Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

海うそ / 梨木香歩

2014-04-18 | 

 

元々、融通の利く方ではないが、

自転車を生活の中心に据えてから、出来ることと出来ないことの

取捨選択がわりと楽になった。

なにせ身体が動かないと、それは前に進まないのだから。

 

人の欲望を、その能力を超えて加速してきたのが文明だとすると、

自転車というシンプルな道具は、その水際で欲望と能力の不均衡さを正してくれる。

あの山を越えてその先に行きたければ、

筋力を鍛え上げて自分の能力を高めるしかない…

 

さて梨木香歩の新作「海うそ」は、またしても「畏れ」の物語だった。

梨木香歩の生まれ育った場所である南九州をその舞台にして、

鬱蒼たる照葉樹の森が放つうん気と廃墟と化した修験道の島の風景が

目が眩むように美しい。

 

冒頭の文章は、こう始まる。

山の端から十三夜の月が上っていた。

月はしっとりと深い群青の夜空の、その一角のみを白くおぼろに霞めて、

出で来た山の黒々とした稜線から下をひときわ闇濃くしていた。

昼間の猛々しい暑さが嘘のようになりをひそめ、

ときおりゴイサギの気味の悪い叫び声が辺りを制するほか、

至極静かなものであった。

 

店頭で本を手に取り、最初のページを目で追った瞬間、本を閉じた。

冒頭の一節で物語に深く引き摺り込まれてしまう。

そのままレジに走って、夜通し読んだ。

 

物語は昭和の初め、若き人文地理学の研究者である主人公が、

かつて西の高野と呼ばれた修験道の島を訪れる。

しかし、この山岳宗教の聖地は明治の廃仏毀釈によって徹底的に破壊され廃墟と化している。

屋久島を思わせる垂直に切り立った島の中央に高く聳える山岳島の自然描写。

あいかわらず風景の只中にいるような、

出会う動植物の息遣いや煌めく光や風の臨場感には息を呑む。

そして各章の表題に島の地名と生息する動植物そして民俗学的キーワードが並ぶ。

この物語は前作「冬虫夏草」同様、民俗学的な物語でもある。

主人公の研究者は、そのまま島を訪れたマレビトとして遇される。

本作のタイトル「海うそ」はニホンアシカの別名でもあり海に浮かぶ蜃気楼を意味する。

遥か海の彼方から蜃気楼のように訪れるマレビトとして。

 

そして、この物語は「失われたもの」に対する深い喪失感と祈りが込められている。

後に許嫁となる少女との繰り返される通学途上の風景が切ない。

主人公が島を訪れるのはアジア太平洋戦争を前にした、

あいついで両親と許嫁を失くした直後である。

最終章において、戦争を挟んで50年後、再び主人公は島を訪れる。

長い喪失の物語の果てに見えてくる風景は、

また「昔むかし…」で語られる物語や繰り返し唱えられる祈りのような、

ありふれた風景の中にある「善き時間」なのかもしれない…

 

修験道の聖地の廃墟に佇む主人公が抱いた感慨を、

「諸行無常ではなく、その後に続く色即是空」とした、

般若心経の文言を読み解く鍵は以下に。

 

色即是空、空即是色はどういう意味 

 

「彼岸の光」で、サリンジャーの「フラニーとズーイ」のロシアの巡礼者の話について触れたように、

祈りとは、こういうものかもしれません。

やっぱり行き着くところは、諸法無我か…

 

海うそ
梨木 香歩
岩波書店

 


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