弟が仕事中の事故で左手指3本を骨折したため、
母の四十九日法要、納骨はバス旅行となった。
朝一番の急行バスに乗車するため、前夜から支度に追われた。
結局、床に就いたのは午前2時を回った時刻。
数時間の浅い眠りの後、5時に起床して卒塔婆、位牌、遺骨、
仏花、樒、線香…と持参する品物を点検。
お寺や石材屋さんへの法事の掛かり費用も確認。
朝食後、喪服に着替えていると弟もやって来た。
仏壇に手を合わせ、「母さん、出発だよ」遺骨を抱え家を出る。
バスの車中、窓際に置いた母の遺骨に語りかけていた。
「母さん、故郷へ帰る最後の旅だね」
車窓の風景は、放射冷却で真っ白に霜の降りた凛とした山里の朝。
そして山の端から昇る朝陽が、一閃の光で輝く光芒に包まれる。
まるで7×7、49日の長い彼岸の旅を終えて浄土へ辿り着いた
母を祝福する光のようだ。
峠を越えると、穏やかな早春の光に微睡む入江の風景が広がる。
「母さん、あなたの故郷の海だ」
蜜柑畑と穏やかに凪いだ内海の風景。
父や母にとって浄土の風景とは、
こんな穏やかな光に包まれた故郷の風景かもしれない…
宇和島でバスを乗り換え、菩提寺のある母の故郷、岩松へ到着。
河口の風景は、藍を流したような青い光の中で微睡んでいた。
橋を渡って旧い街道筋の佇まいが残る家並みを歩く。
石段を上ると、金龍山、臨江寺。臨済宗妙心寺派の禅宗の寺院。
寺の背後に広がる鬱蒼とした照葉樹林の山は臨江寺の所有林だという。
数十頭の鹿の群れや猪、猿たちが暮らす豊かな森だと和尚さんは話す。
改めて西日本の原風景は照葉樹林文化圏なのだと実感。
父方の叔父夫婦と私たち兄弟だけの寂しい法事だった。
晩年の父母、特に母は心にかかえた病もあり人付き合いの苦手な人だった。
ひっそり母を送る儀式は、それだけ母との離別の想いへ深く浸れた。
本堂での位牌の開眼供養の後、墓所のある高台へ。
和尚さんの読経、焼香を終え、遺骨を墓所の暗がりへと納める。
父の白い骨壷がぽつりと母を待ちかねたように置かれていた。
並んだ父母の白い陶磁の壺が、御影石の重い扉を閉める際、
白い光を失い闇に没してゆく様が眼に焼きついた。
「母さん、さようなら…」
一人しばらく、その場を動けなかった。
母との別れが辛い…
帰路のバスの車中、流れる風景に眼をやりながら、
「終わった」とため息が洩れ、深い諦観に囚えられた。
母を送る旅のタイトル通り、つらい寂しい旅だったと思います。今後はしっかり生き、盆暮れ、彼岸にご両親に報告できることを祈念しています。本当にお疲れ様でした。
私も和歌山在住の頃、父に連れられて家族でお参りした記憶があります。
子供心にも、玉砂利の参道と鬱蒼とした杜は、
荘厳で清々しい神域を感じました。
現在では、最強のパワースポットなのでしょうか?
母の遺骨を墓所へ納める旅は、母に最後の別れを告げる旅でした。
寂しく辛い想いは残りましたが、以前のように痛切な感情に
苛まれることはありませんでした。
kyoichさんが以前から言っていたように、
悲しみの感情を癒すのは時間なのでしょうね。
この旅で気持ちの上で、一区切りついたようです。
春彼岸には、また父母に会うため墓参します。