なぜドイツに出来て、原発事故の当事者である日本には脱原発という選択が出来ないのか?
これは誰もが、その答えを知りたい疑問だろう。
それはヨーロツパは送電網が巡らされているので、電力が足りなくなってもフランスからの原子力による電力を融通できるからだ。
という言い分が、あたかもその答えであるかのような報道が広く信じられていた。
私も、それに対して深く考えないで「そんなものか」と受け流していた。
でも年末の国政選挙の結果を受けて、この疑問は急速に膨らんできた。
なぜ3度も被曝した日本には出来なくて、ドイツには出来るのか?
無性にその答えが知りたい。
元NHKの海外特派員でドイツに22年間在住したという経歴を持つフリージャーナリストの熊谷徹氏が、その答えの一端を示してくれる。
まずフランスから電力を融通できるという報道は、決して間違いではいないが真実とは言えない。
98年にEUの電力自由化によってドイツを始めヨーロッパ中に送電網が巡らされている。
そのため電力輸出国であるフランスの電力はドイツ経由で他の国に流れてゆく。
この状態は、もちろん避けられない。
しかしドイツもフランス同様の電力輸出国なのだ。
確かに一時的に脱原発を決めた当初、ドイツは電力不足に陥り、市場価格の安いフランスの電力を輸入した経緯はあるようだ。
でも、その一時期を除きドイツは脱原発以前も以後も、ずっと電力の輸出国で在り続けている。
そして電力の融通が出来ない島国の日本とは前提とする条件が違うという指摘も多い。
これについても著者は、東日本と西日本で周波数が違うために融通できないという世界でも稀な日本の電力環境にこそ一番の問題があると指摘する。
さて、それではどうしてドイツは脱原発という選択が出来たのか?
熊谷氏は、ドイツ国民の世界でも群をぬく環境意識の高さにあると云う。
世界で初めて「緑の党」という環境政党を誕生させ政権(連立政権)に就かせた国である。
それとジャーマン・アングスト(ドイツ人の不安)と揶揄されるリスク意識の高さにもあるようだ。
そしてそれは40年間続いた原子力論争のドイツ国民の結論なのである。
また原発推進派だったメンケル独首相を脱原発へと決断させたのは、高まる脱原発の世論と度重なる選挙の敗北だったらしい。
その後の東独出身の物理学者であるメンケルの方向転換してからの覚悟も凄かった。
福島の事故後、「原子力発電による残余リスク(いかなる安全対策や防護措置を取っても消し去ることのできないリスク)は、受け入れられない」と発言し、
「自動車が開発された時にも、ほとんどの人は疑いの目で見ていたが、今では世界中に普及しいている。
同じように再生可能エネルギーについても誰かが始めなくては、技術は普及しない。
そのためには、まだ技術が未熟でリスクがあっても世界に先駆けて誰かが始めるべきである」と演説している。
≫技術革新は天然資源に恵まれない物づくり大国の成長の鍵である。
メンケルの言葉には再生可能エネルギーの分野で世界のパイオニア(先駆者)になるというドイツ人の気概が感じられる≪
と熊谷氏は賞賛する。同じ物づくり大国である日本としては耳が痛い。
2022年までに原発を全廃させ、2050年までに発電量の80%を再生可能エネルギーで賄うという
野心的なエネルギー革命を宣言したドイツの2012年までの実情は、なかなか厳しい。
太陽光発電は日照時間の短いドイツでは稼働率が悪くて急速に失速していったし、
(中国による安価な太陽光モジュールの進出で国内産業の凋落もある)
北海に作られた洋上風力発電の電力を南部の大量消費地へ送る送電線建設が遅々として進まない。
電力供給量の不安定な再生可能エネルギーシステムを補うためのスマートグリットの導入や
電力の安定供給のためにバックアップ電源としてCO2の排出を極限まで抑えた火力発電所の建設も
住民の反対運動で頓挫してまった。
そして何より「再生可能エネルギーは多大なコストがかかるのに、なぜドイツは推進しているのか?」という疑問です。
その回答を緑の党のラインハルト・カイザー氏はこう答えています。
「我々はエネルギーのコストをわざと高くすることによって、エネルギー消費を減らすことを狙っている。
つまりエネルギー革命に多額なコストがかかることは、初めから織り込み済みなのだ。
むしろ意図的にエネルギー消費のコストを引き上げることによって市民の資源の消費に関する考え方を変えさせ、
エネルギー消費を減らすためのテクノロジーの開発を促進する」
もちろん産業界からの反発はありますが、何よりも国民の大多数がその負担を受け入れているということに尽きます。
本来は世界最大級の原子力災害の当事者である私たち日本人が、
新たなエネルギーへの技術革新の先駆者であるべきなのに残念です。
結局私たちは事故前の2011年以前に戻るという選択肢をしてしまったわけですから。
悲観的なことばかり言ってはいられない。
まず何よりも電力の自由化と発送電の分離が第一歩です。
脱原発を決めたドイツの挑戦 角川SSC新書 再生可能エネルギー大国への道 | |
熊谷 徹 | |
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング) |
やっぱり教育なのだろうか?
内田樹が指摘するように、今の若者たちには進んで人のために行動するような利他的な傾向が見られる。
以前紹介した本「第4の消費」にもエコネイティブと呼ばれる若者たちの存在に焦点を当てていた。
たぶん、この世代は悪名高い「ゆとり教育」を受けた世代だと思う。
以下に平川克美の文章を引用する。
ゆとり教育を受けた世代は、現在成人を迎えているはずだが彼らが国際的に劣っているという話も聞いたことがない。
わたしは、むしろ若い方々のなかに利他的で公共性を志向する人々が育ちつつあると感じる方が多いのである。教育に問題があるとすれば、必要以上の競争原理を教室に持ち込んだために、いじめや自殺につながる問題が起きていると考える方が自然である。韓国では、過酷な受験による選別教育の結果、この年代の自殺者が世界一になったと報じられている。
声高に教育改革が叫ばれているが本当に「ゆとり教育」は間違っていたのだろうか?
原発が、民間企業にとって、まったく割が合わないことは明白じゃないですか。
一度過酷事故を起こすと、その電力会社が破綻するような発電方法は、
他の発電方式では考えられません。
国策として税金を投入しているから維持されているだけ。
もう、こういう不毛な話は、やめましょう。