一年で、4~5万キロは走るだろうか・・・
仕事柄、年柄年中、車を運転している私。
〝ペンだこ〟なんか何年も前に消えてしまったが、代わりに中指・薬指の節には、〝ハンドルだこ〟ができている。
それでも、私は、車の運転が苦にならないから幸いだ。
そして、この仕事は、いつどこに呼ばれるかわからない。
たまには、日を連ねて同じ現場に入ることはあるけど、基本的に、行く先に計画性はなく、日によってバラバラ。
毎日のように違った街・色んな景色との出逢いがある。
だから、考え方を一つ変えるだけで仕事に窮々としている気分を、気楽なドライブ気分に変えることができる。
続きはこちら
仕事柄、年柄年中、車を運転している私。
〝ペンだこ〟なんか何年も前に消えてしまったが、代わりに中指・薬指の節には、〝ハンドルだこ〟ができている。
それでも、私は、車の運転が苦にならないから幸いだ。
そして、この仕事は、いつどこに呼ばれるかわからない。
たまには、日を連ねて同じ現場に入ることはあるけど、基本的に、行く先に計画性はなく、日によってバラバラ。
毎日のように違った街・色んな景色との出逢いがある。
だから、考え方を一つ変えるだけで仕事に窮々としている気分を、気楽なドライブ気分に変えることができる。
続きはこちら
お疲れさまです。
湿度の高い不快な季節ですが
隊長の体調はいかがでしょうか。
ご遺族の女性の問いに
隊長は何て答えられたのか・・・
とても知りたいです。
年間走行距離すごいですね。
お腰をお大事に。
眠っているようでも生気は感じないし、冷たくなった体は、やっぱり変わり果てた姿なのでしょう。
愛着や情がわかないのは、愛してた人の死をまだ受け入れられてないとか、
受け入れているけど、遺体をなにかの抜け殻で故人とは別のモノのように感じたりしているのでしょうか。
死って、今更ながらに不思議ですね。
理解できているようで、それが理解なのかわかりません。
死の迎え方ってイメージ通りじゃないんでしょうね。
このお話は、先の『イテテ』と対照的だと思いました。
夢の中でも、遺体を見たくないと逃げ回っていたりします。
葬儀の際に葬儀屋さんが撮って下さった遺体の写真も見られません。
タクシーの運転手さんとかなら話題作りも必要でしょうけど、隊長さんのお仕事の場合遺族の方が助手席に座られたとしても寡黙で当然、
何も気を遣う必要はないんじゃないかと思いますけど、
隊長さんって本当に気遣いの方なんですね。
何となくその故人からされてきた娘さんの苦悩がわかるような気がしました
それが自分の親ならいっそうこわいですね。
死体を恐れる気持ち、それが実母であるのに
そう感じてしまう自分への罪悪感、
凄く人間くさい、愛おしい感情な気がします。
隊長さんは、女性の心を察しようとしていましたから、それは、すばらしいことです。
逆に昨年友人を自殺と言う形で失った際には、発見が数日経過していた為に変色などしていたらしいので、葬儀の時はシート?が掛けられていてご遺体と対面はしませんでしたが、しばらくの間、思い詰めていた事に気付いてやれなかったのを恨んでいるかもとちょっと怖がっていました。ただ葬儀も終わって無事送り出して、遺族の方に友人付き合いなどを感謝されたりしたので落ち着きました。