大学の物理の最初の試験で「永久機関が存在しないことを証明せよ」というのがあって、なにやら小難しい数式を交えながら証明したことを覚えている。
しかし、どのような回答を書いたかは忘却のかなたに消え去っている。
なぜ急にこんなことを書くかというと、最近、コミュニティやアイデアといったものを考える時に必ずと言っていいほど私は落書きをはじめる。
人に見せるというより、自分の中で頭を整理するつもりで書き始めるのである。
私の頭は元来、文字や数字よりも画で頭に入れた方がいいようである。
そういえば奉職したころ、法律を読んでいて生あくびばかり出て苦労した。
そこで思いついたのが、まずパターン化だった。
パターン化すると必ず第一条は「目的」から始まり、次は「定義」...
また、時系列に条文が進むことが見えてきた。
次に、「ただし」書きが例外的なことが書いてあるということが見えてきた。
法学部出身なら朝飯前のことも苦労した。
次に判例を読み進めるうちに、やはり頭に入ってこない。
そこで落書きを始めた。
すると何となく頭に入り始めた。
でも、この落書きがちっともうまくない。
でもなぜか自分で言うのもおかしいが雰囲気が出ている。
そのせいか相手の心を掴むようである。
話が終わった後に、「ご理解いただけましたか?」と尋ねると、
「いやあ、よくわかりました。ありがとうございました」とお礼を言われ、
必ずと言っていいほどその落書きをせがまれる。
有名画家でないから後世に名を残すわけでもない。
では、その内容が素晴らしいからか。
一概にそうでもないようである。
どうやら、その落書きの登場人物がどことなくほのぼのとしていて、癒されるらしい。
「こんな落書きでよければ、どうぞ」
つい、ずに乗って渡してしまう。
しかし、どのような回答を書いたかは忘却のかなたに消え去っている。
なぜ急にこんなことを書くかというと、最近、コミュニティやアイデアといったものを考える時に必ずと言っていいほど私は落書きをはじめる。
人に見せるというより、自分の中で頭を整理するつもりで書き始めるのである。
私の頭は元来、文字や数字よりも画で頭に入れた方がいいようである。
そういえば奉職したころ、法律を読んでいて生あくびばかり出て苦労した。
そこで思いついたのが、まずパターン化だった。
パターン化すると必ず第一条は「目的」から始まり、次は「定義」...
また、時系列に条文が進むことが見えてきた。
次に、「ただし」書きが例外的なことが書いてあるということが見えてきた。
法学部出身なら朝飯前のことも苦労した。
次に判例を読み進めるうちに、やはり頭に入ってこない。
そこで落書きを始めた。
すると何となく頭に入り始めた。
でも、この落書きがちっともうまくない。
でもなぜか自分で言うのもおかしいが雰囲気が出ている。
そのせいか相手の心を掴むようである。
話が終わった後に、「ご理解いただけましたか?」と尋ねると、
「いやあ、よくわかりました。ありがとうございました」とお礼を言われ、
必ずと言っていいほどその落書きをせがまれる。
有名画家でないから後世に名を残すわけでもない。
では、その内容が素晴らしいからか。
一概にそうでもないようである。
どうやら、その落書きの登場人物がどことなくほのぼのとしていて、癒されるらしい。
「こんな落書きでよければ、どうぞ」
つい、ずに乗って渡してしまう。