今晩、ブログのコメント欄を見てびっくり。
あのmisaさんが撮影した東赤石の笑顔の素敵な新婚さんからコメントが寄せられている。
その全文をここに掲載します。
「感激なき人生は空虚なり」好い言葉ですね。お幸せに。
- 有難うございます (高知の新婚)
- 2011-07-24 22:14:17
- 今回の夫婦写真の笑顔の本人です。
昨日、今日で無事、山の結婚式を挙げる事ができました。
近日中に結婚式の記事が愛媛新聞に出るみたいなので、機会があれば見てください。
今回の結婚式の合言葉である「感激ナキ人生ハ空虚ナリ」を大切にしていきたいと思っております。
偶然ではありましたが、何かのご縁と思い大切にしていきたいと思います。
これからも夫婦共々宜しくお願いします。
我が事のように嬉しくて嬉しくて
一人でも多くの人に貴方がたの事を知って欲しかった
手作りの心のこもった人生に一度きりの儀式に立ちあう以上の喜びに私自身が幸せな気分になれました(コメントでなく☎や会話でも称賛の言葉を戴き)
数ヵ月後、お目にかかりましょう
小生というよりは、MUCWVの同期といった方が正しいが。
感激あれ若人よ
感激なき人生は空虚なり
汝等が前に
高く高く理想を掲げよ
さすれば道は淡々として汝等が前に開かん
ただ歩めば至る。
呪文のように唱え、酒を飲み咆哮し・・・
この巻頭言は健忘症には無縁の言葉です。
改めて、エールを送ります。
「感激あれ若人よ、感激なき人生は空虚なり・・・」 Forever
Kyo-chan さん、ドイツ語訳がいるのでは・・・山好きな人はロマンチストですね。
と大きく紙面を割いて掲載されています。
misaさん、鬼城さんが添付メールで送ってくれたので、後で私から新聞記事を送りますね。
残念ながら新聞記事のブログへの転載は、
著作権に殊の外、神経質な新聞社の手前、不可能なようです。
そして新聞掲載の写真は、はっきり言って下手です(笑)
misaさんの写真の方が、ずっと魅力的。
kyoichさん、鬼城さん「感激なき人生は空虚なり」の出典は、
旧制高校の高知大校長の訓辞と聞きましたが、
別にあるのでしょうか?
お二人にとって忘れがたい言葉のようですね。
高知の新婚さんのご両親共に山好きということで、
きっとお父さんお母さんから語り継がれた言葉ではないでしょうか。
一則さん、真理さんお幸せに。
さすが、博学のランスケ氏。調べてみると、そのようですね。(笑)ちなみに、その方も昔からファイヤーストーム等では必ずこれを叫んでから始まるとか言ってましたが、出典は知らなかったような気がします。
まったく出典など知りません。
ネット検索の結果を記しただけです。
鬼城さんが。ドイツ語訳がいるのでは?
と書かれていたので有名なアフォリズムかなと頭をひねりました。
ニーチェやカント、デカルトは、ないよなと浅学の頭をめぐらし思案(苦笑)
息の詰まるような子供たちへの虐待や奇形や飢餓の話、そしてドキュメントは、
おそらく80年代末期頃から世界中に溢れてきました。
私も暫くは、目を背けないで丹念に見てきたつもりです。
でも、それが2000年以降は日常的な事件となって来ました。
どんな悲惨な事件が起きても「またか」と片付けられるくらいに。
それは何が原因だったと思いますか?
私は経済システムを最優先にしてきた高度資本主義社会の当然の帰結だったと思います。
水俣もアフリカの飢餓も果てしない弱者に対する暴力も
すべては、そこに行き着くと思います。
3.11以降、私たちは、自分たちの築き上げてきた文明が経済システムが
大自然の猛威の前に一瞬で瓦解する姿を目撃しました。
そして、すべてを失しなった先から、初めて私たちは「希望の光」をみました。
それは「他人のために何かしてあげたい」という無償の善意が、この世界に溢れたことです。
30年以上続いてきた閉塞感から、やっと抜け出すチャンスなのです。
TKさん、大人であるあなた自身が意識を変えなければ、
あなたが言うように出口を失った子供たちは、いつまでも救われません。
まずは「脱原発」。
日本は2等国だって結構。
日本人の身の丈にあった経済で充分。
もっと人と人との心が通い合える小さな社会へ舵取りをするチャンスなのです。
この時に変わらなければ、永久にTKさんの言うような閉塞感は続きますよ。
TKさん、まずあなた自身が変わらないと。
出会うことも多々あるし、その反対もあるのが人生である。
また、いわれのなき差別に苦しんでいる人がいるのも、そんなことも知らずに生きているのも、知っていても幸せな想いで暮らしている人がいるのもこの世の現実である。
そういう人々がいるからと、
自分の人生の目標を掲げるのを
その言葉だけを捉えて、
良しとしないのは、一面的であると考える。
むしろ、自分の健康を謳歌するのも、感激できる人生をと叫ぶのも、五体不満足で生きるのも、それぞれの人生。それぞれの人生の中に、悲喜交々がある。人生いろいろ。
いわしの弔いも大漁の騒ぎもあるのが人生で
弔いがあるので、大漁を祝うなと言うのは如何なものか?
ちなみに、小生はいわしの弔いには線香を供えているつもり?
何でもない生活に対する感謝の気持ちがありません。感激できる人生を送れるのは選ばれた人です。選ばれた人種と思い込んだ人の思い上がりだけを感じています。
とのことでしたが、「感激」こそ何でもない人生に転がっているものではないでしょうか?
マッチ売りの少女に出てくる幸せな家庭だけが「感激」を得るのでしょうか?
裕福とか幸せと感激は別物ではないでしょうか?
あなたは山に上がった事はありますか?きっと感激が分かると思います。
そうですよね。みんな一人一人が変っていかねばいけない時代なのですよね。私もそれを心に、毎日生きていこうと思います。
本当に、この一週間は疲れました。
今まで、趣味嗜好の近い人とばかり交流してきたので、
まったく異なる人との交流は疲れました。
それでも一方的に切り捨てずに、辛抱強く言葉を探し続けた過程が、
思わぬ良い方向へと実を結んだようです。
あの二人からのメッセージには、本当に救われました。