少しづつ春めいた話題を振らないと、
私の心は、いつまでも凍えるシベリアの永久凍土の上。
ちょうど好いタイミングでrieさんから「春のお散歩」のお誘い。
これに、ちゃっかり乗っかって軌道修正を試みることに(笑)
七折梅園の梅の花も丁度見頃。
少し風は冷たいけれど、梅園の丘陵をrieさんmariさんのお二人と、
石鎚成就社の雪山初詣以来のお出掛け散歩。
毎度、引き籠り爺さんに、温かい愛の手を、ありがとう。
ランチの飲茶も美味しかったです。
(最後の画像は、公園の身重の猫さん)
と、ここまで書いて昨日は了としたが、あまりにも愛想がない。
少し話を膨らませることにした。
ヒントはmariさんのつぶやいた「桃源郷のような風景」だった。
春のはかない夢、桃源郷伝説にまつわるエピソードを拾ってみた。
現世桃源郷は、カラコルム山系のフンザかもしれない。
宮本輝の「草原の椅子」におけるフンザの描写が忘れられない。
秩父山系にも山あいの辺地に花の集落があった。
連翹や辛夷の花々が咲き乱れる桃源郷のような風景だった。
色彩に乏しい杉林を縫うように辿る暗い山道を抜けると、
ぽっかり丘の上に広がる風景が、
この色とりどりの花咲く長閑な集落の佇まいだった。
さらに山道を辿ると里山の蓮華畑の先に、
周囲の満開の桜を映す青い池に辿り着いた。
このような山間の静かな池と周囲を彩る花の風景は、
私にとって、微睡むような桃源郷のイメージに繋がってゆく。
子供の頃見た、あの蜜柑山の先を彷徨い、辿り着いた池の
周囲を彩っていたのは、果樹園の桃の花ではなかったか?
と記憶の糸を手繰り寄せてみる。
場所を移して、フランスの田園風景も春のはなかい夢へと誘う。
アラン・フルニエの「グラン・モーヌ」の森の中の館での少女との運命の出会いもそうだし、
日影丈吉の「猫の泉」の丘の上に広がる石畳の旧い街も
儚い春の夢のような微睡む風景だった。
そう云えば、辻原登の「村の名前」は、中国に実在する桃源郷という村を巡る
ブーキッシュな陶淵明の夢の風景だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます