今夜のNHKのクローズアップ現代は、次のような内容であった。(ホームページから引用)
部下の叱り方やほめ方を教える研修が全国各地で人気を集めている。
若手とのつきあい方を見失った管理職が増えているためだ。
上司が軽く注意したつもりでも、それが原因で会社を辞める若者が後を絶たず、厚生労働省の調べによると“パワハラ”に関する部下からの相談件数は、この10年で6倍に増加している。
しかし一方で、“ほめる”だけの、厳しさのない職場では、人材が育たないと危惧する企業も増えている。
叱るのか、それとも、ほめるのか。
上司の苦悩の背景には、成果主義の導入、年功序列の崩壊、雇用形態の複雑化など、会社の構造が変化し、これまでにないコミュニケーションが企業社会の中で求められていることがある。
部下の指導に悩む管理職や、新しい人事システム導入を試みる企業の取材を通じて、現代に求められるコミュニケーションのあり方を探る。
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実は、このことに悩んでいるのは管理職だけではない。
なんと10歳くらい離れた先輩でも新入社員の考えがわからないという。
その一方で、入社三年目までの若者たちも悩んでいる。
ゆとり教育で育ち、怒られないままにきた若者たちが、いきなり否定されるのである。
時には全否定されるのである。
今まで普通に考えていたことが、普通じゃないんだと気づいたときのショックを思うと、そういう教育をしてきた私たちにも責任があると思う。
運動会で一位を決めない競技をしていて、いきなり「勝ち残らないと生きていけない」と言われたらどのように思うだろうか。
少し話がそれるが、先日、一回りちがう後輩が尋ねてきてくれた。
彼曰く、「最近、怒られないんですよ。怒らずにおいて、陰口を言われる。聞こえてこなければいいのに、耳に入る。正々堂々と直接言ってくれればいいのに...」
私は、彼をいつも烈火のごとく怒っていた。
職場の裏の駐車場で、天を仰ぎ見て涙する彼を見た者もいる。
そして、その悔しさをバネに挑んできた彼がいる。
時代は変わったというが、変わらないものが一つだけある。
その人のことを思い、その人の将来を思うこと。
そこが、ほめるか、怒るかの境界線のような気がする。
私も昔とちがって、ずいぶんと怒らなくなった。
立ち居地がちがってきたせいか...
でも、めったに怒らないが、その人のためを思うとつい怒ることもある。
そのときの例は、
「君は、すごいと思う。
何々もできて、何々もできるからね。
でも、そんな君にも二つのことができていないと思っていた。
一つ目は、何々。二つ目は何々。
その一つ目は、注意したよね。
そうしたら、君はできるようになったよね。
じゃあ最後の一つ、これもできるよね。
それさえできれば、君は完璧だ。
そして、君ならできる」
やり方は色々とあると思う。
でも、真剣にその人と向き合っているかどうか。
昔の親が見ていないようで、誰よりもわが子を見ていたように、その人を常に見守り、その人の未来も含めてどういう道筋をつけてあげるのがいいのか、真剣に向き合っていれば、怒るべきか、ほめるべきかなど悩まなくてもいいような気がする。