風雪の朝
2011-02-14 | 風景
母の喪が明け、迎えた週末、再び寒気が南下してきた。
厳冬期石鎚の天候は、この人に聞け…
今治のKさんは「南岸低気圧通過後の気圧配置から観て、13日の朝、
一時的に北東の風が吹く。Dさん面白いよ」と予測。
どの天気予報を観ても、「13日の朝は、北西か南西の風、曇り」
としか予想していない。
結果的に、またしても今治のKさんの予測は見事的中。
(下山後、Kさんの中判デジタルPENTAX645Dの驚異の4000万画素世界
を液晶ディスプレイで確認。
北東の風がもたらす天狗の首巻きと巨大な虹色の日輪の撮影に見事成功)
Kさんのデータ収集、分析能力は驚異的だ。
(以前から風景写真はデータ収集の結果だと繰り返し言っているのは、
ピンポイントで天候や自然現象を予測するには、その場所に通い続け
データを集めることが基本。唯、闇雲に通っても無駄足を重ねるだけ)
今治のKさんたちは11日金曜日から石鎚へ入ると云う。
私は仕事の都合で、どうしても12日土曜日からしか動けなかった。
これも結果的に、私たちの運命を大きく左右することになる。
11日の朝、Kさんから「湿った重い雪でケーブルだか電気系統の故障が生じ、
ロープウェイが動かない」と携帯で連絡。
その後、トラブルは解決し、夕方に山頂から再び、
「湿った雪だが、プラス30cmの雪で問題なく山頂に到着。Dさん待ってるよ」
と連絡が入る。
その晩、三浦さん(「気宿る山、石鎚」の写真家)に電話を入れると、
「もう少し天候の様子を観てみる。土曜日に入山するなら車で送ってあげるから
西条駅まで来なさい」と嬉しい言葉が返って来る。
暴風雪注意報の出ている土曜日は、ロープウェイ駅までのバスの運行が怪しい。
三浦さんの親切な言葉に甘えることにした。
出発の朝、松山は予想外に天候の回復が早く、西の空から晴れてきていた。
今治で雲間から太陽が顔を覗かせ、廻り込んだ壬生川は一転して吹雪。
石鎚山系は厚い黒雲に隠れ、降り立った西条駅は吹き荒れる風雪の只中。
改札を抜けると三浦さんが手招きをする。
三浦さんの四輪駆動車に乗り込み出発。
山間部に入るに従って積雪も増え、河口を過ぎると車高の低い乗用車では
底を擦りそうな積雪。
三浦さんから伝言です。
写真集「気宿る山、石鎚」は明屋、宮脇書店で入手可能です。
朝日新聞四国ローカル版でも大きく取り上げられた「気宿る山、石鎚」。
是非、書店で手に取りご購入ください。
さて三浦さんにお礼を言って「山から雪の状態を連絡する」と吹雪の戸外へ。
山上のスキー場は滑降が不可能な程の大荒れの天候だと云う。
降り立ったロープウェイ山上駅には人々が固まって誰も戸外へ出ようとしない。
踏み出した戸外は、目を開けていられないくらい風雪が舞い、
身体ごと持ってゆかれそうな強風が吹き荒び、地吹雪が視界を閉ざす。
持参したスキー用のゴーグルが、今回は大いに重宝した。
成就の白石旅館へ寄ると、「わざわざ、こんな日に…」と呆れられる。
「昨晩から乾いた雪が一気に降り積もっている。山頂まで辿り着くのは不可能」
と断言された。
何年か前の一晩で1m降り積もった日の蟻地獄のような雪との格闘を思い出す。
でもあの日は、これほどの暴風雪が吹き荒れることはなかった。
「行けるところまで行ってみる」と身支度をして出発。
石鎚神社に旧いお札を返し、無事下山を祈る。
山門を抜けた樹林帯の中でも地吹雪が吹き荒れ、瞬く間にトレースを消してしまう。
出会った下山してくる登山者の誰もが、前社ヶ森手前で深雪のため引き返して来る。
唯一、三の鎖手前まで行った5人のパーテイは、
「山上は表層雪崩の巣だ。目の前を新幹線のような速度で雪崩てゆく。
雪崩に巻き込まれ50mくらい流された」と声を弾ませ忠告。
「ありがとう。夜明峠くらいまで行ってみる」と応えると、
「夜明峠手前の斜面が危ない。流されと谷底まで滑落だ。必ず尾根を辿るように」
と厳しい言葉が返って来る。
その後会った下山者も「吹き溜まりの雪が深くて手に負えない。前社ヶ森手前の
トラバースは雪崩の巣になっているから渡れない。鎖場を辿るしかない」と忠告。
その日、山上まで辿り着いた人は誰もいない…
八丁坂の上り返しをしばらく行くと、完全にトレースは途切れた。
膝上から腰まで埋もれるラッセルが延々と続く。
吹き荒れる吹雪の中、茫漠たる白い風景の中から記憶のある目標物を探し求める。
ストックでは役に立たない…ピッケルに交換。
乾いたサラサラの雪の蟻地獄から抜け出し前進するには、
雪を掻き続け足場を踏み固めて前進するしかない…そのためピッケルをフル稼働。
何度か道を失いかけるが、なんとか試し鎖下に到着。
25キロオーバーの荷物を背負い凍った鎖場を昇るのは勘弁してほしい。
前社ヶ森手前のトラバース斜面を見下ろし、ルートを探る。
岩場との境の潅木あたりなら行けるかもしれない。
ソロリ足を踏み出すと、目の前で雪面に亀裂が入り崩れてゆく。
足を踏み出すたびに崩れる雪の塊を幾つもやり過ごし、もう大丈夫と思ったところで、
思い切って斜面に踏み出す。
足場を慎重に探りながら前進…なんとか暮れかかった5時前に前社ヶ森に到着。
ヘッドランプを取り出し、さらに先を進む。
本当に、あの5人のパーティーは、三の鎖手前まで辿り着いたのかと
疑念を抱かせるほど、誰も辿った痕跡を見い出せない真っさらな雪面が続く。
瘤を廻り込むたびにサラサラの蟻疑獄との格闘。
ブナの根方を廻り込み目標物を定めて踏み出した足がズブズブ沈む。
さらに足場を固め、方向転換しても、そこはまた蟻地獄…
延々と抜けられない雪の底なし沼に迷い込んだみたいな絶望感。
もうそこで前進する意志が折れた…前社ヶ森へ引き返しビバークを決断。
前社ヶ森の小屋は屋根があるものの、壁が一面しかないので吹きさらし状態。
トタン板と角材で隅っこに雪囲いを作り寝場所を確保。
荷物を解いて、やっと落ち着く。
三浦さんと山頂のKさんに連絡を入れ、夕食後寝袋に潜り込む。
銀マットとエアマットのおかげで意外に快適。
夜半には吹雪も止んで、吹き込む雪に埋もれる心配もなくなった…一安心。
目覚めると五時を回っていた。
雲間から星が瞬いている。
温かい珈琲を沸かし朝食後、荷物を片付ける。
氷点下12℃の明け方の寒気の中、かじかむ手先での作業に手間取った。
出発する頃には空も白み始めた。
天気予報に反して、どんどんガスが晴れてきている。
昨夜の雪との格闘の場所から先が長かった。
夜明峠手前で朝日が昇る。
一面の霧氷林が朝陽を浴びて茜色に燃え上がる。
夢中でシャッターを切り続ける。
核心部、夜明峠手前の斜面に取りかかる。
一気に斜面を這い上がるルートを辿るが、崩れ続ける雪面に埒が明かない。
試しにトラバースしてみると、意外に雪面が固い…朝の冷え込みで凍ったか?
前社ヶ森から2時間の格闘の末、夜明峠の取り付きへ這い上がる。
一歩踏み出すごとに視界が開ける。
目の前に、朝日に照り映え目も眩むような風景が、どーんと迫り上がるように屹立する。
「父さん母さん、観てご覧。これが真冬の石鎚だよ」
と亡き父母に語りかける。
出発前、仏壇に向かい「一緒に石鎚へ行こうね」と、
老いてままならぬ身体から解放され、魂の自由を獲得した父母に呼びかけていた。
生前から山の写真をプロジェクターにかけて両親に見せていた。
目を細めて喜んでいた父母の姿…そして「もっと若ければ一緒に行けたのに」
と繰り返し言っていた懐かしい父母との憶い出。
それを今、実現できた。
そう信じたい。
目の前に広がる息を呑む風景を、亡き父母と共に喜び分かち合う。
そんな想いが今、叶ったのだと私は、その時信じた。
「ヤッホー」
腹の底から快哉の声を上げていた。
もう自分の事のように嬉しくて嬉しくて
何度も何度も読み返しました
どれもが高さを感じます。当たり前の事ですが
苦しい時間を乗り切ったものだけに与えられる天からのご褒美。。。。
軟弱な私では到底見られないシーン
感動しまくりで(*^_^*)くしゃくしゃです
ご両親もきっと今のランスケさんに安堵しておられますよ
今日は初出勤でした
明後日の休日プラン・・・misaworld捜しと行きますか??????
2010年は年明けから父母の著しい衰えと向き合い、
何もしてやれないままに、その死を正面から受け入れなければならない辛い一年でした。
そんな積もり重なった一年間の鬱憤を一気に晴らす雪山山行でした。
長くて過酷な気象条件を乗り越えた向こうに、
見えて来たきた光り輝く祝福の世界は、
まさにドーパミン全開のランナーズハイや修験者の森羅万象との一体感と
共通するような多幸感に満ちていました。
misaさん、再就職おめでとうございます。
また早春の花たちの美しい画像をお待ちしています。
私も、これで気兼ねなく真冬の石鎚撮影行に取り組めます。
さて次回は山頂へ。
お父さん、お母さんを背に厳冬期の石鎚、すばらしい写真です。
それと山中間のネットワークも改めて感心します。
朝焼けも良い色ですね。
写真にも感心しますが、misaさんが言われているようにランスケさんの生き生きとした活動再開に万歳!です。
雪山の文面から「石鎚山の四季」の復活のきざしを感じます。
体力も気力も以前のランスケさんにリセットされたご様子、読みながら冬山の感動を共に味あわせていただきました。すばらしい写真です。ありがとう!
また松山の画廊へ。
その尽きることのない好奇心とフットワークの軽さには、
本当に驚かされます(笑)
ブログの更新も快調。
毎日楽しみにしています。
Bloggerは、どうもコメントが書き込みにくいのが難点ですね?
(私だけか?)
決して父母と永遠の別れをしたわけではない…
そう思うことで、私は救われています。
前回お会いした時に少しお話した、伊藤比呂美の「読み解き、般若心経」面白かったです。
平松洋子や酒井順子が絶賛したこの本、
著者同様に喪失感に行方を失った私自身、いくつかの来し方の
ヒントをもらったような気がします。
「お経は、おまじない」…ははっ…
般若心経に観音経に地蔵和讃…気は持ちようです。
色んな「おまじない」で自己暗示にかけてみます(笑)
なければ老いた父母を抱えて路頭に迷っていたことでしょう。
本当に感謝、感謝です。
そして先に父母を見送った私からのお願いです。
どうかわがままなお母様を煩わしく思わないで。
お父様、お母様と共に過ごす時間は、もう僅かしか残されていません。
そのことをいつも念頭においていれば、もっと気持ちが優しくなれます。
後で、たくさんの後悔を抱えて生きるのは辛いですよ。
暖かくなったら介護の息抜きに、また春の山歩きをしましょう。
「母さん、さようなら…」
一人しばらく、その場を動けなかった。
母との別れが辛い…
帰路のバスの車中、流れる風景に眼をやりながら、「終わった」とため息が洩れ、深い諦観に囚えられた。
の文章が気になり気になり、コメントしようかどうしょうかと気ばかりが空回りして・・・結局、的確なコメントはよう書けないとあきらめましたが。
今回の本文&コメントの゜気くち持ちよう
を読むと小生の眼前の霧も晴れました。
雪との格闘のなかで、ご両親をより身近な存在にあると意識されたか?思い出のなかに生きていられるのを実感されたか?
小生も、生前の存在と死後の存在は確かに異種なものですが、今の方がより強く心に存在していて、よく問いかけをします。親父ならこれはどうしただろうかと。
遠く在りて想うから
いいのでしょうか(笑)
素晴らしい山行でしたね。その所為か、文章も写真も一段と輝いています。これが、ランスケWorldです。続きを楽しみに待っています。
あなたからのコメントが一時期途切れたのが、
一番悲しかった。
父や母に寄り添う日々の、揺れ続ける心の振幅を
いつも支えてくれたのは、間違いなくあなたからのメッセージでした。
母の郷愁の地に立った時の喜びは、確実に私にとって福音でした。
そして決して、私は独りではないと、不思議な縁(えにし)の輪を提示してくれたのもあなたです。
毎日、朝夕、仏壇に向かい般若心経を声を出して唱えています。
伊藤比呂美が「お経はおまじない」と言った言葉が気持ちを軽くさせました。
自己暗示も、ひとつの救済です。
ブログの「新米百姓」のファンとしては、復活を楽しみにしています(笑)