ。

その作戦を敢行していると言ったが、ダチョウは足が速くて餌を撒くのに手間取ると確実にバトルになってしまうので、彼は失敗しないように気合を入れて餌袋の位置などを確かめてからダッシュすると言った。何故なら、それでもダチョウが5m先までに迫り冷や汗ものだと彼はうんざりして言った。

餌をやるのに真剣勝負!に、僕は笑ったよ。彼の話は毎日面白くて涙が出そうだ。ライオンかトラにでも餌をあげているみたいな話で、悪いけど笑った。これはもう、ペットではない!間違いなく猛獣である。

そんな事を毎日やっているの?と聞いたら「うん、毎日だ。」に僕は笑った笑った。ダチョウは猛獣扱いになっていると彼は言っていたが、僕は少し心配してることがある。それは、他の人が軽トラックで来て駅前のボスダチョウのいる前で車から出てきたら、ボスダチョウに襲われないか?って事を。

彼にそのことを言ったら、「普通の人は怖くて車から降りてくる人はいないと思うよ。」と言ったが、もしも襲われたらダチョウは殺処分されちゃうよね?と聞いたら、彼は「うん、そうなったら処分されちゃうだろなあ」と。コメントに地元の人からダチョウに遭遇したと書いてもらったが、絶対に外に出ないで欲しいと思う。

このブログを見てくれている地元の人にお願いします。絶対にダチョウに近寄らないで下さい。車から出ないで下さいね!小さいお子様をお連れの人は特に注意して下さい!宜しくお願いします。

彼は言った。檻を頑丈に作ってもう一度捕獲してみようかと。事故が起きる前に何とかしなくちゃと考えたのだろう。ダチョウにトラックを蹴られて壊された時に、ダチョウの足に血がうっすらとにじんでいるのを見て、ダチョウの足は案外弱いんだと言っていた。

今度は二人で捕獲して保護することを提案した。ボスダチョウ以外のオスでも100kg以上の体重があり、トラックの荷台に持ち上げるにも抱きかかえて乗せないとダメなので、ダチョウを傷つけないようにするには人数が多ければ多いほどいいだろうと話した。

そんなわけで今回初めて連続3日間、ダチョウの話しになってしまいました。今日も強制避難区域の富岡町で動物の命を守る松村直登を支援してくださる全国のみなさんに感謝いたします。今日の写真は昨日と同じです。オスのダチョウと一撃でへこんだボディと松村本人の腰の傷跡です。それでは、みなさんまた会いましょう。























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連続KO負け!

2012-01-07 08:13:30 | 日記

NO-48
今日は昨日の続き。1月3日に彼は前日にKO負けを喰らったあのダチョウと対面した。彼は餌やりはしなければという気持ちだけで駅に向かったのだ。お腹を空かせていて、昨日のバトルは覚えていないだろう。いや覚えていて欲しくないと言ったほうが当たっているかも?

ダチョウはやはり、お腹を空かせていて彼の来るのを待っていたのだ。彼はいつも通りにダチョウに餌をやりダチョウもそれを文句を言わず黙々と食べていたのだが、いつもの通りの量を食べさせたから彼はもういいだろうと、餌を片付けようと後ろに向き運転席の裏あたりで片付け作業をしたら、ドーンと音が鳴った。

同時に頭と口と腰に激痛が走る。一瞬何が起こったのか真っ白になった彼だったが、痛みに耐え素早く助手席がある反対方向へ走った。彼の脳裏に昨日のバトルが浮かぶのに時間がかからなかった。お正月に壊れた駅の構内にいるのは、彼とボスダチョウの2人?だけである。彼はダチョウに背中から蹴られ運転席のキャブにおでこと口をぶつけたのだ。

ダチョウがニヤッと笑ったかは分からないが、「昨日のお返しだ!今日はちゃんと勝負しろ!」ってな感じで餌を貰ったくせに、腹いっぱい食べてから恩をあだで返す挑戦状を彼に叩きつけたのだ。彼も顔と腰の痛みに耐えて「上等だ!来るなら来てみろ!」と2人の2回戦が始まった。

彼は両手を広げて荷台に手を付き、肩を左右に揺らしてボクシングのあの動き、ダチョウも同じく体を左右に揺らして臨戦態勢!先に動いたのはダチョウで、つかつかとアスファルトの地面を音を鳴らして彼に向かって来た。彼も昨日のように、途中までダチョウに姿を見せて車の角に来ると直角に曲がり、身の軽い忍者の如くダチョウを翻弄した。

ダチョウは、熱くなる性格なのか段々とむきになりそのスピードを上げる。彼もわざと挑発し、なかなかダチョウに攻撃をさせない。やっぱり人間の方が頭がいいからダチョウは昨日と同じように彼の技に引っかかって、止まりきれず足を滑らせてドーンと何度も横倒しになったという。

負けず嫌いのダチョウは悔しかっただろうなあ。「今日は、何であいつを叩きのめせないんだ?こんちくしょう!」とか小さなあの頭の中で思っていたに違いない。(笑)彼と付き合っていると、動物にも心や感情や考えみたいなものがあると言う事が分かるようになる。

結局、彼がダチョウを翻弄し続けて、ダチョウといつまでも遊んでいられねえと車に乗ってからその場をすぐに離れて痛みを感じながらそのまま帰ったのだ。前日の太ももの傷とおでこの腫れに唇を切っておまけに腰の傷。僕が思ったとおりになり、ダチョウは彼を覚えていた。この傷が物語る彼の2敗目だと。

彼は駅前のボスダチョウとの2回戦の勝負は楽しかったと言っていた。その後はどうだったのか?と僕が聞いたら、「あいつはダメだ!俺のトラックを見ると羽根を広げ変な声出して威嚇してきて走ってくる。車から出たらまた勝負しなきゃなんねえ、だから餌だけトラックの荷台に用意してダチョウが食べれるようにして車の中でじっとしてるよ。それにもう、これ以上車を壊されたくねえし」と。

彼いわく、「アイツは檻に入れても、檻を壊して逃げ出してしまう。あんなに凶暴なのは手に負えねえよ!あいつだけは本当にあきらめた。」と。でも笑った。昨日の写真は小さくてみんなには分からないのだが、切れた唇にかさぶたが出来おでこは腫れていつもと違う顔になっていた彼の顔を見て僕は笑った。ごめん。松ちゃんハッハッハッ

ダチョウも彼がいなければ餓死しちゃうと思うのに、本当に闘争心があるというか別の意味で、ダチョウは彼を仲間だと思っているのだろうか?一羽だけで喧嘩する仲間もいないから彼の存在が唯一の救い。唯一の喧嘩仲間?とか勝手に僕は、頭の中でダチョウのことを思った。餌をもらった後に追いかけっこ出きる友達?(笑)

それでも、ボスダチョウはこのままいくと殺処分されてしまうのか?と思うと可哀相でならない。松村も同じ思いでいて「研究材料になるって本当か?」と僕に聞いてきた。僕は、噂ではそう言われているんだと話した。全国の皆さん、もし、そんなことになったら殺処分反対の運動してる団体の人を助けて下さい。僕もそれに署名するんだ。

今日の写真の説明。一枚目はオスのダチョウ。近くで見ると大きくて怖い。二枚目は彼が工夫して遠くから見ると壊れたトラックに見えないけど、近くで見ると重傷の車。小さくて見えないかも知れないけれど、黒いところがもう少しで穴が開くくらい傷が深かったです。ここのライトは透明のガムテープで止められていたけど、それを取ったらぶらりと垂れ下がる重症でした(笑)一撃でライトを飛ばすのだからかなりの威力です。

三枚目はかれがダチョウに蹴られた腰の傷の写真です。8cmくらいの傷で、太ももの写真は彼にパンツ一丁になってもらわなきゃならないので、やめました(笑)

それでは、また会いましょう。彼を応援してくれるみなさんに、これからもご支援頂けますようお願いします。



































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ダチョウにKO負け!

2012-01-06 15:05:52 | 日記

NO-47
みなさん、昨日の深夜に福島より帰ってきました。福島はとても寒かったです。郡山では雪が降り次の日の朝は見事なまでのアイスバーンになり、運転が乱暴な僕にはやっぱり無理で、郡山の仮設なり借り上げなりの住居を構えなくて良かったと思いました。

昼の1時頃でも外気温が0度とか1度で風は強いし、手は悴むし体は冷えるしで東北の寒さを体感して横浜の気温の高さがありがたく感じました。牛の餌の調達のために富岡町から出て来た彼と三春町で昨日会い、外で話をしてたら口が少し腫れ額もちょっと腫れていたので、どうかしたか?と聞いたらダチョウの話になった。

これから話すダチョウたちも、殺処分されるかも知れないといわれていて、今全国の動物愛護団体の方が反対してくれているという事らしいです。みなさんには申し訳ないですが、1月の2日の夕方に彼から電話を貰い「ダチョウの捕獲に失敗した!」と僕は聞いていて、福島に帰る準備をしていたためにブログで書きたくてうずうずしていたけど我慢しました。

彼は以前から「ダチョウを捕獲して檻に入れて保護したい」と言っていたのだが、冗談だと思っていたら本気で今まではロープを使い、何とか捕獲しようとしたけど捕まらない話は聞いていた。誰に聞いたかは知らないが、ダチョウは目を覆われるとおとなしくなると。

それで彼は、家から自分の黒い長袖のTシャツを持ち出し、津波で屋根しか残っていない富岡町の駅前にいるオスのあの大きく黒いダチョウを捕まえようと捕獲に乗り出した。ここ数ヶ月間ダチョウにも餌をやり続け、彼の車を見れば餌を頂戴とばかりに近づいてくるダチョウ。

彼は餌をやり、今日の食事時間は終わりだよ~といった時、餌を食べているダチョウのくちばしを素早く掴み、持って来たTシャツで頭を包み急いで袖の部分を緩めにダチョウの首で縛った。ここまでは百点満点で、ダチョウはおとなしくなりじっとしていたのだが、突然の真っ暗闇に異変を感じたダチョウがあの長い首を右に左に大きく振り出した。

その時、緩めに縛った黒いTシャツがスポッと抜けた。これが最大の失敗である。なんでもっと強く縛らなかったのか?と彼に聞いたら、「ギュッと締め付けてはダチョウが弱っちゃうかも知んねえから手加減しちまった」と。

突然、日の光を得たダチョウは彼を見て「こいつめ!よくもやってくれたな!」と彼を見るなり突進してきて、前蹴り一発!立て続けにもう一発!計2発のキックを体で受け止め「うっ、痛てえ!」と不意の前蹴りと強烈な蹴りに彼はひるんだ。

ダチョウの足は膝から下はほとんど骨で、くるぶし辺りは野球のバットより太いかも知れない。足の指は2本でそのうちの一本はかなり太く、爪も大きくてそれで蹴り上げた。かなりの痛さだったようだ。(笑)

怪物君もダチョウには動物愛護の精神で、攻撃出来ず背中を向けて逃げ出したら、ダチョウは「こいつは、めちゃくちゃ弱い奴だぞ!」って思ったか知らないが、彼を追いかけついにバトルに発展した。あの大股で追いかけるダチョウに必死の形相で逃げる彼。この白髪頭のおやじが逃げ回る。おかしくてたまらず笑い転げた。

彼も相手が悪い。ダチョウはボス格で百何十kgの体重がありそうな大物。あの富岡駅は一時帰宅で帰った住民たちが、津波で無くなった駅に立ち寄り写真を撮って帰るある意味名所的な所で、(僕も写真を撮った)サンドイッチやお菓子などの餌をあげるから、他のダチョウを追い出して自分の縄張りにしたダチョウである。

楽して餌を確保する場所を勝ち取った。そういう意味では強いダチョウなのだが、彼も馬鹿じゃないからダチョウが追いかけてきてもトラックの角で直角に横に飛び、勢いが付いたダチョウは急に止まれない!ダチョウの頭と目だけは彼を追っているから、首だけ彼の方向を向いてアスファルトの駅前を足を滑らせてズドーンと横に何度か倒れたそうだ。

倒されたダチョウは「こいつ、ほんとに絶対に許さねえ!」と更にヒートアップ。彼もいつもは可愛い顔してると言っていたダチョウをこの時ばかりは「やべえ!かなりやべえぞ!」と必死で逃げた。彼は「追いかけられてトラック10週くらい走らされた」と言っていたが、僕はその姿を想像して笑った笑った。

ダチョウは車の中に逃げ込んだ彼を、「逃げるな!この野郎!早く出て来い!」とガラスから見える彼を目掛けて前蹴り1発!このときの一撃で右側のライトが飛び出し、コードが伸びきってライトがぶらぶらとぶら下がっていたと。その後も何週も車の周りを回り、雄たけびをしながらダチョウは彼を威嚇しながら待った。

彼は何度もガラスを覗きこまれては、車を蹴られ出るに出れずひたすらダチョウの機嫌が良くなるのを待つが、20分過ぎても30分過ぎても良くならない。7~8m離れたところで羽を広げてのファイティングポーズに怒りの鳴き声を発し「早く出て来い!」と彼を挑発しつづけた。

何度も近づいてはガラスの中を覗き、雄たけびを発してはまた戻りと彼も「あの状況では動くに動けなかったよ!」と言った。あの興奮した状態でトラックを走らせたら、追いかけてきてストレスに弱い鳥類のダチョウに不可がかかることを知っている彼は、そこでずっとダチョウとの睨み合いに入ったのだ。

車から出たらまた追いかけっこのバトルをしなければならないし、ここで車を走らせたらダチョウが追いかけてくるしと彼は真面目に考えてじっとその時間を過ごすわけだが、僕なら怖くてびびってるかも?(笑)自分も車も先制攻撃を受けて、面食らっているのにダチョウは勝ち誇ったかのような態度!自分からは一発も攻撃しなかったから、ダチョウに舐められたのかは分からないが散々な彼であった。

それでも昨日僕の見た彼のトラックに、ダチョウの前蹴り一発の痕が付いていたのだが、トラックのボディがあんなにへこむのだから相当な一撃であったと思った。僕は最初からダチョウが怖くて近づけないから、彼は本当に物好きなんだ!って思っている。彼の太ももには2箇所に真っ赤になったあのダチョウの爪の痕がくっきり。

僕が彼の失敗を笑いの種にしてギャハッハッーと大笑いをし、松っちゃん正月早々やってくれるじゃんって言って笑っていたら「笑いごとじゃねえよ!」と強い言葉で、ムッとしたのがわかったけど「子供がやられたら普通の怪我じゃすまねえぞ!俺のわき腹に入ったら肋骨折られたかもしんねえ!」と怖いことを言った。

2年前に買ったトラックはいつ見ても、これで本当に野良仕事しているのか?と思うくらいきれいで、いつも感心していたのに夏には牛にやられ、今度のダチョウでぼろぼろの傷だらけの状態だ。彼も少しは考えて茶色の目立つガムテープでなくて、透明のガムテープで補修してなるべく目立たないようにしていたところがまたおかしかった。(笑)

「俺は軽傷だが、車は重症だ!」という彼に、明日から餌あげられないんじゃ無いの?って聞いたら、「大丈夫だべ、餌あげないわけにもいかねえし、鳥は2~3歩歩けば忘れるっていうじゃねえか。多分ダチョウだって餌は欲しいはず、大丈夫だべ」とその時は言っていたのだ。

3日目のことは、お互いに連絡していなかったので僕は分からなかったのだが、ぼくは少し不安を覚え松ちゃんの作業服とかダチョウは記憶して襲ってくると思っていたが・・・・これは明日書くね!今日はNTTさんで来てくれて午前中に光の設定してたから遅くなりました。

今日の写真は、みなさんの募金とご支援で頂いた牛のとうもろこしと鳥のえさなどと犬用品です。松村本人から「みなさんに本当に感謝していますとよろしくお伝え下さい」とのことで、強制避難区域の富岡町に戻った彼に代わって御礼申しあげます。これからも引き続きご支援のほど宜しくお願い致します。













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役場の住所の件。

2012-01-04 16:03:49 | 日記
NO-46
みなさん、1月4日のご報告です。その前にお詫びの言葉を述べさせて下さい。              

支援物資のあて先について、昨年の12月の後半に富岡町の役場の住所を郡山市大槻町の住所でお知らせしました。                                                

そこで、住所が違うのでは?と言うコメントから郡山の仮設住宅の知人に聞いて、「郡山ならどちらでも大丈夫だよ。」との事で、こちらの方が安全か?と思い1月2日に今までの郡山南のビックパレットふくしまの住所を書かせていただきましたが、12月の19日に役場が移転して、今は役場が4つに分かれて運営されています。                  

役場の職員さんも年末の引越しだったから、本当に大変だったと思いましたが、いわき市と三春町と大玉村と郡山市の4箇所に役場の職員さんが分かれています。ビックパレットは一部の職員さんの配置だけで今はまだ郵便物や配達物は新役場の方に届けられるので、大丈夫なのですが一番先に紹介した郡山市大槻町西ノ宮48-5で餌の受付は生活環境課になります。                                  

みなさん本当にごめんなさい。本当にお詫び申し上げます。パイプとジョイント等の資材は、引き続き四ツ倉あたりでお願い致します。

自分の町の1つだった役場が、他の町村で役場を作り仮設住宅を作ったところにそれぞれに出張所を持ち運営し、いったい僕らの町はこれからどうなって行くのだろうか?本当にみんなと一緒に帰れる時が来るのだろうか?とやりきれなくなります。                                            
やはり家が痛んでしまう前には帰りたいし、富岡に戻りたいけれど・・・ハ~です。

明日は、午前中はいわき市に行き午後は三春に逆走して、夜になって横浜に戻る予定ですので宜しくお願いします。

取り急ぎ、ご連絡させていただきました。




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たてごって何?

2012-01-02 09:15:36 | 日記

今日の写真は4日前の四倉で山下博士と坂本県議と松村氏と高橋社長と日本原子力機構委託研究で高温好気堆肥システムによる放射能の減溶化実証実験の打ち合わせの時の写真です。このプロジェクトは年明け早々から始まりますので、建設資材の調達から施工と管理の話までみんな真剣でした。横須賀のNPOのYさんからの支援物資を笑顔で受け取る彼と、高橋社長にごちそうされた海鮮丼を喜ぶ彼の3枚を選びました。。

NO-45
1月1日昨日の夕方に彼から二度目の連絡がきて、4時半から30分間くらい話しをした。彼から電話が入る時は何かあった時で必ずその理由があるのだ。「二度目の牛の水やりを今、終えてきたところだ」と言ったが、彼は朝には氷が張った外にいてトラックのシガレットライターに差し込んだ携帯充電器に携帯を繋ぎ一気に話してくれた。

「今日二度目の牛の水をやりに行って、今、たてごを切って来た!」と・・・たてごって何?って僕が聞いたら、あの大震災の時に生まれていた子牛に取り付けられた縄?鼻に輪(鼻かん)を付けられない子供に口から耳を通して首で固定して子牛をひくときに必要なのだが、それを切って来たと言った。

あれから、もう10ヶ月が経とうとしていて子牛も大きくなって、そのたてごが顔に食い込んで顔のその部分の肉が腐っていて化膿していたのだ。水が欲しくて寄ってきたのを彼は無理やり捕まえて、そのたてごを掴もうとするが肉に食い込んでいて捕まえたつもりでも、そのたてごをなかなか掴めないでいた。

彼は「このまま放置してはこの牛も死んでしまう」と牛を捕らえたまま何とか捕まえようとそのたてごなる物を掴み、指に力を入れてギュッと握った。まだ大人の牛になっていない牛といっても暴れられたらに簡単に彼は指を折られてしまうからだ。

ようやくたてごをたぐり、牛の角の辺りで飼料の袋を切るために携帯しているナイフでたてごなるものを切り、1mくらいの長さの紐(ロープ)みたいになったものを柵に結び牛の確保に成功した。

動きを制限された子牛が嫌がって強引に首と体を振った時に、腐った牛の顔の中に食い込んでいたたてごも切れたのだが、子牛の顔の肉も削がれて牛の顔は血だらけになったと言う。それでも、子牛にとっては命拾いである。彼に聞いたら「子牛がもっと大きくなったら、首まで圧迫されて完全に死んでしまうから」と言った。

「こんな牛がまだまだいるんだ。だけど、捕まえに行くと逃げるから捕まえられねえんだ。逃げなきゃ助けられるのになあ」と。僕は血だらけの牛は大丈夫なのか?と聞いたら「2~3日はひどいべえ、だけど大丈夫だべ!」と、一つの命を助けた男は言った。正直元旦から、こんな話を聞くとも思っていなかった僕だった。

自分ではとても出来ないことをやって来た彼に、「松ちゃん、ありがとう!ほんとにお疲れさま。」と自然に口から言葉が出てきて、血だらけの牛の顔を想像した。でも、冬で良かった。夏では腐った肉に、もっとひどい状況が訪れていたのではなかったろうかとも思った。

彼はいつも一人だから、その映像も無くブログを見てくれるみんなに、僕のヘタクソなこの書きコミしか無いので、いつも彼には悪いな~と思っている。もっと、彼の大変さとか凄さとかうまく書けたらいいのになあ。(反省)

牛の鼻先に食い込んだところは、顔の肉がズタズタに切れて酷かったらしいが、この冬の寒さで血も止まり腐ったところは傷が残っても治っていくみたいだ。彼も言っていたが、動物の生命力や自然治癒力は知っていても僕は農家の出身でなく、何の知識も無いからいつも驚いてしまう。

そんな彼に今日は夕飯に何食べるの?と聞いたら、朝のメニューと同じカップラーメンだと言った。毎日朝と夕の一日二食である。ご飯を炊けよ!と言ったが、あの水の冷たさを考えたら僕にも米とぎなんて出来ない。だから、このことにはあまり文句を言えない僕がいる。

5日の日はおもちとおかずを持って行こうと思う。震災後半年で10kg痩せたのはわかっているが、こんな食生活では本当に何年か後に病気になってしまう。うちのかみさんも心配して、帰るたびに何を食べさせようかとおかずを考え懸命になっている。

今日の彼の言葉で、一番僕のハートに響いたのが「俺もまさか富岡町で、たった一人でお正月を迎えると思わなかった。俺は何も悪い事してねえのになあ・・・」このひとことが一番だった。寂しいお正月にかわりはなく、同情した僕だった。

今日の最後に、昨日もコメントでご指摘された富岡町の役場の住所を、税務課の郡山出張所の住所で紹介していましたのでみなさんに謝りたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。正しい住所をお知らせいたします。〒963-0115福島県郡山市南2丁目52番地ビックパレット内TEL0120-33-6466です。

募金をしていただいた皆様には、ユーチューブで募金への感謝の言葉を述べる松村直登を見て下さい。昨日のブログをまだお読みいただいていない方に、前回ご支援をお願い致しました足場組用の資材は、役場でなく四倉港あたりでお引き受けしたいと考えていますので、こちらもどうぞ宜しくお願い致します。

それからみなさん、明日福島に帰りますので1月6日頃ブログを再開する予定でいます。みなさんにはいいお正月をお過ごし下さればと願っています。それでは、また会いましょう。







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 新年のご挨拶。

2012-01-01 14:21:51 | 日記

NO-44
新年あけましておめでとうございます。これは全国のみなさんに心を込めて送る言葉で、自宅で正月を祝えない震災と原発事故の被災者、統計で33万5千人の僕たちには、今年は使いたくない言葉の一つになっていると思うので、本当に年頭から心が晴れません。

今日の朝、強制避難区域の富岡町の松村氏から電話が入り「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と、先に言われ僕は少しびっくりして33万5千人の話したら「俺もここで頑張っているから、みんなにも頑張って下さいって書いてくれ」と、それと今日は、氷が張り朝は寒かったらしく布団から出るの遅くなったと言っていた。

彼は、電話を切るとお正月も関係なく今日も動物の世話をしに出かけた。ある大学が2ヶ月間牛の研究するからと町で囲っている牛舎の牛に水をやりに行くと言った。水の設備が無い牛舎?らしく、何回か水をあげていると聞いてはいたが川の水を漬物用の100Lポリの容器にバケツで汲んでそれを2回運んで飲ませているのだ。

その牛舎の牛の鼻が乾いているからちょくちょく見に行って水をあげている。「動物は犬でも猫でも、鼻が乾くなんて無いんだからな!」と話してくれた。川の水100Lをバケツで汲んでの作業は大変だと思う。僕ならひーひー言ってしまう。彼のことを馬鹿だとか気違い扱いしてる人に、その仕事を自分でやってみてから言って欲しいと思う。

彼はバケツで水をあげに行くと、我も我もと牛たちが飲みにやって来てバケツに顔を突っ込んで飲むから、あの角で目を突かれて怪我する牛が出るかも?と心配し、ドラム缶を切ったくらいの大きさの水のみ場をいくつか欲しいとか、道路工事で使うあの散水車があればなあ」なんて言った。

彼の知り合いの会社にその散水車があるからどうにか借りられないかなあとか色々と元旦から言っていて、彼は目の前の動物の心配をしていた。彼の家でもイノブタが彼の家に保管している餌を狙って玄関先まで来て、彼の姿を見ると素早く逃げて行くらしいのだが、手を焼いていると。

電話していても何やら外でワンワンとうるさいくらいの犬の声。彼の親友アキが吠えているのだがイノブタが来たらしく彼が外へ出て見に行った。アキの餌や水を全部食べて行ったらしく「これじゃ、アキが痩せちまう!」と。でもあの大きな巨体で玄関の戸(木とガラスの昔の作りの戸)なんかこじ開けて家の中に入ったら、一貫の終わりだよ。

豚が家に入ったらもう住めないよってみんなが言っていた。納屋を牛5,6頭に壊されて保管して置いたペットの餌を全部食べられた苦い経験があるから、今度は慎重だ。彼の家は田舎では普通にある敷地の中に両親の家と彼の家があり、彼の家には犬と猫の餌を保管して両親の家にはとりと豚の餌を保管している。

少し心配だが、彼なら何とかするだろう。話は変わって12月29日に四倉(いわき市に近い)で、山下博士と坂本議員と建設会社の高橋社長と松村氏の会議に立ち会わせていただいた時に、募金して頂いた人にありがとうのメッセージを作って送ろうとしたのにビデオを忘れて、坂本県議に急いでビデオに収めて送ってもらったのにユーチューブに乗せられなくて、四苦八苦しました。
http://www.youtube.com/watch?v=b1c8KlmvclYこれが松村直登の感謝のメッセージです。

彼には今までコメントの書き込みされたことを全部話してきたので、1円たりとも募金してくれる人には感謝しなければならないと彼に言ってきました。たくさんの人の寄付というところを多額の寄付と言ってたから、ダメ出しした僕であったが皆さんの寄付で餌の方は、少し息がつける状態になり本当に感謝いたします。僕は1月5日にいわきまで出てもらい彼と会うので、その時にまた必要な物を確認して帰りたいと思います。

新しく買ったパソコンも使いこなせていなくて、朝の7時から書き始めて今になりました。一度作ったのが消えちゃってがっくし。今年の始めから大変な思いをしてます。(泣)僕はみなさんに前回、牛の柵を囲うための資材の足場組み用のパイプとかジョイントやクランプなどを、支援してくださいと書いてしまいましたが申し訳ありませんでした。その資材は役場にではなく富岡町から車で40分くらいの四倉で受け取らせていただけましたら助かりますので、役場にではなく四倉で受けさせてください。

その支援をして下さる方、どうかこちらの勝手をお許しを頂いて四倉まで運んで下さい。よろしくお願いいたします。今年の一年が皆様にとって、良い一年になりますことをお祈りして、新年のご挨拶とさせていただきます。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。





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