今日で、ちょうど入院して二週間。
当初の予定では退院して、以後は自宅から通院の段取りだった。
今日、縫合箇所の抜糸は行われたが、やっぱりというか退院は
後二週間ばかり先に延びそうだ。
日常生活に支障がない程度に回復してから退院したいという私の意志が反映された。
現在は毎日、筋力が衰えないように左右両足の各部位や周辺の股関節、腹筋、背筋に
負荷をかけてリハビリテーションに励んでいる。
一日でも早い復帰を果たさなければ。彗星がやってくる(笑)
さて5冊目の本は、凡そ100年前、柳田国男が東北地方を歩いた旅の記録、「雪国の春」。
民俗学の巨人、没後50年ということで角川文庫から全集が復刊された。
新聞広告等で触手が動いていたが、直接読むきっかっけになったのは、
ホッホさんが差し入れてくれた柳田国男を特集した雑誌だった。
読みたいと思ったら、じっとしていられない。
今回2度目の脱走(幹線道路を越える外出は禁止されている)を試みて
大型スーパー内の書店にて、柳田国男コレクションより
「雪国の春」「遠野物語」「山の人生」の3冊を購入。
奥羽の天然を愛するものが、少し本意ないことに思っているのは、
夏の日の草木の緑色が、あまりに強烈で柔らかみのないことである…
で始まる三陸海岸を遡る100年前の旅の風景は、目を奪われるほど季節の色を纏い、
一面の萱草(カンゾウ)や秋草に鮮やかな萩の一群を活写して旅情を掻き立ててくれる。
それは風景の描写に留まらず、厳しい風土に生きる人々の暮らしを切り取る視線も瞠目させられる。
馬を曳く少年と出会いがしらの事故に遭い車で少年を轢いてしまう。
その少年の眼を描写して「だだの一瞬間の子供の目の色には、人の一大事に関する無数の疑問と
断定があった」と綴り、また船上で出会うチフスを患う少女との邂逅において、
「凡人の発心を催すような無垢の目に圧倒される」と描写する。
そしてこの二つの視線を「人間として遥かに有力な宣言」であると記し強く心に刻みつけられたようだ。
本書において最も印象づけられるのは「浜の月夜」と題された小子内の漁村におけるエピソードだろう。
それは後に「清光館哀史」という6年後に再訪された後日譚として、
柳田国男が再び筆を執ることになる。
旧暦盆の月夜に柳田国男一行は三陸海岸沿いの寒村、小子内を訪れる。
盆に客の訪れることのない宿、清光館では「碌なもてなしもできないが」と断って
受け入れてくれる。
それはこのような文章で綴られる。
「盆の十五日で精霊さまのござる晩だ。生きた客など誰だって泊めたくない。
さだめし家の者ばかりでごろりとしていたかっただろうに、
それでも黙って庭へ飛び下りて、まず亭主が雑巾がけを始めてくれた。」
夕餉を終えて、月夜の浜の往来に出てみると、寂しい集落の盆踊りが始まる。
それは笛や太鼓の鳴り物も音曲もない物哀しい歌声の響く女ばかりの踊りだった。
なにヤとれー。なにヤとなれのうー。
月明かりの浜で、短い詞章を高く低く繰り返し、無限の想いをこめて夜半まで、
歌い踊る姿は哀切なまで美しい。
柳田国男は、この情景をこう結ぶ。
どう考えてみたところで、こればかり短い詩形に、そうむつかしい情緒が盛られようがない。
要するに何なりともせよかし、どうなりとなさるがよいと、
男に向かって呼びかけた恋の歌である。
中略
この日に限って羞じや批判の煩わしい世間から逃れて快楽すべしというだけの、
浅はかな歓喜ばかりでもなかった。
忘れても忘れきれない常の日のさまざまの実験、
やるせない生存の痛苦、どんなに働いてもなお迫ってくる災厄、
いかに愛してもたちまち催す別離、こういう数限りない明朝の不安があればこそ、
はァどしよぞいな、
といってみても、
あァ何でもせい、
と歌ってみても、依然として踊りの歌の調べは悲しいのであった。
雪国の春 柳田国男が歩いた東北 (角川ソフィア文庫) | |
柳田 国男 | |
角川学芸出版 |
最後のこの文章で山頭火の「まっすぐな道でさみしい」
という俳句を思いうかべました。
そういえば、去年の7月にEテレで
魂のゆくえを見つめて~柳田国男 東北をゆく~
という番組がありました。
作家の重松清が東日本大震災後、鎮魂と記憶の伝承
という課題を民俗学から考えていく。
http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0722.html
よかったら、見てください。
流石、元N書房・店長ランスケさんのブックレビュー
ただの当り障りのない書評でなく面白い。
もう間もなく消灯なので急いで書いています。
このところ病室は、とても理想的環境とは云えなくなってきました。
4人部屋は、家族の方や見舞客の出入りが頻繁で、
落ち着いて本を読む静かな環境は急速に失われつつあります(苦笑)
そんなときは、談話室へ避難しています。
そんなこんなで、最初の一週間続いた静けさは、今はもう望めません。
読書ペースも落ちました。
菅さんが差し入れてくれた夢枕獏の山岳短編小説集やホッホさんからの美術関連書や漫画、
購入した「考える人」の冬号なんかを読み散らしています。
宮崎駿と養老猛司の対談集なんかも面白かったな。
快復は順調なので3月10日くらいの退院を目指しています。
震災2年目に向けたドキュメンタリーなんかにも注目したいよね。
そう今まで、ほとんど欠かさずNHKの震災関連ドキュメンタリーは観てきたつもりだけど、
ホッホさんの貼ってくれたETVは観ていませんね。
電話でも話したけれど、柳田国男の残した記録は、今もう一度読み返す意味を痛感しています。
むか~し、民族学に興味を持っていたことがありました
。
興味はすぐに他の方面に(浮気っぽい)移り、そのままの状態になっていました。
彼は宇和寺にも来ているんですね。
特に民衆信仰の和霊様についても研究しているようです。
ランスケさんのブログで改めて考えた次第です。
退院は伸びたとか。大事な身体ですからそれで良いですよ。
病室の賑やかさも想像できます。
個人のプライバシーなどはほとんどありません。
なにより病気を治すのみですから・・・
3月10日頃の退院、祈念しています。
ちょうど私の興味の方向が、この民俗学の巨人の広大な裾野の一端に触れたようです。
縄文文化圏である東北は、土地の神々と精霊が普通の暮らしの側で、ほんの百年くらい前まで息づいていた場所だと思います。
遠野物語も真澄遊覧記も、盲しいた人たちが長い冬の無聊を慰めるために
家々に招かれ物語を聞かせてきた風土と伝統に根付いた貴重な記録なのでしょうね。
柳田国男が歩いた百年前は、明治の大津波の記憶が、まだ鮮明な頃だっただけに、
随所に海嘯(つなみ)の哀しい話が記録されています。
この「浜の月夜」「清光館哀史」と遠野物語99話は、特に心が震えるような哀しく美しい話です。
それと柳田国男の風景論や街の景観としての建築様式に対する私見は、結構先進的ですね(笑)
病院で、こんな本を読んでいると旅心が刺激されます。
また今年も東北へ。
あの森と川 と青田の広がる懐かしい風景の中に。
美研の後輩(I.R)さんからランスケさんのお見舞いに
行きたいと連絡があった。
去年、I、Rさんと登山の約束をしていたがお互いに
忙しく忘れた頃に石鎚山に行きませんか。
と連絡があった、同じく後輩の(M,M)も来るとの事。
私は、石鎚も30年前に一度登っただけ。
二人はランスケさんの後輩でもある。
ランスケダイアリーも観ている。
早速、ランスケさんに連絡してサポートをおねがいする。
前から、相談していたので快諾、4人で登った。
I、Rさんは持田町で書道教室を主宰している。
M、Mさんは七宝焼のプロ。
石鎚登山のサポートのお礼もかねてのお見舞いでした。
えっと改めて、Rさん、Mさんありがとうございます。
私自身はホッホさんに紹介されるまで、彼女たちのことは知りませんでした。
可愛い後輩と面識を得て素直に嬉しかったです。
事後承諾となりましたが(ごめん)
ホッホさん、津守夫妻に続いて彼女たちも当ブログ、デヴューとなりました。
足が回復したら、また御一緒に春の野辺へ出かけましょう。