
明けて7/3、藍を溶きだしたような朝まだき、
乳色の靄の垂れ込めた、まだ4時という時刻に目覚めた。
この4時起きという体内時計は、この後も山で過ごす三日間、ずっと機能し続ける。
荷物を点検し、再度地図でルートを確認する。
早朝の天気予報では今日明日は晴天が続くようだ。
なるほど、朝靄がみるみる引いて青空が広がってゆく。
出発の朝、幸先が好い。
朝食を食べながら、携帯の通話可能域を確認する。
docomoは近くにアンテナが立ったようで比較的通話域が広いようだ。
auは、残念ながら、この宿も含めほとんど繋がらなかった。
ただし、稜線上で数か所、電波を拾える場所があるという。
ソフトバンクについては、ほとんど諦めるべきでしょう(笑)
7時半過ぎ、宿の若主人の運転する軽のハコバンに乗って出発。
すぐに未舗装の林道へ入るが、四国山中のデコボコ道を思うと、よく整備された道。
大鳥川沿いの道は、まるで上高地の梓川に沿って歩く林間の風景みたい。
美しい渓相の続く川辺には釣り人の姿がチラホラ。
こんな川と森の美しい風景なら、3時間の林道歩きも、まったく苦にならないだろう。
車中、面白いエピソードをたくさん聞けた。
大鳥集落の住人の大半は、長い冬の積雪期、里へ下るという。
でも朝日屋さん一家は一年中、この場所で過ごし、若主人は冬は除雪作業を雪解けの春には伝統の熊撃ちをやるという。
若主人のお父さんは国立公園の管理人資格を持ち、朝日連峰源流域においてイワナの放流をし、その追跡調査をやっているようだ。
この一家は、ずっと山で生業を立ってきた生っ粋の東北の森の民かもしれない。
抱滝ダム手前の駐車スペース(この場所が夏季運行バスの終点)にて車を降りる。
「この先500mくらいで登山口ですから」という若主人に「ありがとう」と礼を言って別れる。
さぁ、いよいよ20年来の憧れの山域へ足を踏み出す。
歩き始めると、とたんに残雪の塊が道を塞ぐ、それを乗り越えて路傍を見るとオオバキスミレの一叢が。
この北国のキスミレが雑草のように、そこいらじゅうに生えている。
イチリンソウも、ほとんど雑草状態。
北国の春は、いっせいにやってくると云われるが、まさに過剰なほど一斉に命が吹きだし溢れている。
この先、稜線に出ると、それは百花繚乱。眩暈がするほど、いっときに生命が競い合うように横溢する。
ここはまだ標高500mくらい。そして季節は夏、七月である。
それなのに残雪が、いくつも道を覆い、上記の画像のようにスノーブリッジになっている。
雪解けのドームにはキンコウカの黄色い花が咲き誇る。
雪解けと共に花開くシラネアオイを期待したが、まだこの標高では見られなかった。
さて周囲は豊かなブナの森である。
世界遺産白神山地のブナに注目が集まり勝ちだが、実は朝日連峰におけるブナの森林面積は日本一と云われる。
この森はブナを中心としてミズナラやトチにサワグルミ、天然ヒノキやクロベなどの針葉樹を含めて豊かで広大な樹林が広がる。
私は日本の森の原風景が、ここにあると思っている。
可能ならば何度でも通いたい領域だ。
森から溢れ出る清水を何度も掬って飲んだ。
いかに放射能に汚染されたとしても咽喉を潤す甘露に変わりはない。
そして、御覧のようにブナの幹が白い。
これは日本海側の豪雪地帯ならではの幹が雪で洗われ苔や菌類がつかいない状態らしい。
それは比較的若い樹に多いようで、さすがに樹齢何百年という巨樹には幾星霜の歴史が刻まれている。
でも、この白樺のように白い幹の樹林は、木洩れ陽に溢れ心洗われる美しい森を形成している。
そんな明るい森歩きが、標高960mの山上湖、大鳥池までずっと続く。
(大鳥池は取水口があるので人工の堰止湖と勘違いされるようだが、土砂の崩落によってできた天然の堰止湖らしい)
そして、この山上湖は池畔で観るよりも以東岳稜線上の尾根から眺めると、よりいっそう神秘的な深山の湖水を実感できる。(冒頭の画像のように)
午前8時に登山口を出発しているのに、大鳥池到着は午後1時半を過ぎた。
それは次々と目を奪われる光景に出会い、ちっとも前に進まないのだから仕方がない(苦笑)
大鳥池手前で本日初めての登山者と出会う。
5人くらいの軽装のグループは山菜取りのハイカーだった。
実は、この先もずっと人と出会わない。それは縦走中も。
やっと人と出会うのは百名山、大朝日岳を前にしてから。
う~ん、さすが百名山。
と皮肉を言ってみたものの、朝日連峰が、そんなに静かな山域と思わない方がいいでしょう。
ネットの山行記をみるとハイシーズンの梅雨明けからは避難小屋が混雑するようですから。
まだ時間に余裕があるので以東岳まで足を延ばしてみることにした。
大鳥池から以東岳へ至るルートは2つある。
池畔を辿り東沢からの直登ルート。
そしてオツボ峰を辿る尾根ルート。
短時間で着けるのは直登ルートだが、宿の若主人から聞いていたオツボ峰のヒメサユリと縦走路屈指の花園に気持ちは傾いている。
大鳥小屋での水の補給を迷った。稜線上にも水場があるはずという思い込みが先を急がせた。
これが後に仇となる。
分岐を過ぎると、いきなり急登である。
えぐれた階段には1m以上の落差がつき、息が上がる。
カメラをザックに仕舞い、稜線まで登りに集中することにする。
標高が上がるごとにブナは樹高が低くなり歪に湾曲する。
1時間ばかり頑張ると視界が開けた。
東北地方の山は緯度が高いせいか1400mを越えたくらいの標高で森林限界となる。
ハイマツや砂礫の風景は、3000m級の山岳風景と変わらない。
でも夏7月、午後から陽が陰り曇ったとはいえ、やっぱり暑い。
だから午前中は森の湧水で咽喉を潤していたじゃないか。
苦しい上りが続き何度もペットボトルの水を傾ける。
視界が開けた場所は、まだ森林限界ではなかった。
さらに30分登った先で、完全に樹林が途切れた。
360度開けた視界をたどると、はるか彼方に以東岳の避難小屋が望まれる。
まだ午後3時。日没は7時ころだから気持ちに余裕があった。
視線を右斜面にやると雪渓のそばにシラネアオイの青紫が。
尾根に出た安心感からか、躊躇なくカメラを出して撮影開始。
さて出発と斜面を下り、さらにゆるやかな上りにかかると、今度はヒメサユリ。それも群生。
完全にタガが外れてしまう(苦笑)
この場所で小一時間過ごしてしまう。
やっと出発すると、今度はチングルマの大群生(こちらは、ほとんど花が終わり和毛になっている)
さらにヒナウスユキソウが、そこいらじゅうにいっぱい。
ヨツバシオガマにハクサンイチゲにミヤマダイコンソウに…一面の高山植物の花園。
ここは本当に1500mクラスの山なのかと目を疑う光景が、ずっと続く。
撮影衝動をなんとか理性で抑えるのに、こんなに辛かったことはない(哀)
朝日連峰稜線は花崗岩の白い砂礫とオベリスクそしてハイマツの緑が覆い、
まるで燕岳や南アの地蔵岳あたり山岳風景をみるような錯覚をおこす。
(以東岳から先の主稜線には草原や笹原そしてナナカマドやミネカエデの丈の低い樹林風景や池塘が点在する湿地もある)
何度かカメラを取り出すが、極力撮影衝動を抑えながら尾根のアップダウンを繰り返した。
先刻のヒメサユリの咲く場所でペットボトルの水は飲み干した。
ガムを噛んで口内に溢れる唾液で、咽喉の渇きをごまかした。
それも長く続かない。舌先がカラカラに乾いてくる。
水場の道標に喜んで矢印を辿ると一面の雪渓だった。
以東岳の水場は大丈夫だろうか?
更に標高が高くなる場所の水場は、ほぼ雪渓に覆われ絶望的かもしれない。
咽喉の渇きと疲労が風景や花に対する感情を鈍化する。
いつまで経っても以東岳の傍らに建つ避難小屋のシルエットは遠く、近づかない。
ふっと傍らの雪渓に目をやると隆起した一部を掘り起こして白い雪が覗いている。
さらに近づいてみた。ほとんど不純物の混じらない透明なシャーベット状の雪だ。
思わず口に入れた。
スーッと咽喉が潤される。続けさまに掬って呑み込んだ。
さっきまでの脱水症状寸前の渇きが一気に引いた。
ペットボトルにも掬って入れる。これなら以東岳の水場も大丈夫だろう。
とたんに元気がでた。
最後のオツボ峰から以東岳を辿るころには日本海に夕日が沈み、空を燃えるような茜色に染めた。
眼下に夕闇に沈む大鳥池。
遥か鳥海山のシルエットや雲上の飯豊連峰。そして重厚な山塊を重ねて延びた山脈の先には主峰、大朝日岳の三角峰があった。
以東岳避難小屋午後7時20分着。
もちろん小屋には誰もいない。私一人。
荷物を解いて、早速小屋下の雪渓を下れば、やっぱり雪渓を掘り起こした場所が。
透明な雪を可能なかぎり鍋やペットボトルに掬い、コンロで溶かして水を造った。
その間缶ビールを詰め込んだ雪で冷やし、料理にかかる。
レトルトのハヤシライスに御飯。野菜スープ。
プシュッ。朝日連峰雪渓仕込みの冷たい麦酒が咽喉を通過し身体中、細胞の隅々まで沁み渡る。
「うま~いっ」
こんな美味い麦酒は、とんと飲んだことがない。
その夜は食事を終えると、さっさと寝た。
フリースを羽織って少し寒いくらいの快適な睡眠だった。
ランスケさん悲願の大朝日岳、まだ先のようですが、感度に次ぐ感動の嵐が押し寄せてくる様子が文書、写真から溢れています。
東北の山は蔵王しか経験がありませんが、残雪も標高の低いところまで残っているんですね。
北アなどノ7月下旬という季節感でしょうか?
白い木肌のブナ、これも実際目にしないと分かりませんね。
経験に勝るものは無い。楽しんで山行をしてください。
このまま時系列で書いていると5回くらいに分けないと完結しそうもありませんでした(笑)
三日目は、もっと色んなものを見ていますが、旅の物語としての起伏に欠けています。
本当は嵐の四日目に予期せぬ喜びも、肉体の限界に近い苦難もありました。
書けなかった部分は、また明日。
ひょっとすると鬼城さんの知っている人が明日は登場するかもしれませんよ?
おそらく学生時代の同年代だと思うのですが?
お愉しみに。