今朝、愛大山岳会の白石さんから電話をもらった。
何事かと訝りながらお話を聞くと、堂ヶ森避難小屋の維持管理のための募金箱が窃盗にあったと。
秋に石鎚山、二の鎖元に出来たバイオトイレの維持管理のためのチップ制募金箱が
4度にわたり盗難にあったことは初見の新聞報道や、その後の山関係者からの情報で知っていた。
バイオトイレ募金箱の盗難事件は、繰り返される盗難の手口などから
常習的な犯罪者によるものではないか?と推測される。
二の鎖元お札売場の工事現場にあった発電機も同時期に盗難にあっている。
この発電機は台車に積んで土小屋まで運ばれているので、
何人かの人に目撃されている。
盗難事件が露見して「あぁ、あの時の」と目撃情報が寄せられたらしい。
同様の情報として、弥山山頂で二の鎖元の工事が終了する夕刻の時間まで、
写真を撮るでもなく所在なげに、いつまで経っても下山しない不審な人も目撃されている。
しかし4回も、同様の手口で盗難に遭うなんてねぇ(汗)
堂ヶ森避難小屋の募金箱の盗難は、これとは少し性格が違うように思える。
この場所に辿り着くには、何処から入ったにしても相応の体力を要求される。
石鎚や皿ヶ嶺(ここの愛大小屋の募金箱も)のように、一般のハイカーが気楽に来れる場所ではない。
ある程度、山慣れしていない人でないと辿り着けないし、まず来ようとしない場所。
それを考えると、とても哀しい事件だ。
以前に鬼城さんがコメントしていたように
「山に来る人に悪人はいない」という古き山男たちの牧歌的な神話世界も、
私たちが暮らす下界のリアルな現実世界の猥雑なレベルまで引き摺り下ろされるようで辛い。
白石さんも、「やっと再建した山小屋を守るために集まった人々の善意が踏み躙られるようで悔しい」
と何度も仰っていた。
石鎚面河道、堂ヶ森、皿ヶ嶺と続いた愛大小屋再建のための情熱と努力を
私も側で見ていただけに、その悔しさがダイレクトに伝わってくる。
白石さんのお話を聞くと、
石鎚バイオトイレの盗難事件もあったので12/13 (日曜日)、堂ヶ森小屋も覗いてみると、
募金箱のチェーンを切断する形で中身を盗まれて、切断箇所をテープで留めて南京錠をかけ偽装していた様子。
なんとも巧妙な。
募金箱に二千数百円残っていた、ということは?
私が宿泊した12/9 の二泊分の料金が残っていたことになる。
う~ん申し訳ない。
宿泊料金投入の際に、鍵が壊されていたことに気付かなかったようだ(汗)
おそらく募金箱が盗難に遭ったのは、大雪の降った初冠雪以前だと推測される?
堂ヶ森避難小屋を管理している愛大山岳会のIさん以外では、
現在のところ私が一番、この山小屋に通っていることになるだろう。
山小屋常備の毛布を干すことや小屋内、トイレの清掃くらいはお手伝いしている。
哀しいけれど、募金箱の状態もこれからは注意しなければいけないようだ。
ちなみに山の募金箱の盗難などを検索にかけてみた。
多かったのは東日本大震災の善意の募金箱の盗難事件。
富士山や尾瀬でも発生している。
南アルプスの登山口である広河原の車上盗難はよく噂に聞いていた。
近くでは瓶ヶ森林道の森林環境保護の募金箱も。
こういう事件が起こると必ず声高に叫ばれる「道徳教育の欠如」なんて恥ずかしくて絶対云わない。
もうこれは、それぞれの個人単位で考える矜持の問題だ。
自分自身の良心に照らし合わせて恥ずかしくないか?
あんまり偉そうなことは云えないが、
私自身も、つまらない見得を張ったり、愚かな嘘をついてしまったこともあります。
それでも、可能な限り、フェアネスでありたいと願っています。
天使の街、LAのハードボイルド・ヒーロー(今の世に中ではドン・キホーテだけど)、フィリップ・マーロウのように
やせ我慢と憎まれ口をたたきながらね(笑)
掲載した画像は、石鎚山から雲海が切れて、沈む満月と松山の街明かりです。
自分さえよければ、盗まれる方がまぬけ
こんな言葉で済まされてしまう事が何とも悔しい限り
小さな菜園を作っていた母が以前自宅前に良心市を出した事が有ります
空き缶を回収して驚いたのは言うまでも無く
10束出して5束分の小銭が入ってました
がっかりする母に世の中こんなもんだよとしか言えず
それ以来出すことは辞めました
何とも後味の悪い思い出です
大分県の山深い集落に大阪から移り住んで、独居高齢者の日常的な生活介助を生業としながら
(その報酬として地域流通通貨が支払われます)生きがいを見い出している若い人の姿に静かな感動を覚えました。
私が堂ヶ森登山口の保井野で助けてもらったDさんも利他の人でした。
文化人類学の本を読んでいると、人類は農業生産による余剰が生まれる以前の世界では、
収穫物を平等に分け合う再分配の論理が共同体を維持するためのシステムとして生きていたようです。
本来、人は苛酷で貧しい環境の中では。集団の存続のために利他的に行動する生物なのです。
「田舎の人は親切だ」という指摘は、ある意味で当たっています。
世界を旅していると、貧しい地域の人ほど、困っている旅人に手を差し伸べてくれます。
もちろん個人の資質にもよりますが、貧しい場所ほど利他的な行動が共同体存続の論理として
生きているからだと思います。
それと、現在の本音を言うヘイトスピーカーに喝采を送る傾向は、とても危険ですね。
差別的な発言は憎しみと格差を助長するだけです。
子供たちにお仕着せの道徳教育を施しても、大人たちの不寛容な言動を身近で見ている子供たちは、
同じことを繰り返します。
憎しみの連鎖です。
あっ、また話が逸れて来ましたね(笑)
東日本大震災の募金箱を人目がないと平気で盗んでゆく子供たちがいるそうです。
子供たちは大人の言動をよく観ています。
私たちは、そのことにもっと自覚的になるべきだと思います。