ほぼ毎朝、LINEの画像で挨拶をしてくれる三女と孫君5号。



三女さんとお話をしたいけれど、まもなく2歳となる彼はそれを許さない(笑)
母子共に元気を確認。
書こうかどうしようか
そっか備忘録
私の思いを残そう
三女は大学4年生の2月発病。
私の職場に大学から入院したと連絡が入った。
私の職場はそう言うことには至って協力的。
すぐさま駆けつけた。
退院をしてさいたまに戻るが、心配。
3人娘共、スイミングで頑張り
それぞれの進路でもスイミングが活かされた。
特に三女は大学では部長として活躍。本来負けず嫌い。
退院してから
一人で泳ぐことは不可。
辛い時も嬉しい時も、どんなに疲れていても
『水に潜りてえ』と言う。
大学はまだ2年残っている。
一人にして悲観して何かあったら一大事。
3月年度末を待って退職。
かくして 三女の大学のある新潟で二人暮らしが始まった。
彼女の負担にはなりたくなくて、
冷たいほど距離を置き見守った。
新潟での仕事は事情を伝えて、娘の卒業まで、それ以降は働けないと。
マンションからすぐ近くの職場となった。
学生時代に慣れた街、不便は無い。
あっという間の2年間。
無事卒業して羽ばたいた。
でも、障がい者手帳を頂き、私の中で結婚や出産は望まなかった。
三女も思いは同じらしく、
子どもと自分の病気に関わる仕事に携わった。
職場の先輩から紹介されて、先輩の弟さんとお付き合い。
先輩だから三女の病気は承知。
そして何年かお付き合いをして結婚。
やっぱり子どもが欲しい。
病気を思うとかなり負担が。
でも、夫婦二人で決めたことだから、私は応援するばかり。
不妊治療にも挑戦。
出産時の負担が何より心配だった。
無事5号君の誕生。
そして、二人から
もう一人、授かるものならと。
(やや高齢出産かな)
彼は仕事も退職して、三女の負担を助けると。
一番喜んだのは孫君5号。
11月から大好きなパパが家に居て遊んでくれる。
ばあばの私にはLINE電話だけ。
忘れられるかもな。
そんな訳で産気づいて病院へ。
三女を通じて、出産は命懸けであり、健康に産まれることが当たり前では無いことを改めて痛感する。
12月7日 11時過ぎ 母子共に健やかに産まれたと。
神様に御礼を述べたいけれど、私はわがままをいっぱいしていて、神様になかなか素直にお礼が言えない。
でも、やっぱり心の中では
ありがとうございますと
叫びました。
孫君6号
ようこそ🥰

大好きなパパさんとお散歩

