Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

清冽 / 後藤正治

2014-12-08 | 

 

凛として佇まいの美しい人だった。

詩人、茨木のり子の印象を、多くの人がそう証言する。

大正最後の年に生まれた茨木のり子は、戦争の時代を生き抜いた人だ。

筋金入りの「軍国少女」として朝礼台に立ち、裂帛の気合いで全校生徒に号令をかけ軍事教練を主導したと云う。

それが祟って声帯を痛め濁声となり、少女らしい声を失った。

それは軍国少女であったという消えない罪障感を伴って、自らの悪声を生涯恥じたようだ。

(実際は低いアルトの深みのある落ち着いた声だったらしい)

 

− わたしが一番きれいだったとき −

 

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがらと崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人たちが沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからジャズが溢れた

禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように 

 

茨木のり子の軍国少女としてのエピソードとして、

当時の写真を見ると目を見張るような美少女である。

でも男子学生から言い寄られることは、まったく無かったという。

さもありなん。裂帛の気合いで号令をかける筋金入りの軍国少女の姿に畏れをなしたであろう(笑)

茨木のり子は夫、三浦安信とは48歳の頃、死別する。

三浦安信は山形県鶴岡市出身で、

同郷の藤沢周平描くところの庄内藩の古武士のような佇まいの人だったらしい。

茨木は映画「たそがれ清兵衛」を気に入り何度も観ていた。

主演の真田広之の喋る庄内弁と横顔が夫、安信に似ていたらしい。

茨木のり子の墓は夫、安信と同じ鶴岡市の海を見下ろす三浦家の墓所にある。

生涯愛した人は、夫、三浦安信ひとりだったようだ。

茨木のり子は、死後、夫、三浦安信を詠んだ詩集「歳月」を出版。

シャイな茨木は生前は発表出来ず、遺言として没後出版を望んだ。

 

詩人、茨木のり子の評伝を書き下ろしたノンフィクション作家、後藤正治は、こう綴っています。

彼女が強い人であったとは私は思わない。

ただ自身を律することにおいては強靭であった。

その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。

たとえ立ち竦むことはあったしても、崩れることはなかった。

そのことをもって、もっとも彼女の「品格」を感じるのである。

 

もう一つ、茨木のり子の印象的な言葉を引いておきます。

ポール・エリュアールの美しい詩句に寄せて、

「としをとる。 それは己が青春を歳月の中で組織することだ」

 

歳月の中で組織するー

その歳月の中に春夏秋冬しか見られない人は悲しい。

歳月は流れゆく時代だ。

過渡的にして永遠な歴史そのものだ。

あたうかぎり、自分の生きる時代と深くかかわってゆきたい。

それも言葉で言うほど簡単ではないに違いない。

時代の心臓は深くかくされている。

 

rieさんが茨木のり子を評して「男前」と言っていた。

凛とした佇まいの美しい人を降雪したばかりの皿ヶ嶺の雪原の中で撮りたかった。

真っ白で清澄な凛とした空気感の中で。

 

清冽 - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)
後藤 正治
中央公論新社

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2 コメント

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期日前投票 (ランスケ)
2014-12-11 14:54:04
今日は、期日前投票に行ってきました。
そして今日は、特定秘密法が施行された日です。

衆院選の予測は、早くも自民党2/3議席以上とか?
信じたくないけど、この数字が現実化するなら、
国民自らが、公正(フェアネス)であることや民主的であることや自由な言論を放棄したことになるのでしょうね。

今でさえ、声高に叫ぶ卑しい差別主義者たちに対してメディアは弱腰なのに、
また70年前のように「非国民」のレッテル貼りが、そこいらじゅうで始まることでしょう。

息苦しい暗黒の時代が、もうそこまで来ているようです。
それが杞憂であることを、切に祈っています。
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詩人の言葉 (ランスケ)
2014-12-11 18:05:58
現代詩の長女、茨木のり子を語るのに、直截的な言葉の羅列は、
どこか間が抜けているかもしれませんね。

ぱらぱら詩集を捲っていると、ちょっと素敵な詩が目に留まりました。

「怒るときと許すとき」


女がひとり

頬杖をついて

慣れない煙草をぷかぷかふかし

油断すればぽたぽた垂れる涙を

水道栓のように きっちり締め

男を許すべきか 怒るべきかについて

思いをめぐらせている

庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も

今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ

噴火して 裁いたあとというものは

山姥のようにそくそくと寂しいので

今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう

じぶんの傷あとにはまやかしの薬を

ふんだんに塗って

  これは断じて経済の問題なんかじゃない


女たちは長く長く許してきた

あまりに長く許してきたので

どこの国の女たちも鉛の兵隊しか

生めなくなったのではないか?

このあたりでひとつ

男の鼻っぱしらをボィーンと殴り

アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?

女のひとのやさしさは

長く世界の潤滑油であったけれど

それがなにを生んできたというのだろう?


女がひとり

頬杖をついて

慣れない煙草をぷかぷかふかし

ちっぽけな自分の巣と

蜂の巣をつついたような世界の間を

行ったり来たりしながら

怒るときと許すときのタイミングが

うまく計れないことについて

まったく途方にくれていた

それを教えてくれるのは

物わかりのいい伯母様でも

深遠な本でも

黴の生えた歴史でもない

たったひとつわかっているのは

自分でそれを発見しなければならない

ということだった

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