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歴史群像のドニエプル攻防戦を読む

2019-07-13 15:23:39 | 日記
 今月発売された歴史群像の中の記事ドニエプル攻防戦を読みました。この戦いでドイツ軍がソビエト軍には勝てないというか後退局面に入ったことが決定的になった戦いでした。ドニエプル攻防戦の前段に発生したのがドイツ軍のツィタデレ作戦です。

 独ソ戦3年目の1943年となりドイツ軍は東部戦線の主導権を握るため、クルスク近郊のソビエト軍の突出部を南北から攻撃して切断するツィタデレ作戦を計画しました。突出部を切断すれば独ソの戦線に張り付けている部隊を浮かせることができて予備兵力をふやすことができます。しかし、素人でも突出部を切断しようと考えると思うので、作戦としては見え見えであったといえます。ですから冬から春になり泥のシーズンが終わり戦車が自由に動けるようになったら即、作戦を発動すべきでした。

 しかし、ヒトラーは新型戦車のパンターとティーガーなどを配備してから作戦を発動することとしたため、ソビエト軍に陣地を作る時間的余裕を与えてしまいました。二重三重どころか五重六重以上の陣地ができ大量の対戦車砲が配備され、戦車部隊も大量に集められました。

 そして作戦発動。ドイツ軍はソビエト軍の陣地に悩まされて電撃戦のような突破は行えませんでした。それでも南部地区で行われたソビエト軍との大戦車戦では大量のソビエト軍戦車を撃破してこの戦いには勝利したといえます。しかし、イタリアへの連合軍の上陸などもあり作戦は中止されました。ソビエト軍は大きな被害を出しましたが、十二分な補充戦車をもっており迅速に反撃に移りました。それに対してドイツ軍は戦車部隊の受けた損害を回復することができず、とうとう東部戦線の主導権を明け渡すこととなりました。

 ソビエト軍の反攻に北部戦線ではドイツ軍が包囲されそうになりましたが、からくも包囲を免れました。もし包囲されたらドイツ軍はもっと早く崩壊していたと思います。南部戦線でも名将マンシュタイン元帥をもってしてもソビエト軍の反攻を抑えることができませんでした。そうするとできることは天然の障害となるドニエプル川まで後退して川を挟んでソビエト軍を迎え撃つ態勢をとることです。ドイツ軍はドニエプル川目指して後退しました。

 ソビエト軍もドニエプル川の重要性はわかっていたので、いち早く渡河することを目指しました。ドイツ軍がようやく川を渡っても陣地が整備されていたわけでもなく、部隊の配置にも時間がかります。そのどさくさにまぎれてソビエト軍の小部隊が渡河しました。ソビエト軍というのはこのような小さな橋頭保を得た時にそれを排除しようとする敵との戦いに非常に強いというか、橋頭保を守り抜くのが得意なのですね。この場合も結局橋頭保を守り通して大部隊を渡河させることとなりました。

 こうなるともはやドイツ軍にはソビエト軍の攻撃を守りとうすことが不可能になりました。以降ドイツ軍は後退するのが精一杯な状態となっていったのでした。