冬の光
本当に長い間、山から遠去かっていた。
半年以上という時間は、もうそこには戻れないくらいの空白期間だ。
もう一度戻るなら冬の石鎚だろうという予感はあった。
年の瀬も押し迫った30日と31日を山への復帰日と決めた。
年末年始の天気予報を観ていて、その日しかないと思った。
松山市内にも、うっすら雪を積もらせた29日の翌日に出発。
その日は、ずっと曇り模様で翌朝から北東の風に変わる。
31日の朝は曇りの予報だが天候は回復傾向にある。
うまくゆくと雲の上の朝陽を思い描いていた(笑)
天候の変わり目はチャンスなのだ。
masaさんと待ち合わせて出発。
年末寒波で雪が降ったと云え、未だスキー場がオープンできないくらい降雪量が少ない。
成就社山門から山頂まで、ほとんど夏道状態で辿り着ける。
吹き溜まりの深い処でも30cm くらいの積雪量。
背負ったザックも20kg に重量を抑えた。
長いブランクで以前よりも時間を要したが、問題なく弥山まで辿り着けた…
つもりだったが、夜半、寝袋の中に包まり眠りにつくと足が攣った。
半端ないくらいの筋肉の痙攣だ。
いくら筋肉も揉み解しても、一向に回復しない。
長い空白期間は、こういう形で身体反応として返ってきた。
身体は正直だ(笑)
山で使う筋肉と平時に使う筋肉とは違うからね。
一カ月に一回は継続的に山に入っていないと。
ついでに外気温に対する耐性も、すっかり衰えしまった。
避難小屋内、氷点下5℃。明け方の外気温氷点下11℃。
という冬山の環境に免疫力が対応できず風邪をひいてしまった。
情けない。
大晦日から元旦は風邪を治すための寝正月。
山ではスローシャッターさんと一緒でした。
正月は山上で過ごすとか。
久し振りに会い、山小屋の夜を3人で過ごしました。
翌朝の風景は、御覧の通りです。
雲と雲に挟まれた、昏い冬の光が僅かに射す石鎚山上の朝でした。
また来いということでしょう。
くらい
何度ブログに訪れても改行できず読みにくいコメントとなっています。m(_ _)m
以前、自分もアップする気力が無くなったとき、ランスケさんのアドバイスを受けました。(笑い)
無理せず、気分が回復したら・・・
山の天気は移ろいやすい。
また来てねと言っています。
ランスケさんの山頼り期待している一人として復活、改めましておめでとうございます。
まだ風邪が抜けきれず、ぐずぐず鼻水を啜りながら正月を過ごしています。
年始の石鎚山の画像、暗く重たい色調ばかりなので、最後に1枚下山時の二の鎖から見上げた、
青空と北壁の画像を追加しました。
少しでも明るい気持ちで新年を迎えたいですからね。
a Happy New year 2019の最後に貼った、中島みゆきの「時代」は、大晦日に観たTVのソフトバンクのCMと確か紅白でも誰か、あの歌を唄っていましたね。
あぁいう時代を懐古する感傷でしか、最早、語れなくなくなったメディアの自己韜晦だと思います。
2018年は民主主義国家という体裁さえ、もう気にしなくなりましたからね。
東アジアの民主主義国家は韓国だけになりました。
効果でなんとか登り切ることができました。食べない
とダメですね。時代 は好きですが 山に登る時頭に
流れる曲は「重き荷を負い手て」です。今年もよろし
くお願いします!!
以前と比べて体力もついてきたように思えます。
一カ月に一回くらい継続的に山に登って来ましたからね。
その分、ずっと山から遠去かっていた私の体力が落ちているので、二人一緒のいいペースで登れました。
炭水化物もちゃんと摂取したので、いつものシャリバテも無かったですね(笑)
日の出前、期待を持たせる雲海の狭間の茜色でした。
その後、ガスに覆われ真っ白の長い待機時間を過ごすのは、石鎚厳冬期のいつものパターンです。
まぁ、少しでもガスの狭間に天狗岳が垣間見えたのはラッキーだと思いましょう。
次回は茜色の朝焼けを夢見て。
今の時代に、中島みゆきの「時代」がメディアで流れるという現象は、それだけ今現在が生き辛いという事ですよ。
あまり歓迎したくない現象です。