愛を失なってしまった男たちの物語だ。
または失いつつある男たちの…
珍しく村上春樹自身が、まえがきの形で作品の成り立ちを説明している。
その奇妙なタイトルは、ヘミングウェイの短編集Men without women が念頭にあったようだ。
そして初めて知ったのだが、
村上春樹の短編集は、それぞれコンセプチュアルな主題に乗っとった統一感を成しているらしい。
今回はタイトル通り「女のいない男たち」
パラサイト・シングルの話ではない。
愛を失った、または失いつつある男たちの物語だ(笑)
全6篇の全体に長めの短編を読み終えて、溜息が洩れる。
ひとつひとつの物語が、ざらりとした肌触りの既視感に囚われる。
それが私自身の体験なのか読み耽ってきた文学的倒錯なのかは斟酌しない。
どちらにしても恋愛を語ることは、とても不可解で面倒な作業なのだから…
タイトル作である「女のいない男たち」を最後の持ってきたのは、
おそらく村上春樹らしい仕掛けなのだろう。
死んだ妻の繰り返される情事やクールな独身主義者が陥る人格破壊の恋煩い、窃視症の女…
なかなか辛いシチュエーションが続く。
そして最後に14歳の少年は、抗いようもなく一瞬で恋に落ちるのだ。
アンモナイトやシーラカンスやらに仲介されて中学校の理科教室で。
僕は「消しゴムを忘れたのだけど、余分があったら貸してくれないか?」
と隣の女の子に声をかけた。
そうすると彼女は、自分の消しゴムを二つに割って、ひとつを僕にくれた。
にっこりとして。
そして僕は、一瞬にして恋に落ちた。
14歳の少年は、聡明で潔い笑顔の素敵な少女には抗えないのだ。
まず100%、恋に落ちる(笑)
しかし14歳の少女は、少年の思惑を越えてもっとシリアスで即物的な存在なのだろう。
最初から男と女の愛は、小さな齟齬を生じ、それが徐々に徐々に大きくなってゆく…
やれやれ…
「グラン・モーヌ」の初恋の成就は、永遠の男たちの見果てぬ夢なのかもしれない?
そういう意味では作中、「イエスタディ」の
完璧な関西弁を使いこなす田園調布の同級生、木樽くんにはシンパシーを感じる。
どうして男は、つまらない墓穴を掘ってしまうのだろうか?
これも抗えない性(さが)なのでしょうかね(汗)
読んでいて、ずっと感じていた既視感は、
もうひとつ、ジャコ・ヴァン・ドルマルの「ミスターノーバディ」かもしれない。
最後の有性生殖による人類、100歳の老人の臨終の際に繰り返される見果てぬ思念。
バラレルワールドのように繰り返される成就されぬ愛の行方は、切なく辛い…
相変わらず村上春樹の短編は、どれも洗練されて心地よい時間を提供してくれる。
「ジェエラザード」と「木野」は、まだ続きを読みたい気分。
膨らませて長編に化けるのだろうか?
「木野」に登場する根津美術館裏のバーの描写にも既視感があった。
柳の木があって、旧いジャズのLPレコードを流し、隅の飾り棚に灰色の猫がひっそりうずくまっている。
もちろん表紙の絵そのものなのだが、
そして、よくあるムラカミワールドに散りばめられた小道具仕立てそのもの…
でも違っていた。
一番最初の「ドライブ・マイ・カー」に、このバーは登場していたのだ。
なんとも…小洒落たことを(笑)
どれかひとつ好きな村上春樹の短編集を選択すると、
私にとって、「レキシントンの幽霊」が、どれも粒ぞろいで一番好きな短編集。
もちろん、この短編集「女のいない男たち」も作家としての円熟期の手練れの技を感じさせる。
アマゾンブックレヴュー流に星評価をすれば、☆☆☆☆ かな…
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まだまだ世界に愛は溢れている。
ささやかだけど、フロントグラス越しの風景
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