昨日の夜、やっと村上春樹の「1Q84」book3を読了した。
発売日の4/16の夜からだから意外に600ページを越える厚みに時間を要した。
本を閉じて、しばらく放心した。
これで終わりなのか?…思い掛けないエンディングに頭が混乱している。
作品の評価は、読者それぞれの心の有様…
読み終わった本の他人の評価には、あまり感心を抱かなかったのだが、
深い諦念や喪失感が、ある種の快さとなって読後感の余韻をひきずる
過去の村上作品とは明らかに違う展開に、うまく頭が整理できない。
アマゾンコムの「1Q84」book3ブックレビューを覗いてみた。
やっぱり評価は大きく分かれている。
あいも変わらず作品世界に散りばめられた暗喩や謎解きに夢中なのは、いつものこと。
プルーストやドストエフスキーの引用から自論を展開する文学オタクたち…
う~ん、やっぱり観るんじゃなかった(笑)
PCを閉じて評価を一日保留することにした。
もっと素直に物語が囁く声に耳を澄ましてみよう…
そう、それは声を上げられないほど絶望的な孤独の縁に佇み茫然としていた、
いたいけない10歳の魂と魂が、そっと触れ合った手のひらの温もり(親密な生命の温もり)
を信じて、強くお互いを求め合う魂の邂逅の物語だ。
84年以降、あらゆる暴力と災厄が世界を席捲して私たちは希望を失ってゆく。
村上春樹は「物語の力を信じる」と発言している。
これが村上春樹の希望を失った時代の私たちに対する回答なのか?
二つの月が浮かぶ世界から一つの月が輝く世界に戻り、
まだ生還した世界に違和感を感じながらも、その謎や矛盾を呑み込み、
世界に潜む脅威や危険と向き合い、そしてこの世界に留まることを決意する青豆と天吾、
そして宗教的な啓示に満ちたもうひとつの生命。
わずかに灯った希望の火を信じて二人が眺める風景は、
都市のスカイクレーパーに月が沈み、夜の輝きを失ってゆく静かなエンディング。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます