夏の墓参は覚悟がいる。
春彼岸の墓参から5カ月が経過して、生い茂る夏草と堆積した落葉の山との格闘だ。
朝一の宇和島行き急行バスに乗らないと帰宅は、とっぷり日の暮れた8時半過ぎになる。
ところが朝一のバスが、すでに市駅前からの乗客で満車となっていた。
西日本豪雨の影響は、未だ治まらず、宇和島までの鉄道路線が復旧していないのだ。
(法花津峠付近のJR鉄道路線は寸断されている)
お盆の帰省客が長距離バスに流れたようだ。
2番目のバスに乗ると、菩提寺のある河口の街に到着するのは正午前になる。
宇和島市街は鬼ヶ城山域に黒い雲がかかり今にも雨の降りそうな雲行き。
ところがトンネルを抜けた津島町は雷雨の通り抜けた夏空が広がる。
ジリジリ焼け付く炎天下の墓掃除となった。
ミンミンゼミの蝉しぐれの中、御先祖様と祖父祖母、そして父母の墓所3か所の夏草掃討戦。
粗方、夏草を片付けて、落葉の堆積も2/3が終わったところで
ザーッ通り雨が来た。
西の空は晴れているのに、東の空が暗転して雨が降り続けている。
狐の嫁入りだろうか?
黒沢明の「こんな夢をみた」という映画の中に、こんなシーンがあったな。
この通り雨で炎天下に火照っていた身体がクールダウンした。
これも墓掃除に精を出す墓守への御先祖様たちからの御褒美だろうか?
そう思わせるような良いタイミングで降り出した恵みの雨だった(笑)
ツクツクボウシとヒグラシの合唱になる頃、
墓掃除を終え、線香を灯して祈りを捧げていた。
今年も無事、墓守の仕事を全うした。
本堂の精霊供養の装いを見ながら別仏壇に祈りを捧げ、帰路を急いだ。
また帰りのバスに乗り遅れると宇和島泊まりとなる。
宇和島バスセンターからの17時台発のバスはなく、最終18時のバスまで空き時間ができた。
バスセンター裏山の宇和島城に登ってみることにした。
春の墓参より日が長いので18時前では、夕映えの時間には早い。
西日に映える白い天守や海に向けて開けた展望を眺めていた。
石段の段差があるので、結構いい運動になる。
ここを毎日散歩していると、足腰は強くなりそうだ(笑)
お盆のこの時期は、忘れてはならない悲惨な戦争の終った夏だ。
今年もNHKの終戦特集は見応えがありそうだ。
出来ればお会いしたかったのですが、以前であれば寄って頂くことも出来たのですが・・・m(_ _)m
ここ2,3日は通り雨が多いです。
しみこむだけの亮は無いけれどちょっとした涼しさを運んでくれます。
被災地もやっと飲料水が通水を始めました。
徐々に中央では飲み会をやっている方々と違って、着実に進んでいます。
73年前(私の歳)悲惨な戦争が終わりました。この国の行方はどうなっていくのか?
終戦記念日の旅に思います。
そうそう、城の登山は結構きついです。
週一くらい登っています。
残念ながら早く門を閉めるので夕陽は駄目なんです。
卯之町から法花津トンネルを抜けると様相が一変しました。
あの豪雨から一カ月が経過しても、この惨状ですから、災害発生時の被災状況は目を覆うばかりです。
父方の実家の吉田も被災したようです。
鬼城さんのコメントにもあるように、最近やっと水道が復旧したようです。
暑い夏だっただけに、この一カ月の苦労が忍ばれます。
帰りのバスの待ち時間が一時間近くあったので、鬼城さんに連絡しようかと頭に浮かびました(笑)
でも急なことなので、城山登山で時間待ちとしました。
そうですか、落日前にお城の門は閉められるですか。
何か、凄くもったいないことをしているように思えます。
朝日夕陽の絶好の展望地なのにね。
貴重な観光資源を放棄しているような気がします。
お城から宇和島市街を眺望して、あらためて、この街には田圃がないことに気づきました。
確かにお隣の三間や卯之町へ行かないと里山の風景は観られませんね。
鬼城さんの前回のコメントの意味がよく理解されました。
里山の風景とは幼少期の夏の記憶ですから。