台風一過、ひんやりした朝だった。
前夜のニュースでは四国の山も、0℃まで気温が下がったと伝えていた。
これで、やっと山の秋も深まりそうだ。
秋の花風情を求めて、バイクを走らせた。
峠を越えると、きりっとした冷気に身を震わす。
山間の集落を抜け、谷沿いの川が大きな流れと合流するところから、
さらに九十九折を息切らせながらバイクを走らせ、高みへ至る。
秋の、どこまでも抜けてゆくような碧い空が、視界いっぱいに開ける。
ここは、石鎚よりも近い場所にある標高千数百メートルに広がる高原。
バイクを止め、グローブをぬぐと手先の感覚がない。
指先が暖まり、感覚が戻るまで、しばらく時間を要した。
ぐるっと視線を巡らせると、なだらかな草原状の起伏が重なり、
何か頭のなかに澱のように溜まっていたものがスルリと抜け落ちたような清明な感覚が広がる。
適当に見当をつけ、荒れた牧草地の向こうへと延びる道へと足を進めた。
まず驚いたのは、あちらこちらにセンブリの小さな白い花が花咲かせている。
まるでセンブリの花束のような、ひとかたまりに出会ったときは、
思わず「あっ」と声を上げた。
少し荒れた場所にはアケボノソウも多い。
荒地に咲くホソバノヤマハハコも好きな花だ。
道を返して高原の道を走らせると、まだ咲き残ったシコクフウロの群生に出会った。
そんな小さな幸せを(発見を)、いくつも拾ってゆく。
なぜか、そのひとつひとつに胸高鳴る(笑)
まだ日没には早いが、午後の陽射しが西に傾いた時刻、
ススキの穂が銀色に輝き、風に揺れ草原を波立たせる。
揺れる波間に光の粒子が無数に飛び交っていた。
秋の午後、波立つススキの銀波、金波が、束の間、魔法のような光景を
垣間見させてくれた。
ススキもしっかり自己主張しています。
これだけの花が、この時期有るんですね。
本日、奈良郷の近所の同級生が亡くなり、少々ブルーでしたが、秋空の元、必死に咲く花を見てなごみました。
これだけの緩やかな高原と言えば、第1に大野ヶ原を思いますが、2枚目・3枚目など橅林の道を想い出します。
若しくは、美川だが大川嶺のような気もするし・・・
これだけ花はあったかなあ?
はい、文中で触れているように、
ここは石鎚より近い場所、大川嶺です。
大野ヶ原同様のカルスト台地で沢山の花が咲くところです。
近頃は牛の放牧もやめたようで、これからどのような植生に
移り変わるのか興味深いですね。
人の手が入らなくなると草原から森林に戻ってゆくのでしょうか?
お友達が亡くなられましたか。
少し早過ぎる気もしますが、少しづつ櫛の歯が欠けるように
これからは親しい人を見送ることが多くなってゆくのでしょうね。
すすきの野原の写真、良いですね。自然は良い。そして秋の草花も・・・季節は巡るですね。
すすきと言えば太宰治の小編「津軽通信」をいつも思い出します。コスモス、無残。怪談よろし。あんま。もし、もし。まねく。すすき。あの裏にはきっと墓地があります。意味不明、詩人のメモ書きだそうです。
こちら北海道も、日ごとに秋が進んでいきます。つい4,5日前には、大雪山で初冠雪が報告されました。深紅の紅葉と、真白い雪のコントラストが美しい。北海道は、秋を越えて、一気に冬に突き進みます。
季節は、確実に進みますね。
秋というと、僕は、小説「ノルウェイの森」の中で、僕と直子の二人が、京都のサナトリウム付近の野原を散歩する場面をすぐに思い出してしまいます。
初秋のススキの写真も、あの場面にピッタリの雰囲気を湛えていますね。
でも、この山上一面に空が開けた場所で、一晩中星空を
眺めていたら気持ちいいでしょうね。
あぁ、これは好いアイディアかもしれない(笑)
雪の降る前にテントを持って、一度試してみます。
北国の秋は、格別ですね。
ナナカマドの真紅にダケカンバの黄金色、ハイマツの緑、
あの鮮やかなコントラストは南国四国ではお目にかかれません。
ノルウェイの森の原作の描写は忘れてしまいましたが、
映画では、あの草原をロケ地として選択したことが、
この映画の最大の成果だと思います。
風に揺れるススキ原を歩いていると、
そのまま何処か遠い世界に誘われそうです(笑)
ないでしょう。
山岳部とワンゲル部共同で
管理していました。
月当番で主に低学年が担当していた
ように思います。水場も近くで快適な
小屋でした。
卒業して、2年ぐらいは、女の子を
連れて(残念ながらグループで)
行ったものです。
気がつけばなくなっていました。
瓶が森岳連ヒュッテテン場の
水洗キジ場(苦労して造った)も
いつの間にかなくなっていました。
時の流れは残酷です。思い出も無情にも
切り捨てて平然としている。
こう言う小生は、年取った証明か?
日記であるブログの本来の姿に目覚めたのですか?
返信する前にkyo-chanブログを覗くと、また更新している(笑)
う~ん、毎日書くことがあることは羨ましいけど、
かなり無理しているような気もする??
あぁ、それにしても鬼城さんやkyoichさんのように、
連綿と続く絆の記憶が羨ましい。
私は度重なる父の転居のために、幼馴染から続く太い人との絆がありません。
(小学生の頃から1年2年の短いスパンで転校を繰り返していると、
どうしても友達をつくることに臆病になってきます)
>時の流れは残酷です。思い出も無情にも
>切り捨てて平然としている。
>こう言う小生は、年取った証明か?
故郷の幼馴染を二人も亡くすと、身体の一部を失くしたような
遣り切れなさに苛まれると思います。
今は、来月の九重連山遠征へ想いを馳せてください。