帰り道は、向かい風だった。
びゅんびゅん西風が吹いて、千切れ(ちぎれ)雲を夕映えの空に奔放に吹き飛ばしていた。
もうすっかり、冬の空。
こんな空気の乾燥した大陸の空を想わせる風景が好きだ。
川沿いのサイクリングロードを映画のラストシーンを駆け抜ける気分で
夕焼け空に向かってペダルを漕ぎ続けた。
その日は、近郊で知られた銀杏の巨樹の撮影に出掛けた。
樹齢300年とも云われる大銀杏は、まだ黄金色のピークには早かった。
何百年も生きていると周囲の環境が変わってしまう。
住宅が大銀杏のすぐ側まで迫り、窮屈そうだ。
大きな枝は剪定されたのか?自然消滅したのか?ほとんど無くしてしまっている。
百年、千年を生きる長寿の生命体の時間を考えてしまう。
自然界の中に置かれた人間の寿命は、30年くらいだという説を聞いた。
快適な住環境や先進医療のおかげで、百年を生きる人の数は驚異的に増えた。
それでも120歳くらいが人間の限界だといわれている。
山火事に耐え150年生きたあすなろの樹を、阪神大震災復興のシンボルとして
富山から神戸に運び、世界一のクリスマスツリーとしてイルミネーションで飾り立てるようだ。
恒例のルミナリエの集客力低下に変わる一大イヴェントだとか…
http://buzzap.jp/news/20171120-xmas-tree-kobe/
神事に巨樹を切り出し祭礼の供物とする伝統は確かにある。
クリスマスという現代の神事に捧げる消費の供物なのでしょうか?
街おこしイヴェントを見れば分かるように、集客と集金が現代の絶対的な価値観なのでしょう。
ほとんどの人が、それを信じて疑わないのならば、仕様がないのかもしれない…
それも良いことかもしれませんが、一抹の寂しさを覚えます。
ツリーなどもなんのために?と疑問符が付きます。
日本古来の神事の御柱などは継承していって貰いたい。
それも危険だから辞めるとかの意見もあるようです。
話題がそれました。
澄み切った晩秋の空気、私も好きです。
ちぎれ雲もコントラストが明確です。
あかね雲の色もすばらしい。
紅葉も12月になると完全に里に下りてきますね。
世界一のクリスマスツリー、何て愚かなイベントでしょう。
山にわけ入って、その森の主の様な巨樹を目の前にすると、人間の小ささを感じます。
そして温かい気持ちになります。
近くでは大座礼山の山毛欅の巨人達に逢うのが楽しみですし、屋久島の縄文杉などは人智の至らない何とも言い難いオーラを感じました。
このあすなろの木もまだまだこれから大きく育っていくはずだったでしょうに。
本当に愚かな所業、悲しくなりますね。
NHKのプロフェショナル仕事の流儀でも紹介されたプラントハンターを自称するユニークな植物業者です。
彼の主催する「そら植物園」も見てみました。
http://from-sora.com/
youtube動画で、このプロジェクトの趣旨説明を観ました。
想像していた打ち上げ花火のような金儲け企画とは、少し違うような気もし始めました。
巨木の里である富山県氷見市の協力を得て樹高30mのあすなろの樹を見つける過程に物語を感じます。
百年以上生きた命を結果的に消費することには変わりないので、納得が行きませんが、
しばらく経緯を見守りたいと思います。
樹高30mの巨大なクリスマスツリーの立つ風景は、間違いなくSNS映えするこの冬一番の注目のイヴェントでしょう。
鬼城さん、瀑さん、ごめんなさい。
鬼城さん、紅葉巡り続いていますね。
やっぱり南予は少し遅いのでしょうか?
また来週は気温が上がるようです。
寒暖差が激しいので体調管理ご注意ください。
瀑さん、屋久島主稜線縦走拝見しましたよ。
私も何時かは行かなければと思いながら20年以上が経過しました。
世界遺産になって人の多さに怖れをなしています。
もう行くとしたら冬期か梅雨の頃しかなさそうですね(笑)
中津明神山という四国の臍(へそ)の山の魅力を瀑さんのブログで初めて知りました。
何処から観てもランドマークのように見える山ですが、なかなか侮れない。
この世界一のクリスマスツリープロジェクトは予想以上に評判が悪く、企画に協賛した糸井重里のほぼ日新聞も炎上しているとか。
バブルの頃じゃあるまいしと、私も当初、嫌悪感を抱きました。
でも、よく調べてみると、そんなに全否定しなければならないバブリーな企画でも無さそうな気がし始めました。
皆に叩かれて炎上している上に、その尻馬に乗った多数派の傲慢(一番嫌悪しています)も恥ずかしいですからね。
(一度、ブログで批判しておいて申し訳ない)
以前に観たプロフェショナル仕事の流儀の西畠清順の印象が、とてもユニークで面白かったのもあります。
この人の植物に向ける独自の視線は間違いなく面白かった。
悪しざまに罵しらなければならないほど酷い人間とは思えないのです。
しばらく静観します。