TOY-TORCHA

60歳お父ちゃんの「つまらなくって、何の役にも立たない」と大評判の馬鹿まる出しブログ。

とうちゃんのお茶飲み話 少子化についての世迷い言

2025-02-11 11:28:32 | とうちゃんの毎日
6月、とうちゃんの妹の娘、つまり
とうちゃんの姪に赤ちゃんが生まれます。
男の子だそうです。

とうちゃんは嬉しくて、本屋さんに行けば
赤ちゃん用の絵本を探し、衣料品のお店に
行けば赤ちゃん用の靴下なんか探すという
暮らし方になってます。

とうちゃんは名前を考えてあげてもいいし、
なんならとうちゃんの名前から一文字か二文字
取って使ってもらってもかまわないんですが、
縁起が悪いとでも思われてるのかなんなのか、
今のところそういう要請はありません。

名前の事はともかく、少子化が加速する昨今、
実にめでたい話しではあります。

で、本題。
先日、同郷の古い友人と電話で長話しをしたとき、
「少子化問題は景気が良くなりゃ解決するのか」
っていう話しになったんですよ。

その時うまくしゃべれなったことを整理したい
ので、ここに書いてみます。
長い話しになりそうなので、お茶飲みながら
付き合ってください。

友人が言うには、少子化の一番の原因は、
婚姻数の低下だそうです。
結婚した人は今まで通りに子供を産んでいる
というデータがあるんだそうで、
結婚の妨げになっている所得の不足を補えば
良いとの事でした。
まあホントはもっと複雑な話でしたが、
とうちゃんが雑にまとめるとそういうふうに
言ってたのかな、と。

で、とうちゃんの言い分は、結婚して一緒に
住んだら家賃とか光熱費が半分くらいになるん
だから、お金がないならなおさら結婚した方が
お得なはずで、そうしない理由こそが結婚、
出産を阻んでるんだろう、って事です。

実際に同じ年齢層で比較すると、お金に余裕の
ある人達の方が婚姻率が高いというデータがある
らしいんですが、お金を持ってる理由
(育ちがいいから、頭が良いから等)の方が
重要なのかもしれないので、ちょっと今はその話は
無視しまして、途中の細々した話もすっ飛ばして
結論だけ言うと、少子化ってのは、
人類のお子様化が原因だと
とうちゃんは思うのです。

今の若い人は、「個性」だの「多様性」だの
という言葉にのせられて、個人主義に振れ
過ぎた社会で育った結果、「集団の一員として
の自分」がなくなっちゃって、世間から
切り離された「ただの自分」が、ふわふわ
浮いてる感じになっちゃった。
って気がするんですよ。

とうちゃんが子供の頃はまだ農耕社会の名残みたいのが
あって、社会が「共同体の一員としての個人」を育てる
という方向で動いてたと思うんですが、今育ってるのは
「単なる個人」でしょ。

「自分」の幸せを追求するのが人生の目的です。という
個人がたまたま寄り集まって暮らしているのが、
家族であり、市町村であり、国であり、この星である、
というコトになっちゃったのが今の時代です。

で、その幸せってのは、おいしい物、すてきな物、
楽しい経験、便利さ、快適さ、等々を手に入れる
事だと考えている。

違いますよ。

とうちゃんは、そういうものを人に手渡せたときに
嬉しい気持ちになります。
じょうずに作れたご飯をみんみが喜んで食べてる時、
かっこよく作れたおもちゃを欲しがってくれる
お客さんに出会えた時、とうちゃんがいっしょけんめ
話すくだらない話しで場が盛り上がったとき、
近所のじいちゃんばあちゃんを手伝ってあげられたとき、
なんでもいいんだけど人が喜んでくれるときに
自分の価値を実感して、嬉しくなって、幸せを
感じるんですよ。
人間ていう生き物はそういうふうにできてるんです。

だからガツガツ欲張ってお金をかき集めてる人の
話なんか聞くとかわいそうになりますね。
「使い方のわからないお金を貯め込むことに
 時間を無駄遣いしてちゃもったいないよ。
 とうちゃんに半分よこしな
って、言ってあげたいですよ。

とにかく、良いものが人より余分に欲しい!
って考える人どうしでは結婚が、手間や時間や
心の「奪い合い」になっちゃいますからね。
そういうことがなんとなくわかるから
わざわざ結婚なんかしないんじゃないかな、
利口なお子様は。
で、馬鹿なお子様は時間とお金を無駄遣い
してるうちに一生が終わる、と。

とうちゃんはついこの間、別居中のママから離婚届を
渡されましたので、自分の身をもって感じた話として
自信持って語りますけど、とにかくお互いが自分の事
最優先では絶対うまくいかないですよね。

とうちゃんはずいぶんママやみんみの為と思って
自分の事は二の次にしてきたつもりですけど
(このブログ読んでるとそうは思えないでしょう
 けど、ここに書いてあるまぬけな話の数十倍、
 書けない苦労話があるんですよ)
伝わらないものもいっぱいあったんでしょうね、
離婚は避けられませんでした。

ちょっと極端な想像ですけど、みんなが
はじめ人間ギャートルズみたいに暮らしてた頃、
子供って、便利な道具だったと思うんですよ。
「水汲んで来い」とか、「ゴミの穴ほっとけ」
とか、コキ使えるじゃないですか。
だけどだんだんいろんな道具を作れるように
なって、つまり文明が発達して来て、みんな
が楽に便利に暮らせるようになったら、
子供コキ使って出来る仕事と、子育てに
かかる手間とが見合わなくなったんじゃ
ないでしょうかね。

自分の老後の面倒みてもらうつもりで苦労して
育てたのに、ほったらかされたり、「糞じじい」
呼ばわりされたりしたら意味ねーや。
ってコトなんじゃないかな。

とうちゃんは、親の介護みたいなことしました
けど、みんみにあんな思いはさせたくないんで
すよ。
でも歳とれば、誰かの世話にならなきゃならない
事もあります。
だけど子供は介護の道具じゃないという時代。

そしたら、育てた子供の数に応じてもらえる年金の
額が増えるってのはどうでしょうかね。
介護から解放された子供は、社会に貢献できるんだから
帳尻は合うと思うんですけど。

結局、文明ってものが、個人の便利さを追求して
発達してゆくのなら少子化は避けられないと思います。

作るだけでお金がもらえて、育てるのは人任せみたいな
仕組みを国が用意するとか、産んだ子供が高く売れるとか、
そういうキ〇チガイみたいな世の中になれば別ですけど。

だったら「量より質」という方向に舵を切って、丁寧な
暮らし方をしたらいいと思うんですよ。

経済の事もよくわからないですけど、日本人の
暮らし方を海外の人がうらやましく感じれば、
世界をお客さんに出来るわけでしょ、質の高い
商品ならみんな欲しがりますよね。
もっと外に目を向けて商売したら、少人数でも
うまくやってけそうに思うんですけど違うんでしょうか。

それでも人がいっぱいいないと駄目だと思うんなら
LGBTだの、夫婦別姓だの言ってちゃ駄目ですね。
二言目には「人権」とか言い出す人がいますけど、
それは別居中のママですけど、ギャートルズが
マンモスに襲われたときには人権もへったくれも
ないでしょ?
個人が義務を果たす代わりに、国家という仕組みが
人権を守るんでしょ。
国が揺らぐほどのわがままを押し通して
人権だけが残るわけねーだろ。って話ですよ。

そーゆーコト言うと、じゃあ国が「死ね」と
言ったら死ぬのか!?
って、必ず馬鹿が言うんですけど、
それもママとかですけど、だから
「死ね」なんて言わない国を作る為に
みんなが大人にならないと駄目なんですよ。

国と個人は対等。
そのバランスが個人寄りに狂ってきたから
調整が必要って事だと思います。


手近なところでお手本となるべき両親が、いつも
喧嘩ばかりしてたなぁ、とか、親にかまってもらえ
ない、つまらない子供時代を過ごしたなぁ、とか
思えば、結婚して子供作って負の連鎖に加わりたい
と思うはずないですからね、

ときどき、みんみが結婚したくない
とか言うのを聞くと忸怩たる思いってのが込み上げて
来ますよ。
まだ18なんで、「早く結婚したい!」とか言われたら
それも嫌ですけどね……。

だらだらしゃべったわりには、結局整理できてない
気がしますけど、腹がふくれるほどお茶が飲めました。

ご清聴ありがとうございました。



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